■「つ」の後に「。」があることの重要性を知ろう
Contents
■オススメ度
地方活性系の映画に興味がある人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.5.1(アップリンク京都)
■映画情報
情報:2023年、日本、84分、PG12
ジャンル:現実逃避した高校生が不思議な山の民と遭遇する様子を描いた青春映画
監督&脚本:U Inose
キャスト:(わかった分だけ)
山下万季(副島祐樹:カンニングをして山奥に逃亡する高校三年生)
(幼少期:井手祐理)
西谷星七(副島準:祐樹の優秀な弟)
(幼少期:片渕奏汰)
石橋征太郎(副島紳助:祐樹の父、茶房経営)
古賀海(由香里:祐樹の彼女)
青柳秀栄(ケンケン:祐樹の友人)
GAKU(ヒロ:祐樹の友人)
築山尚矢(ノッチ:祐樹の友人)
【山の民】
山田結月(サク:セックス依存症)
長谷川テツ(アキ:力比べに情熱を注ぐ男)
青花美永久(ニチカ:死にたいおばさん)
大坪紗耶(ソル:野良妊婦)
神山大和(チー:性別不詳)
高岡盛志郎(シャヨ:元レストラン)
デブコタ・ビシュヌ/Devkota Bishnu(タイラ:戦う男)
真山俊作(マシャン:彷徨う男)
【その他】
小柳仁美(クラスメイト)
エガワユウヤ(クラスメイト)
イケダカケル(クラスメイト)
マキヒナノ(クラスメイト)
ノダミウ(クラスメイト)
アキヤマハルカ(クラスメイト)
武富優太(ライバル高校生)
弓奏真(ライバル高校生)
佐野氏音(ライバル高校生)
フルカワシュンスケ(ライバル高校生)
ヨコゼキサキエ(TVのアナウンサー)
ニシムラヒロシ(インタビュアー)
Brian Kobo(英語教師)
キクチユウタ(担任の教師)
■映画の舞台
佐賀県のどこかの町
ロケ地:
佐賀県:嬉野市
https://maps.app.goo.gl/dY12HLLKffnaDa2Z6?g_st=ic
嘉瀬川河川敷(グランド周辺)
https://maps.app.goo.gl/rezvZSDoaFoX55HE7?g_st=ic
佐賀大学(本庄キャンパス)
https://maps.app.goo.gl/19QKXydHntBktmTi8?g_st=ic
副島園
https://maps.app.goo.gl/yU9DEzBE6tJN5BZn7?g_st=ic
佐賀県:佐賀市
龍谷中学校・高等学校
https://maps.app.goo.gl/Ye3juW2dCJqNgw767?g_st=ic
佐賀県:鹿島市
平谷渓谷
https://maps.app.goo.gl/4T7JLNAw967PTWzNA?g_st=ic
■簡単なあらすじ
佐賀の田舎町で暮らす高校三年生の祐樹は、優秀な弟と比べられる人生を過ごし、行き場のない憤りを抱えていた
大学受験を控えていた祐樹は、何とか大学に行こうとカンニングを企ててしまう
試験監督に見つかった祐樹は不合格となり、家族や友人たちにもバレてしまう
父と口論になり、弟の視線に耐えられなくなった祐樹は家を飛び出し、力の限り走り出した
彼がたどり着いたのは、幼少期の思い出が詰まった山で、そこには自給自足をしている人々が暮らしていた
協力しあって食糧を探し、それを分け合って生活する
そこには、この場所で生まれた者もいれば、祐樹と同じように俗世から逃げて辿り着いた者もいた
祐樹は、そこで様々な価値観にふれながら、人生を見つめ直すことになったのである
テーマ:人生の在り方
裏テーマ:青春と思い出
■ひとこと感想
佐賀県を舞台にした青春映画で、コンプレックスの塊のような主人公が踠いている様子が描かれていました
赤いパーカーを学ランの下に着るという、今でもあるのかなあと思ってしまうファッションセンスですが、佐賀あるあるなのかもしれません
弟と比べられて来た人生に辟易しているのですが、それは弟側も然りという感じで、その想いの食い違いというものが傷を広げているように思えました
受験でカンニングというのは愚かにも思えますが、バレることを前提にしているようなガバガバさで、敷かれていると思っているレールからはみ出したいのかなと感じました
映画は、佐賀県のオールロケで、地元で映画に参加したい人が集まって作られています
しかも映画は「英語字幕付き」で、エンドロールが全部英語&ローマ字表記になっていましたね
漢字がわからないと演者の特定は困難なので、カタカナ表記になっている人がいるのはご容赦くださいませ
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
拗れた青春が山の中で洗練されるという内容で、祐樹自身も人生について色々と考えを持っていました
大人たちは「大学」だの、「安定した職場」だの、そういったものに価値を置いていましたが、祐樹自身が何をしたいかを聞くことはなかったように思います
父親の仕事を腐すのは問題ですが、仕事に対する哲学というものは父親の背中を見て感じ取るものだと言えます
なので、祐樹から見れば、そこには自分が望み、憧れるような仕事観はなかったということになるのでしょう
でも、彼が父を見る目というのは「弟贔屓」という曇りガラスのようなもので、純粋には見られなかったのだと思います
映画は、山の中で自由に生きている人たちと「人生」について語り合うことになりますが、誰もが象徴的な言葉を祐樹に授けています
「あなたを見ると、置いてきた過去を思い出す」とか、仕事と環境についての哲学などにも言及し、高校生の祐樹にとっては多くのパラダイムシフトがあったのだと思います
■青春はなぜ自暴自棄に至るのか
本作は、優秀な弟を持つ兄の葛藤を描いていて、大学受験を受けるものの、叶わないと悟ってカンニングをする様子が描かれていました
彼が大学に行く理由はほとんどなく、行けと言われたから行くという感じで、一方では社会にまだ出たくないという願望があるように思えました
そんな彼は、カンニングがバレて行き場を失うのですが、その決定的な要因となったのは「弟から憐れみの表情で見られたこと」でしたね
それによって、家には居場所がないと感じ、「ここではないどこか遠くへ」を目指すことになりました
いわゆる衝動に任せた行動になっているのですが、青春期の視野の狭さというのは誰にでもあるものだと思います
その視野にはかなりフィルターがかかっていて、自分の見たいように見るというよりは、根底にある劣等感によって歪められてしまっていると言えます
弟に見下す気持ちがなくても、その表情の深読みをして、勝手に意味を規定してしまう
これが青春期における暴走のトリガーになりがちであると言えるのでしょう
これらがなぜ起こるかと言えば、単純には経験不足から来る想像の限界点であり、複雑に言うならば、深層心理による逃避行動であると言えます
弟の気持ちを確かめるのが怖いのですが、それは「自分が恐れている不安が現実だったらどうしよう」と思うからなのですね
それによって、「これ以上傷つきたくない」と言う反応になり、自分が耐えられる範囲の傷を自らが負うと言う形になって、そしてその痛みから逃れようとするのだと言えます
いわゆる精神的な自傷行為を行い、それによって、自分の耐えられるだけの傷を自分でつけて、その舞台装置を利用して逃避する、と言う流れになっています
人は傷つくことを最も恐れるものですが、青春期では「傷が人生に与える影響」を過大評価し、全てが規定されるような錯覚を持ちます
祐樹も「このカンニングによって人生は終わった」と感じていて、実際にそこまでの阻害がなくても、「父も弟も一生自分のことを蔑むだろう」と思い込むことになります
それらの感情が一気に噴出し、想像以上の力を発揮することになっていると言えるのではないでしょうか
■思い出の美化の功罪
その後、祐樹は森の中に逃げ込み、そこで自給自足の生活をしている集団と遭遇することになります
この森は、かつて弟と行ったことのある思い出の場所で、唯一と言って良いほど「弟との良い思い出が残っている場所」になっていました
彼はそこを目指していたわけではないけど、極限の心理状態によって、それを是正する何かを持ち合わせている空間に惹き寄れられているとも言えます
実際の思い出はどこまで彼を癒すかはわかりませんが、壊れてしまったように見える弟の関係において、彼自身が唯一安らぎを持てる場所として残っていた景色ということになるのですね
思い出は美化されると言いますが、良いことはさらに良い思い出になるし、悪い思い出はさらに悪い思い出になってしまいます
バイアスが掛かっているのですが、それが正常な心理というものになっていて、それが現実によって壊されてしまうと、さらに深く傷つくことになってしまいます
最後の防衛線のような効能があり、その強固さというものは「思い出自体を根本から塗り替える」だけの力を持っていると言えるでしょう
祐樹はその森で、多様な価値観に曝されることになりますが、これらは全て彼自身の深層心理が引き寄せているものになります
この場所で起きた出来事が現実かどうかはどうでもよくて、祐樹自身が多くの価値観に出会うことによって、内省を促して、精神的に強くなるゾーンに足を踏み入れていると考えられます
青春期における想像力の多様さというのは、インプットによって規定されますが、少ないインプットからでも、無限の組み合わせを作り出し、それによって、思わぬ思考と巡り会うこともあります
祐樹は「答え」を探しつつも、彼らとの会話(=実際には内省だと思われる)によって、自分が抱えていた問題の小ささを知ることになったと言えるのではないでしょうか
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
その後、祐樹は森から抜け出し、弟の元へと辿り着きます
そこでは兄の不在によって日常が歪められた弟がいて、それを助けることになります
精神的などん底を味わった祐樹は、弟との元の関係を渇望しながら、弟にとってのヒーローでありたいと願います
でも、最終的には、弟を守るのではなく、戦うことによって、存在価値を示すという流れになっていきます
これは、兄弟という関係性から、男同士への関係性へと変化していて、それは男性としての本能であるように思えます
それらの戦いにおいて、祐樹は弟を打ち負かすことで存在感を示すことになり、それがトラウマの払拭へとつながっていきます
学力や知力では勝てないとなると、そこに物理的な力関係を求めようとする
これは祐樹自身のアイデンティティを形成する素になっている考え方なので、不器用だとしても、これしかないという感じになっていました
映画のタイトルは「つ。」で、これは佐賀県の言葉で「かさぶた」という意味があります
かさぶたは傷ついた肌の上に形成されるもので、時期がくれば自然と剥がれ落ちるものなのですね
そして、肝心なのは「つ」の後に「。」がついていることだと言えます
いくつもの自己否定や傷つく未来があったとしても、この傷はこれで終わりという意味があって、それゆえに「。」で締めくくられています
いわば、カンニングから始まった劣等感の精神的闘争というのは、弟への威厳と距離感を確認することで終わる、という意味になると思います
そういった意味において、今後も多くの問題が噴出することは目に見えていますが、一つの課題をクリアしたということで、文法的にも完結しているということを伝えたいのかな、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/99877/review/03773311/
公式HP: