■憲二を飛ばさせなかったのは、もしかしたら妻の愛なのかもしれませんね
Contents
■オススメ度
人生の再出発を描いた映画が好きな人(★★★)
瀬戸内海の自然を堪能したい人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.1.11(アップリンク京都)
■映画情報
情報:2023年、日本、104分、G
ジャンル:妻子を失った漁師と教職を諦めた女性が出会うヒューマンドラマ
監督&脚本:宮川博至
キャスト:
東出昌大(村田憲二:豪雨災害で妻子を失った男性、孤立する漁師)
なかむらさち(村田幸:豪雨災害で亡くなった憲二の妻)
?(コウタ:憲二の息子)
堀部圭亮(中村宇壱:憲二の義父)
三浦透子(小島凛子:疎遠の父に会うために島を訪れた女性、元教師)
小林薫(小島繁三:凛子の父、元教師)
原日出子(小島さわ:凛子の母)
浅田美代子(平野マキ:居酒屋「ひらの」の女将さん)
笠原秀幸(高野潤:憲二の漁師仲間、凛子にアプローチ)
中川晴樹(鉄平:憲二の漁師、実家は大阪)
遠山雄(デク:憲二の漁師、無口)
柿辰丸(宮坂悟:漁業組合長)
有香(大島咲:島の小学生)
根矢涼香(大島涼香:咲の母)
?(大島陸:咲の兄)
和泉崇司(繁三の主治医?)
森戸マル子(看護師?)
■映画の舞台
日本:広島県の島
モデルの災害:平成30年7月の豪雨災害(西日本豪雨)
ロケ地:
広島県:呉市
上蒲刈島
https://maps.app.goo.gl/kZDxmYiMxYJxbXQP6?g_st=ic
下蒲刈島
https://maps.app.goo.gl/GmhBwY2bZb8RFiw97?g_st=ic
広島県:江田島市
江田島:切串港
https://maps.app.goo.gl/GkCZVvGr6wAm9fwE6?g_st=ic
四季の味 ひらの
https://maps.app.goo.gl/H6qzQQPdrMSXDFtc9?g_st=ic
■簡単なあらすじ
豪雨災害で妻子を亡くした憲二は、縁もゆかりもない島で漁師を続けていた
彼はいつも獲った魚を元教師の繁三に届けてくれていて、寡黙ながらも親切で優しい青年だった
ある日、その島に繁三の娘・凛子がやってきた
派遣会社の契約期間を終わって、次の就職をどうするか考えていたが、誘われている教職の仕事もあまり乗り気になれずにいた
凛子は父と共に島でのんびりと過ごし、居酒屋の女将・マキや、憲二の漁師仲間たち、島の小学生・咲たちと交流を深めている
そんな折、咲が行方不明になってしまい、島の人たちは結託して咲を探そうとする
だが、心当たりがあった憲二は、いち早く咲を見つけ出し親元へと届ける
凛子の中での憲二の印象も変わり、そして、彼が抱えている過去というものを少しずつ理解し始めるのであった
テーマ:生きてこそ人生
裏テーマ:理不尽の許容
■ひとこと感想
逆さま向いているポスタービジュアルも印象的で、寡黙な漁師を東出昌大さんが演じるところに興味を持ちました
内容は東京から若い女性が来て、過疎の島が色めくという展開に思えますが、実際の豪雨災害がモチーフになっているため、思った以上に重たい話になっています
静かに動いていく物語ではありますが、感動ポルノになりそうな題材を真摯に受け止めて、過剰な演出を避けているところに好感が持てます
妻子を亡くした男の再生の物語ですが、そんなに簡単に割り切れるわけもなく、一歩ずつ他人と関わりを持っていく中で変化というものが生まれていました
憲二の後悔は幾重にもなっていて、その一つが解消される流れになっていて、完全ではないところにリアリティがあります
役者さんたちもイキイキと演じられていて、行ってみたいなあと思わせてくれますね
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
妻子の喪失と黄色い風船が組み合わさり、憲二の過去はあの日に置き去りにされたままになっていました
凛子の母・さわから聞かされた風船の話を心の拠り所にしていますが、閉じこもることで他人の優しさを素直に受け取れないもどかしさというものがありました
豪雨災害という身近に起こり得る被害を題材にしていて、このように苦しんでいる人はたくさんいるのだろうと思え、単純な励ましではどうにもならないところを細かく描いていましたね
ひとつ間違えば、派手な劇伴の感動ポルノになりそうな案件ではありますが、そこをグッと抑えて、キャラクターの本質を歪めることなくラストまで描き切ったところはすごいと思います
パンフレットにはロケ地マップもあるし、映画に対する想いがたくさん詰め込まれています
映画のタイトルが『とべない風船』というのも洒落ていて良いですね
風船を縛り付けるものと、解放するものという二極があって、そこに微かな変化が生まれるのは良かったと思います
■悲劇が過去になることの恐怖
憲二が雨の中で号泣するシーンにて、「忘れていくことの怖さ」について叫んでいました
そこで凛子は距離を取って彼を見守っていて、彼を励ますとか、抱きしめるとかの行動を取らないのですね
このシーンの二人の距離は当初から変わっておらず、それが変わらないままというのが本作の魅力であると思います
ベタな話になると、憲二の新しい人みたいなポジションになって、凛子が島に残って距離を縮めていくという流れになりがちだと思います
憲二のように「突然愛する人を失った人」だけでなく、肉親を亡くした人たちは「忘却」を人一倍恐れています
忘れたくない人ほど忘れるような人生になり、忘れたい人ほど忘れられない人生を歩むという不思議な側面があったりします
囚われと執着の関係性において、憲二のように「さよならすら言えない」というエピソードは、別れを言えた人とは密度が異なります
しかも、憲二は二人の死が自分の責任であると考えていて、それゆえにその想いが強くなっていました
私個人は癌で妻を亡くしていて、それが過去になることをそれほどは恐れません
忘却に対する恐れというものはありますが、逆に言えば「どうやったら忘れられるのか?」という疑問もあります
同じ空間で生活をしていた人ならば、その痕跡というものが色んなところにあって、その都度思い出すものだと思います
憲二が恐れているのは、遺骨があることが疑似的な存在に置き換わっていて、それが安心感につながってしまっているからなのかな、と感じています
この憲二の行動が私にも理解できていて、実はこっそりと「遺骨の一部を家に保管している」のですね
納骨自体を止めるというのは流石に無茶だと思いますが、ウチの場合は合同葬(家のお墓がない)ので、一層のこと「家の中に置いておきたい」という思いはありました
今では、遺品などと一緒に骨の一部が仏壇らしきところ(彼女の使っていた机が仏壇の代わりになっている)にひっそりと置かれていたりします
■なぜ、風船は「とべない」のだろうか
映画のタイトルは「とべない」となっていて、これは風船そのものの意思ではなし得ないという意味になります
「とばない」のは風船の意思によるものですが、「とべない」のは誰かがブレーキをかけているからなのですね
自然な形の風船は手を離せばどこかへ飛んでいくわけで、それをさせない理由というものが憲二にはありました
当初は「帰ってくる目印である」というものでしたが、納骨がまだというあたりに、そのこだわりが装飾された表向きのものだったということがわかります
憲二が納骨をしない理由は前項で書いたことがメインですが、風船に関しては「自分の意思で手放した後悔」というものが一番強いように感じています
豪雨の中で妻子を共に行かせたことは、結果論として悲劇を生みますが、状況に対して無頓着だったという自分自身を責める力が強いのでしょう
これは「豪雨災害」というものが初めての体験だったことが根底にあって、「雨の中を出かけること」に対する危機感が欠如していたというものがあります
豪雨災害は毎年のようにどこかで起きていて、モニター越しに何人もの人が亡くなっているというニュースを見てきています
でも、それはどこか他人事になっていて、身近に感じされなかったという自分の落ち度というものがあるのですね
もし、豪雨災害が自分ごとだと感じていたら、憲二は二人に行かせなかったでしょうし、行くとしても一緒に行ったのだと思います
この映画で起きた悲劇というのは、自分自身の判断や行動で止められたのではないかという余白があるところが辛さを際立たせています
実際に現場で何かができたかということはわかりませんし、自然の力は人の力で制御できるものではありません
それでも、人智が及ぶ範囲が残っているように思えることというものが、憲二自身を責め続けているのではないでしょうか
人生というものは、どうしようもないことの連続のように思えますが、その方向性とか危機の回避などは介入の余地があったりもします
これらは情報量の差により、多くのことを知っていることで、何かしらを自分の人生に活かすことができます
何気ないニュースの奥側にある「憲二のような無念」は無数に転がっていて、その生身の言葉を聞くことができる機会も増えています
映画のラストでは、殻に閉じこもっていた憲二が凛子や咲、義父の言葉を受け止めていく様子が描かれています
今、その意味がわからなくても、それがわかる時が来るかもしれない
人の人生は不思議なもので、インプットが無意味になることの方が稀だったりします
その情報が自分の前に訪れたことには意味があり、それは憲二の前に凛子が現れたことも、凛子が憲二に出会ったことも同じだけの意味があるのでしょう
本作は「ヒューマン・ミーツ・ヒューマン」の作品になっていて、その関係性の変化がなくても、そこには意味があるということを描いているように思えました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
人と人の出会いであるとか、ある情報との出会いというのは、「遅効性の特質」を備えていると思います
その出会いの多くは「意図せぬもの」であり、凛子も憲二という変な男がいるということは事前に知らされていません
あれだけ自分の生活に密着している男なら、親子の会話に登場してもおかしくありませんが、それが話題にならないほど「凛子と父の関係性は薄かった」ともいえます
また、父は憲二の不幸を知っているので、あえて話題にしなかったのだと思います
凛子がこの時期に帰ってきたことも偶然で、教師をしていると思っていたのに派遣社員で事務をしていて、それも契約満了で無職状態だったりします
凛子が父の元に来ることになったきっかけは映画では分かりませんが、東京での閉塞感が彼女自身に行動を促したのではないでしょうか
東京で生きていくことのキリがついたとも言え、それは実家に帰るタイミングを生み出しています
これらの人生をどう捉えるかは人それぞれですが、こう言った人為的ではないもの、というのは結構意味のあることだと思うのですね
私個人は自分の思い通りにならないことに対して抵抗することはあまりなく、もちろん「アクシデントを好んでいないものの」それに拘り続けるよりは、このアクシデントが起きた意味を考えるようにしています
先週のことですが、木曜日の勤務先が2日前の火曜に急に変更になって、予定していた映画のスケジュールが狂うという事態が起きました
当初の予定は「水曜日に『アメリカから来た少女』、木曜日に『ドリーム・ホース』と『終末の探偵』」で、『とべない風船』は次週以降にするつもりでした
でも、木曜日の勤務時間が変わったことで、『終末の探偵』が観られなく可能性ができ、行動範囲を広げて、緊急事態宣言以降行っていなかったシネリーブル梅田のスケジュールを確認することになりました
そこで、色々スケジュールを組み替えた結果、「水曜日に梅田で『終末の探偵』、木曜に『アメリカから来た少女』『とべない風船』に組み替えて、『ドリーム・ホース』が後回しになってしまいました
でも、金曜から公開される映画のスケジュールが金曜に合わせられないという事態になり、急遽空いた金曜日に「梅田で『ドリーム・ホース』を組み込むことになった」のですね
水曜日に梅田に行った時に会員に入って、金曜日は会員割引で鑑賞することができ、観たかった映画を全て今週内に観ることができるというサプライズが起こっています
個人的な感覚では、このようなアクシデントが功を奏するということが思った以上に多くて、アクシデントそのものが何らかの力によって「自分が決めた道に待ったをかけている」と思っています
実際に「その道がどうだったのか」を検証しようがなく、勝手に好意的に捉えているだけなのですが、この好意的に捉えるということが人生では大切なことなんじゃないかなと考えています
自分自身に起こる多くの出来事は「立ち止まって考える時間を作るもの」と考えれば、凛子の契約満了も、瀬戸内に来て憲二に出会ったことも違った見方ができると思います
そういったタイミングの先に出会えたこの映画にも意味があって、映画の中のエピソードと自分のリアルが妙に絡んでいるという面白さもありました
このように好意的に考えられないアクシデントがあるということは重々承知ではありますが、結局「起こったことは変えられない」ものでしょう
なので、憲二が納骨を拒否した時間にも意味があると思います
また、そこまで自分を追い詰めても、それでも「漁をやめなかった」のですね
そして、「漁を続けることで生まれた人間関係」というものが、自分自身を前進させるきっかけになっているというのは人生の妙なのかなと思いました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/384024/review/2e0852c9-7c97-42b7-851d-78de682cbd6d/
公式HP: