■霧の淵に棲んでいるものは、己の中に棲んでいるものと同じであると思います


■オススメ度

 

限界集落の現状を感じたい人(★★★)

静かな映画が好きな人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2024.5.2(アップリンク京都)


■映画情報

 

情報:2023年、日本、83分、G

ジャンル:娘目線で描く寂れた旅館の行末を描いたヒューマンドラマ

 

監督&脚本:村瀬大智

 

キャスト:

三宅朱莉(イヒカ:旅館一族の娘、12歳)

水川あさみ(咲:結婚を機に旅館を継いだイヒカの母)

 

堀田眞三(シゲ/シゲ兄:イヒカの祖父、咲の義理の父)

 

三浦誠己(良治:別居中のイヒカの父、町役場勤務)

 

杉原亜実(旅館に泊まる学生)

中山愼悟(旅館に泊まる学生)

宮本伊織(旅館に泊まる学生)

 

大友至恩(達也:地元の少年、イヒカの同級生)

 

清家麻里奈(達也の母?)

音羽苺南(良治の同僚?)

 

春増薫(ヤスタケ:地元民)

辻芙美子(地元民、咲の知人)

 


■映画の舞台

 

奈良県:川上村

https://maps.app.goo.gl/YVMbGHpjkjKw89oPA?g_st=ic

 

ロケ地:

奈良県:川上村

料理旅館 朝日館

https://maps.app.goo.gl/Bu8TPvai8MKD2sNc6?g_st=ic

 

川上村役場

https://maps.app.goo.gl/d12wZVxRkSTNHTNt9?g_st=ic

 

大滝ダム

https://maps.app.goo.gl/Top1SiRuRa83rXNc6?g_st=ic

 

大峰山入り口(このあたり)

https://maps.app.goo.gl/mwfGuZwFACtSVwTh6?g_st=ic

 

大迫ダムつり公園

https://maps.app.goo.gl/tskXmFDGjh8beQEb6?g_st=ic

 

NûûNcamp(達也の母の営むカフェ)

https://maps.app.goo.gl/hhq542sHmQSVpeQe8?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

かつて吉野川の源流にて林木業が盛んだった川上村では、作業員や観光客で賑わいを見せていた

今ではほとんどの店が閉まり、料理旅館の朝日館も閑古鳥が鳴く始末だった

旅館の娘イヒカはもうすぐ中学生になるが、新学期を迎えるまでの暇を持て余していた

旅館はイヒカの母・咲と祖父・シゲで営業していて、父・良治は離婚寸前の関係になっていた

 

ある日、学生たちが村の取材にやってきて、いっときの賑わいを見せていく

イヒカも案内役となり、かつて栄えていた映画館などを案内することになった

学生たちが帰り、日常が戻ってきた矢先、今度はシゲ兄がどこかへ消えてしまう

 

母とイヒカはシゲ兄の実家へ行ってみるものの、そこには誰もいない

旅館はシゲ兄の力無くしてはできないこともあり、母は旅館をどうするのかを迫られてしまうのである

 

テーマ:霧の向こう側

裏テーマ:あの日に会える場所

 


■ひとこと感想

 

奈良県の奥深くの村の話という知識だけを入れて参戦

寂れた村にある旅館の物語ですが、女将目当てで人が殺到しそうな気がしないでもありません

イヒカの母と祖父で切り盛りしている旅館ですが、劇中ではどこかの大学生グループが遊びに来るぐらいしか稼働していないように見えます

 

映画は、かなり静かな内容になっていて、イヒカがほとんど喋りません

冒頭で両親の離婚話が持ち上がっていましたが、どうやら原因は父とその同僚の関係性にあるようでしたね

山に行った時に女性が声をかけた時にイヒカが睨んでいたと、その時の父の挙動不審さというものが際立っていたように思います

 

物語は、旅館の日常と村の様子、そしてかつてどんな村だったのかが再現されるシーンがありました

CGなのか美術班が頑張ったのかわかりませんが、灯りの灯っている旅館の前の景色はとても綺麗でしたねえ

自然に囲まれていますが、普段何をして過ごすんだろうと思ってしまいました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

映画は、両親の離婚騒動を機に旅館をどうするのかという問題が立ち上がり、「シゲ兄と頑張る」と母親が啖呵を切るシーンから始まります

そのシゲ兄がどこかに行ってしまうのですが、最後までどこに行ったのかはわからないようになっています

 

映画は、冒頭の両親のシーンから「見えない相手のセリフ」というものが多用され、二人の関係性を映像ではあまり見せないように演出されていました

この観点からすれば、「霧の力」によって、シゲ兄は「隠れた」のだと思います

それがどこかはわかりませんが、イヒカはシゲ兄と会う方法に気づいている、という感じになっていました

 

物語は、実に淡々としていて、自然光が中心のためにかなり暗めの作りになっています

演者全員の顔が映っているわけではないので、キャスト名でググっても一致しているかわからない人物が何人かいましたね

パンフレットは充実しているので、現地ガイドのようなことになっていますが、冒頭の母親の話し相手が本物の旅館の女将さんというのは驚きでした

 


過疎地に遺るもの

 

本作は、かつて栄えた地域の集落を描いていて、その場所に留まって生活している様子を描いていきます

わずか1週間程度の物語ではありますが、その間に旅館を訪れたのは大学生の研究グループだけになっていました

この土地では、林業が盛んで、吉野川を利用して下流に木材を運ぶことで栄えてきました

そこに雇用が生まれたことで、宿泊する人もいるし、越してくる人もいるし、その土地に訪れる人もいたりします

 

人間は様々な土地で暮らし、その経済状況によってインフラが整備され、生活圏というものが形成されます

それらは住人ひとりあたりの経済効果と負担を天秤にかけることになりますが、マイナスに転じた状況で悪化の一途をたどります

この村のように「林業が不要」という根幹が揺るがされると、生活圏というものは一気に縮小していくことになります

そこに残されるのは、その場所でしか生活できない人々なのですが、最終的には個人の意思によって、その土地に残るかどうかという選択を迫られることになります

 

映画では、かつての街並みを再現するシーンがあるのですが、この村の栄えていた頃との対比というのは残酷なものがあります

あの風景に戻ることはなく、たとえこの映画がバズったとしても、それは一過性のことになってしまいます

そこに根付く生活圏の形成というものは、抱えられるだけのキャパも必要ですし、何よりも永続的に需要が見込めないと厳しいのですね

今の日本は「全国的に人口が減っている」という状況があるので、地方への流出も生まれず、都市圏の存続も危ぶまれていくので、少しずつ生活できる人が減ってしまう現状は止められないものだと思います

 

その土地には生活圏の名残というものが残りますが、人が住んでメンテナンスをしていかないと、やがては自然に帰ってしまいます

それを阻止するべきかは一概に言えませんが、人が一人では生きていけないのと同じように、自然の摂理なのかなと思ってしまいます

都会の喧騒に苦しむ人や、余生を田舎でというアプローチもありますが、ひとりで動けないからこそ扶助が必要になるので、現実的な解決策ではないように思えます

本来の生活圏を取り戻すには、そこに雇用が必要なので、それが生まれて、循環的なものが生まれてはじめて、少しずつ変わっていくものなのかな、と感じました

 


シゲ兄はどこへ行ったのか

 

本作の途中から、旅館の経営者シゲ(シゲ兄)が行方不明になり、その存続が危ぶまれる事態になっていきます

最終的に彼がどこに消えたのかは明示されませんが、シゲ兄の言葉を借りれば、「霧の中に隠れた」ということになります

映画では、初期の認知症を思わせる症状がありますが、シゲ兄としては、自分が死んだ後にどうなるのかというものを事前に知りたかったようにも思えてしまいます

 

旅館はシゲ兄と母で切り盛りしていますが、あの稼働率でシゲ兄がいないと成り立たないという前提があります

それは母親ができないことがあるというもので、それが力仕事の類ではないのだと言えます

それらを誰かが代わりにできるものか、そうでないのかはわかりませんが、母もその夫も「無理だ」という共通認識があり、それは旅館経営には外せないものかもしれません

 

彼がどこに行ったのかは気になるところですが、財布などを持って出ているということは、目的があって出かけたと解釈しても良いのでしょう

あの状況からいきなり認知症が悪化して徘徊行動に移るというのはリアルではなく、シゲ兄の視点から見れば「旅館が存続していることが咲とイヒカをそこに縛っている」ようにも見えます

そこで、「もし自分がいなくなったらどうなるのか」というものを確かめたかったのではないかと思えるのですね

擬似的に自分がいなくなって、咲はどのような選択をするのかというのを「死後に放置できない」ので確認するという感じでしょうか

良治が慌てないところを見ると、彼は居場所を知っている可能性があり、それはシゲ兄と良治によって計画されたものかもしれません

それらは「咲の現実的な決断」を促すことになりますが、同時にイヒカの未来を考えるきっかけにもなります

そうすることによって、それでもこの土地に留まり続けるのかを突きつける意味があったのではないかと感じました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

映画の主人公であるイヒカは「井氷鹿」と書き、日本神話に登場する神様の名前として知られています

国津神のひとりで、神武天皇が東へ遠征した際に吉野に入り、そこで井戸から出てきた尾のある人に出会ったという逸話がありました

「光りて尾あり」と記述され、神武天皇が「お前は誰か?」と尋ねたところ、「私は国津神で、名を井氷鹿」と答えたとされています

この頃の井戸は現代人がイメージする井戸とは違い、川岸に桁(木組の堰)のようなものであり、「川から上がってきた」という意味に近いものがあります

 

井氷鹿の古事記による登場は、

「尾のある人、井より出て来たりき。その井に光ありき。
ここに「汝は誰ぞ」と問ひたまへば、「あは国つ神、名は井氷鹿と謂ふ」と答へ曰しき。こは吉野首等の祖なり。」

という一節で示されています

熊野から八咫烏に導かれて吉野川の下流に出てきた神武天皇が出会ったもので、井氷鹿は「進軍の勝利を祈願した」とされています

井氷鹿は川上村にある井光神社(いかりじんじゃ)に祀られている神様であり、この引用がなされているのは偶然ではないと思います

 

この引用の意味を考えると、彼女は咲の行く末を占うものということになると思います

言い換えれば「井氷鹿」がどこにいくのかによって、咲の人生が変わるというもので、咲もイヒカに対してどうしたいかを尋ねることになっていました

その後の二人の選択を考えると、そこに留まることに決めたのだと思いますが、おそらく旅館というものは廃業の方向に向かうことになるのだと思います

 

この土地で暮らすことは相互扶助によって可能で、食堂のような憩いの場所に変えることも可能だと思います

昼は食事処、夜は宴会もできる居酒屋のような感じで、食材に関しては持ってきてもらったものを料理するという手もありでしょう

咲には「料理を作る」という技術があり、それは何者にも代え難い財産であるように思います

なので、自分にできることと、求められていることをしっかりと見極めていくことで、自分なりの生活圏を築いていくことができるのだと思います

 

井氷鹿はどこにも行かない存在なので、その土地にいれば彼女らを守ってくれるでしょう

それを考えれば、無理に動いてしまうよりは、その場所を守るために生きることで、その加護を受けられるのかな、と思ったりします

実際には困難な道だと思いますが、それを貫くための意思というものは誰にも妨げられないものでしょう

なので、咲の決意が固まれば、その意思によって、為されることの方が多いと思うのは、自然なことかもしれません

シゲ兄が知りたかったのは、そういったところなのかな、と思いました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/100518/review/03777728/

 

公式HP:

https://kiri-no-fuchi.com/#

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投稿者 Hiroshi_Takata

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