■今を楽しめる素養があると、未来を楽しむための叡智が薄れてしまうのかもしれません


■オススメ度

 

貧困問題に関心がある人(★★★)

移民問題に関心がある人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2023.4.11(京都シネマ)


■映画情報

 

原題:Tori et Lokita

情報2022年、ベルギー&フランス、89分、G

ジャンル:移民の貧困姉弟の日常を切り取った社会派ヒューマンドラマ

 

監督&脚本:ジャン=ピエール・ダルデンヌ&リュック・ダルデンヌ

 

キャスト:

パブロ・シルズ/Pablo Schils(トリ:ロキタの偽りの弟、ベナン出身)

ジョエリー・ムブンドゥ/Joely Mbundu(ロキタ:祖国の家族のためにドラッグを売る少女、カメルーン出身)

 

アウバン・ウカイ/Alban Ukaj(ベティム:表向きはシェフのドラッグの売人)

ティヒメン・フーファールツ/Tijimen Govaerts(ルーカス:大麻農園の管理人、べティムの部下)

シェルロット・デ・ブライネ/Charlotte De Bruyne(マルゴ:大麻栽培管理スタッフ)

 

マルク・ジンガ/Marc Zinga(フィルマン:違法ビザの売人)

ナデージュ・エドラオゴ/Nadege Ouedraogo(ジュスティーヌ:違法ビザの売人)

 

Claire Bodson(ロキタのビザの面接官)

Annette Clossetロキタの担当教員)

Thomas Doretロキタの弁護士)

Ngindu Tshimpanga Dieudonné(イッサム:センターの青年)

Bilel El Alami(アシフ:センターの青年)

Emma Cohen-Hadria(ナディア:教育者)

Amel Benaïssa(バーバラ:教育者)

 

Baptiste Sornin(ドラッグを買う顧客)

Frédéric Dussenne(新規のドラッグの客)

 

Sandrine Desmet(婦警)

 

Vincent Sornaga(用心棒)

Jean-Christophe Fernandez(用心棒の助手)

Jean-Sébastien Nemayechi(ウエスタン・ユニオンのドラッグの客)

Ankaye Jeannot(ウエスタン・ユニオンのドラッグの客)

Gianni La Rocca(ロキタが乗り込むバスの運転手)

Monia Douiebバスの乗客のおばちゃん)

Adrienne D’Anna(ヒッチハイクを無視する車の運転手)

Grégory Tassioulis牧師)

 


■映画の舞台

 

ベルギー:リュージュ

 

ロケ地:

ベルギー:

リエージュ/Province of Liège

https://maps.app.goo.gl/8mkEpnTpji5gxJhS8?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

カメルーンからリエージュに出稼ぎに来たロキタは、道中で自分を助けてくれたトリを弟のように可愛がっていた

トリはビザを取れたものの、ロキタは度重なる面接でも質疑に躓き、落とされてしまう

2人はレストランでシンガーとしてパフォーマンスをしているが、裏の顔はレストランのシェフ・ベティムの使いっ走りとしてドラッグを捌いていた

 

ベティムはわずかな金を与え、わずかな食事も提供する

だが、祖国に送るためのお金はそれだけで足りず、もっと稼ぐ必要があったのである

 

そこで、ロキタとトリはベティムの伝手で、大麻栽培の工場に紹介される

だが、そこでは2人は会うことも、電話をすることも許されず、そんな生活をかい潜ろうとして、更なる危険へと足を踏み込んでしまうのであった

 

テーマ:祖国愛と貧困

裏テーマ:感情の行末

 


■ひとこと感想

 

貧困の移民姉弟の物語で、ヤバい方向にしかいかない雰囲気が漂っていました

ドラッグの売人から、栽培に足を踏み入れるなど、落ちるところまで落ちてゆく感じがします

 

栽培に入ってから、外部から遮断されてしまうのですが、寂しさと不安から状況をきちんと把握できていない甘さがありました

基本的に重たいだけの話なので精神的にキツいのですが、基本的な素養がないと歯止めが効かないのだなと思い知らされます

 

映画は、この姉弟の行末を見守るだけの物語なので、少しばかり退屈に感じます

それでも、実際に大麻栽培の細かな描写があるので、嫌でも知識が頭に入ってきちゃいますね

何かの役に立つとは思えませんが、妙なリアリティが漂っている作品だったと思います

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

映画は、姉弟の物語なのですが、中盤からは大麻栽培マニュアルとなり、最後は命を賭けた脱出劇になっていました

ラストシークエンスの衝撃度が話題ですが、それ以外にも随所に「怖さ」を感じさせる物語でしたね

 

幼い子どもたちが知恵を絞って大人を出し抜こうとするのですが、さすがに限界がある感じでした

トリもロキタと再会するためにさまざまな工夫を凝らしていくのですが、行動力と想像力が伴っていない感じになっています

 

個人的に不思議に思うのは、祖国にいる母親をなぜ裏切らないのか?でしたね

関係は最悪で、お金が途絶えてもこちらにも来られないでしょう

向こうに残った兄弟たちのこともあるのでしょうが、ロキタが使えなくなったら別の子どもを寄越すのが、大人の考えのように思えます

 


子どもとドラッグ

 

映画では、移民のロキタが生活費と仕送りを稼ぐために、表向きはパブで歌を歌い、裏ではドラッグを捌いていました

ベティムから指定された場所に言ってドラッグを売り、その一部と食事を与えられていました

ちなみに、彼らはベルギーでそれを行っているのですが、ベルギーと言えば若者の麻薬使用事犯が急増している国で、外務省のホームページの注意書きにもきちんと書かれているアブナイ地域だったりします

2021年にアントワープの港で押収された麻薬は約90トンで、年間で7兆円から8兆円規模の麻薬が送り込まれていて、ヨーロッパの麻薬の入り口とまで言われています

 

映画では登場しませんが、ベルギー国内において、イースター(復活祭)に配られるウサギ形のチョコの中身が「エクスタシー」だったということもありました

税関職員がラマン分光法で化学物質を特定する装置で白いウサギをスキャンしたところ、その中身が「エクスタシー(MDMA=合成麻薬のこと)だった」のですね

ラマン分光法とは、物質に光をあてて「物質の分子構造や結晶構造を調べる」という方法で、その波長によって中身がどんなものかわかるというものです

アジレントという会社が「ハンドヘルド型SORSシステム」というものを開発していて、有害な麻薬性物質や向精神薬の検出が可能となっています

 

子どもがドラッグの犠牲になるというものも増えていますが、本作のようにプッシャー(麻薬密売人のこと)の低年齢化というのも指摘されています

多くは「自分が使うドラッグの費用を稼ぐため」というのが多く、日本でも若者の薬物乱用は増えていて、それに伴ってプッシャーの低年齢化というものも自然に起こっています

手段は様々で、「#⚪︎⚪︎」みたいなものが横行していて、SNSでググるというのが今風になっています

そのハッシュタグを見つけてページをクリックするだけでお誘いがくる可能性があるので書きませんが、無縁でいたい人は「ググらないこと」をオススメいたします

 


勇気と無謀の違い

 

映画は、トリと離れ離れになったロキタが、寂しさのあまりにヤバい行動をしてバレるという内容で突き進みます

予定調和のように、彼らのルールを犯したことで追われるのですが、この一連の行動は「無謀」にしか思えません

彼らにとっての勇気とは、現状を変えられるチャンスが来るまで待つというもので、短絡的な思考の先にはない概念であると言えます

 

ロキタがルーカスが指定したSIMでトリと話し、その会話とベティムの動きを追うことで、トリがロキタの居場所を突き止めます

そこから、トリがルーカスのSIMを使用して通信したことでバレてしまいます(ちょっとうろ覚え)

なんとかベティムを巻きますが、森の中を逃げたあと、ヒッチハイク3台目が運悪くルーカスが乗っている車でした

このシークエンスでも、かなり無計画に車を見つけようとしていたので、捕まるのは時間の問題だったように思えました

 

無謀と勇気を混同して、行動することが正義という風潮もありますが、行動は結果がある程度担保されていないと悲劇的な結末に突き進みます

2人の目的は「ビザを所得して仕事について、一緒に暮らすこと」だったので、随分と逸脱した結末になっています

彼らが歩む道は、どの道も目的地に向かうものではなく、これを不条理と説くか無知と説くかは見解の分かれるところでしょう

教育をまともに受けていないということもありますが、そういった事よりも、学ぶことの意味を理解していないことで不幸を呼び寄せているようにも思えました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

よく、なぜ勉強をしなければならないのか?という疑問を持つことがあると思います

自分が持たなくても、子どもが聞いてきて答えに苦慮するということもあります

日本の学校教育が「学ぶ」に該当するかというと、半分は正解で、半分は間違いだと思います

ある範囲における「記憶テスト」でしかない学校教育では、答えを探すのではなく「思い出すこと」を重視しているので、厳密に言えば「学ぶ場ではなく、覚える場」と言った方がしっくりきます

 

物語の冒頭で、ロキタがビザを所得するために「質疑の内容を覚える」のですが、これが日本の学校教育に近いものなのですね

彼女はそのような教育を受けていないので、そもそも「覚えることが苦手」でコツもわかっていないという状況になります

トリと申し合わせて物語を作るのですが、入管が得ている情報を知り得ないので、何度やってもボロが出るのですね

そうして、その繰り返しによって絶望が生まれ、自分のできることでなんとかしようと考えます

 

教育というのは、物語を認知する能力を育てる場であると考えています

どの教科でも、そこには物語、すなわちその内容に至った歴史というものがあります

点で示される事象をいくら覚えてもダメで、事象を取り巻く歴史を知ることで、その関連性が見えてくるのですね

なので、ビザにおける面接でも、トリのピンポイントの情報を覚えるのではなく、トリが生きてきた過去を丸ごと理解することで、覚えるべきことが自然と言葉になるのだと思います

 

ベティムとの関係においても、彼自身の物語の一部しか知らないために、彼の動きというものが読めなくなってくるのですね

そういった「目の前に見えるもの」の裏側にある潮流というものを理解できるようになると、視点というものが劇的に変わります

本来の学校教育というのは、この一連の物語をどのようにして早く認知し、そこから起こる未来をどのようにして予測するかを考える場であると思います

必要最低限のことは読み書きぐらいのもので、そこからは論理性と感性の構築に力を注ぐべきでしょう

 

このような教育の骨子は、生まれた国の教育方針によって定まってしまうのが世の常であると思います

残念ながら、日本では「思い出す教育」に力を入れているので、そこから派生する「物語教育」には無頓着であるように思います

本作は、単純に考えれば、起こるべくして起こった不幸を防げなかった無知な姉弟を描いています

共感をするも良しですが、それでは一過性のものにしかなりません

なので、この手の映画を見る際には、どうしたら2人は救われたのか、を彼らの視点や環境で考えることにしています

 

最適解というのはなくても、彼らの視点で物事を見ると、自分との間にある過不足が見えるのですね

その過不足が満たせるものか否かという思考実験を繰り返すことで、、新たな視点というものが生まれてきます

一般的には不要に思える過不足ですが、このような思考法は繰り返されることで精度と速度が増すものなので、どんなものを見ても利用することは可能なのですね

なので、一度騙されたと思って、試してみればいかがでしょうか

 

ちなみに私なりの考えだと、場を支配しているベティムの周囲を探り出し、彼の行動範囲を限定し、人間関係を観察します

また、入管対策として、トリが生まれてからロキタに出会うまでの話を整理して、トリがビザを取れた理由を見つけます

その基準とロキタに足りないものを見極めることで、入管がビザを発給する条件というものがわかると思います

実際には「ロキタを支持する人」もその最短ルートを知っていると思いますが、それがうまく機能していません

それが何故なのかをロキタの心が弱いからで済ますのではなく、トリの物語がロキタの中に落とし込まれていない理由にフォーカスしていくことが重要なのでしょう

 

ロキタの中に「家族に送金しなかればならない」という強迫観念があって、それが感情に悪影響を及ぼしているので、それをクリアするためにはベティムとの関係を再構築する必要があります(個人的にはこの親なら裏切れば良いのにと思ってしまうのですが)

なので、この二つの課題は同時に進行させ、未来のためにひとときの感情を犠牲にする意味を自分の中に落とし込まなければならないのかなと思いました

それができれば苦労はしないのですが、それしか道がなかったように思えますね

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/386265/review/b935ecff-dca8-43e3-b7e7-62c1536b4407/

 

公式HP:

https://bitters.co.jp/tori_lokita/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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