■最期に自分を救うのは、自分自身の思い込みなのかもしれません
Contents
■オススメ度
ブレンダン・フレイザーさんの快演を堪能したい人(★★★★)
親子の諍いの物語に興味がある人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.4.8(TOHOシネマズ二条)
■映画情報
原題:The Whale
情報:2022年、アメリカ、117分、PG12
ジャンル:病的に肥満の父親と疎遠だった娘の最期の5日間を描くヒューマンドラマ
監督:ダーレン・アロノフスキー
脚本:サム・D・ハンター
原作:サム・D・ハンター/Samuel D.Hunter『The While(2012年)』
キャスト:
ブレンダン・フレイザー/Brendan Fraser(チャーリー:病的に肥満な英語教師)
セイディー・シンク/Sadie Sink(エリー: 別居中のチャーリーの娘、高校生)
(幼少期:Jacey Sink)
サマンサ・モートン/Samantha Morton(メアリー:チャーリーの元妻、エリーの母)
タイ・シンプキンス/Ty Simpkins(トーマス: キリスト教系「ニューライフ教会」の宣教師)
ホン・チャウ/Hong Chau(リズ:チャーリーの唯一の友人、看護師、恋人アランの妹)
Sathya Sridharan(ダン:ピザ屋「ガンビーノ」のデリバリースタッフ)
Wilhelm Schalaudek(リアム:オンライン授業の生徒)
■映画の舞台
アメリカ:アイダホ州
モーモン/Mormon
https://maps.app.goo.gl/HPrmpK32fEkBNmxYA?g_st=ic
ロケ地:
アメリカ:ニューヨーク
ニューバーグ/Newburgh
https://maps.app.goo.gl/HgJbCYp7RYjKGr7o7?g_st=ic
■簡単なあらすじ
体重が270キロもある英語教師のチャーリーは、大学のオンライン講義の講師として生計を立てていた
彼を支えるのは、恋人アランの妹リズで、彼女は看護師として夜勤の合間を見計らって尋ねてきていた
ある日、急に息苦しくなったチャーリーの元にニューライフ教会の若き宣教師トーマスが偶然やってきた
チャーリーは彼に「メルヴィルの『白鯨』について書かれたエッセイ」を読ませる
すると、何故だか少しずつ発作が収まってきた
落ち着きを取り戻したところにリズがやってきた
リズはチャーリーにうっ血性心不全の兆候があるとして病院へ行くことを勧めるも、彼は保険がないなどの理由で病院に行こうとしない
だが、自分の余命がわずかだと知ったチャーリーは、8年近く会っていない娘のエリーを呼び寄せる
エリーは応じるものの、2人の中は険悪で、チャーリーは「死んだらお金は全部あげるから」と条件をつけて、毎日来るように仕向けた
テーマ:懺悔と救済
裏テーマ:人を救うものの正体
■ひとこと感想
アカデミー賞主演男優賞受賞の報が出る前から気になっていた作品で、「打ち上げられた鯨」を揶揄した「The Whale」に興味を持っていました
病的に肥満で室内もロクに動けないチャーリーですが、なぜか病気にかかろうとしません
その理由はラスト付近で明かされますが、その理由を身勝手と取るか愛と捉えるかは微妙なところのように思えます
物語は、親子の和解を描いていますが、その背景にあるのは「白鯨」と「宗教」で、このあたりの知識がないと意味がわからないかもしれません
「白鯨」に関しては、アメリカでは誰もが読んでいるレベルの一般教養なのですが、日本ではあまり馴染みがないですね
また、宗教に関しても「終末論を唱えるカルト(原作ではモルモン教)」が登場し、神は人を救うだろうか論というものが登場します
チャーリーもリズも宗教を否定していて、宣教師トーマスに言葉をぶつけるシーンは圧巻でした
それにめげずに「ここに来た理由」を模索するトーマスも大概ですが、それを狂信と呼ぶかどうかは微妙なところでしょうか
でも、彼の行動によって、エリーの一面が照らし出されるところは巧妙なシナリオだったと思います
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
映画の冒頭に「For Charie & Abe」という一文があって、おそらくはモデルになる人物(親と娘)がいるのだと思います
タイトルが示すようにハーマン・メルヴィルの『白鯨(Moby-Dick or The Whale)』の引用があり、その本に関するエッセイというものが登場しました
映画の冒頭では、オンライン講義で姿を見せないのですが、その外見に対するコンプレックスが強く、「自分の悍ましさ」を認知しても許容できないという感じになっていました
エリーは恋人のために自分を捨てたことを恨んでいて、しかも相手が男性というところに嫌悪感を募らせています
自分を捨ててまで父が得たものが何か
それがエリーの心をそば立たせていました
映画は、宗教に対するアンチテーゼがあり、人が救われるとはどういうことかを突きつけます
「死ぬ前に何か良いことを一つでもしたい」と願うチャーリーは、自分を助けない神の導きによって、予期せぬ終焉を迎えることになりました
■新約聖書の引用について
映画の後半にて、封印されていた部屋で聖書が見つかります
長年閉ざされていたその部屋は、おそらくはアランの部屋だったのだと思います
偶然、そこに入ることになったトーマスは、そこで聖書を見つけ、マーキングされているページを見つけます
それが、「ローマの信徒への手紙」、第8章、第12節〜第14節にあたる部分でした
以下、英文と日本語訳になります(字幕とは違います)
12 Therefore, brothers and sisters, we have an obligation—but it is not to the flesh, to live according to it.
13 For if you live according to the flesh, you will die; but if by the Spirit you put to death the misdeeds of the body, you will live
14 For those who are led by the Spirit of God are the children of God.
第12節 それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任を負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。
第13節 なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう
第14節 すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である
このマーキングをめぐり、トーマスの中にある確信が生まれ、それはチャーリーを怒らせることになります
この聖書はおそらくアランのもので、彼自身の悩みがその一節に残されていたのでしょう
でも、無神論者のチャーリーはそれを受け入れることができずに激昂していました
チャーリーが無神論者なのは、敬虔なクリスチャンだったアランを神様が救わなかったことに由来しています
信じた人しか救わない神様なのに、信じた人も救わない
結局、神様というものが本当にいるのか?という疑問に行き着き、それらを否定するという思考へと行き着きます
これらを含めて「試練」という呼び方をする場合はありますが、魂が今の肉体に留まっている間にある「意識」が、それを否定するのは当然のことのように思えます
■メルヴィル「白鯨」について
映画の冒頭で読まれるエッセイは、チャーリーの娘エリーが書いた物で、これはハーマン・メルヴィル(Herman Melville)が執筆した『白鯨(Moby-Dick or The Whale)』に対するものでした
アメリカの映画に数多く登場する『白鯨』は、全世界で読まれている古典小説で、「船乗りのイシュマエルが、マッコウクジラに足を食いちぎられた船長エイハブの船に乗り込んで運命を共にする」という内容になっています
1851年の作品で、当初は売れ行きが悪くあっさりと絶版になっていましたが、著者の死後、生誕100周年を迎えた1919年に再販され、再評価された作品になります
「Call me Ishmael」で始まる有名な小説で、沈没した捕鯨船の生き残りが書き残した手記のような形式になっています
本作は原文で822ページある大長編で、読み通すことが難しい作品として有名ですね
メルヴィルが実際に捕鯨船に乗っていたこともあり、捕鯨技術の詳細な描写などがあり、物語が脱線しまくるという特質があります
また、イシュマエルとエイハブは旧約聖書からの引用で、その知識がないと意味不明な部分も多いとされています
時代は19世紀後半、アメリカ東部のナンタケットにやってきた「語り手イシュマエル」は、港の宿で一緒になった銛打ちのクイークェグと一緒に捕鯨船ピークォド号に乗り込みます
船長はエイハブで、かつてモビーディックと呼ばれた白いマッコウクジラに片足を食いちぎられて、鯨の骨で作った義足をつけていました
エイハブの復讐心は強く、悪魔の化身だと言って、狂った復讐心を募らせています
船には、エイハブを諌めるスターバック、パイプを愛するスタップ、真面目なフラスク、銛打ちの黒人ダグー、クイークェグ、インディアンのタシテゴなど多様な人種が乗り込んでいます
物語は、数年にわたる捜索の末、日本の沖合でモビーディックを発見し、追跡を開始します
このあとはネタバレになりますが、小説の形式が「生き残った船員の語り」なので、察して然るべきであると濁しておきます
映画に何回もなっている作品で、一番古いのが1926年の『The Sea Beast(海の野獣)』でミラード・ウェップ監督作のサイレント映画です
その後、トーキーとして1930年に『Moby Dick(海の巨人)』が制作されました
1956年にはジョン・ヒューストン監督による『白鯨(Moby Dick)』が制作され、一躍有名になりました
その後も多くの作品が制作され、2015年にはスピンオフ的な作品である『白鯨との戦い(In the Heart of the Sea)』という作品もありますね
こちらは『白鯨』のモデルとなった「1820年の捕鯨船エセックス号のマッコウクジラ襲撃事件」を取り扱っています
原作はナサニエル・フィルブリック(Nathaniel Philbrick)のノンフィクション『In the Heart of the Sea – The Tragedy of the Whaleship Essex –』となっています
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、娘に父親らしいことをしたいチャーリーを描いていますが、根底には「終末」というキーワードが隠されています
『白鯨』も捕鯨船が沈没する話で、その生き残りが物語を紡ぐように、この映画でも「生き残り」が「チャーリーの物語を紡ぐ」という風に結ばれます
2人を繋げているのは『白鯨』のエッセイで、これはエリーが中学生の時に書いたものでした
「鯨の描写は退屈だが、人生を考えされる内容だった」と紡ぎ、「読み手を救済しようとしている」と結んでいます
このエッセイをチャーリーは絶賛するのですが、これは娘だからという視点がないわけでもありません
でも、中学生がこのエッセイを書いていたら、そりゃあ誰が書いた物であれ、賞賛に値する物だと言えます
パンフレットに全文が載っているので、気になる方は購入をお勧めしますが、何度も暗唱されているので覚えてしまった人もいるかもしれません
メルヴィルの小説に賛辞を送りながらも「退屈」と表現し、「エイハブが盲信するモビーディックの復讐による効果」に苦言を呈しています
そんな登場人物に対して、エリーは「複雑な思い」を抱きます
特筆すべきは、「語り手は自らの暗い物語を先送りする」という一節で、それによって「語り手が読み手を救済しようとしている」と思うのですね
この「Save」という言葉をチャーリーは反芻し、この一文を途切れ途切れに読むシーンが印象的だったと思います
本作は、身勝手な自分が救われたいというおぞましさを描いていますが、その反面「醜さの中にある光」というものも描いています
トーマスがニィーライフの宣教師として未来を語りますが、彼が説く「魂を選べば」という文言は戯言のように思えます
次代へと魂が移るという考えは、今の時間軸で救えないという逃げにも思えるのですね
来世に繋がると言われても、そんな記憶を持って肯定できる人が圧倒的に少ないので、それを信じる者しか救わないというのは、宗教のエゴイズム、ひいては優生思想の現れだと思います
この映画では、それを全否定しているのですが、流石に実在の宗教を挙げると影響が大きいので、架空の宗教ということになっています
でも、終末論を唱える宗教全般が対象になっているので、原作の戯曲よりは随分と広範囲に及ぶ内容になっていると思います
個人的には来世も終末論も「なにそれ、美味しいの?」レベルの無神論者なので、この手の宗教完全論破はとても愉しく思えました
そう言った意味において、本作は大好物なのですが、それ以上にエリーのエッセイの素晴らしさを堪能できたことはとても良かったですね
チャーリーを救うのは、愛する娘の素直な気持ちなので、反発を見せていても、その奥にはこのような想いがあると信じている彼は可愛くも思えます
映画は、チャーリーの中にある「理想化されたエリー」が彼自身を救う過程を描いています
エリー自身は自分のことが嫌いで、父が思うような理想の娘ではないと思っています
でも、思い込みだとしても、自分自身が思い描く光の中で逝くことができたので、チャーリー視点ではハッピーエンドなのかもしれません
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/386230/review/349d50b8-90d6-4b88-ba96-2395d45b92a8/
公式HP: