■彼が月を飾ったのは、心を持っていると思っていたことの立証になっているように思えます
Contents
■オススメ度
障害者施設の事件を知りたい人(★★★)
優生思想について考えたい人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.10.19(京都シネマ)
■映画情報
情報:2023年、日本、144分、PG12
ジャンル:ある人里離れた場所にある重度障碍者施設を巡る事件を描いた社会派伝記的映画
監督&脚本:石井裕也
原作:辺見庸『月(角川文庫、2017年)』
キャスト:
宮沢りえ(堂島洋子:重度障碍者施設「三日月園」で働き始める女性、書けなくなった小説家)
オダギリジョー(堂島昌平:洋子の夫、映像作家)
磯村勇斗(さとくん:「三日月園」の介護士)
長井恵里(祥子:さとくんの恋人、聴覚障碍者)
二階堂ふみ(坪内陽子:小説家志望の先輩介護士)
鶴見辰吾(坪内昭雄:陽子の父)
原日出子(坪内久美子:陽子の母)
大塚ヒロタ(山村:先輩介護士)
笠原秀幸(水谷:先輩介護士)
モロ師岡(田所:三日月園の園長)
板谷由夏(会沢友子:洋子の友人、産婦人科医)
高畑淳子(入所者きーちゃんの母)
戸田昌宏(編集者)
遊佐亮介(マンションの管理人)
奥瀬繁(入所者)
比佐仁(入所者)
高根沢光(入所者)
福田航也(入所者?)
大城麗生(入所者?)
廣田裕貴(入所者?)
田中峻(入所者?)
田又一志(ロレレと喋る入所者)
川端里奈(入所者)
■映画の舞台
日本某所
重度障害者施設「三日月園」
ロケ地:
和歌山県:有田郡
DINING Cafe&Bar BUZZ
https://maps.app.goo.gl/E27hjpScPTvfCXvHA?g_st=ic
和歌山県:和歌山市
和歌山県立医科大学 薬学部
https://maps.app.goo.gl/3u8zozXaquWXFMBw8?g_st=ic
花山ママクリニック
https://maps.app.goo.gl/LvpDU4R1QfgKdDSo7?g_st=ic
神奈川県:相模原市
KickBoxing G1TEAM TAKAGI
https://maps.app.goo.gl/meAZf437dUwtXzsNA?g_st=ic
■簡単なあらすじ
かつて東日本大震災を題材にした作品で有名になった作家の堂島洋子は、あることがきっかけで書けなくなり、森の奥にある重度障害者施設にて働くことになった
夫・昌平は映像作家として、趣味の範囲で作品を作っているが、それで生活ができるほどではなかった
施設は個室に分けられて鍵がかけられていて、厳重に管理されていた
先輩にあたる若い介護士のさとくんは紙芝居で入所者を楽しませようとしていたが、同僚の山村と水谷は良い顔をしない
それだけでなく、何かに理由をつけては虐待をしている
洋子の案内役を頼まれたのは小説家志望の陽子で、彼女は嘘が嫌いで、事実を小説に落とし込もうとしていた
彼女は敬虔なキリシタンであるものの、善人ぶっている両親を忌み嫌っていて、酒が回ると正論を吐いて周囲を沈黙させてしまう
そんな折、洋子の妊娠が発覚し、彼女のトラウマが顔を覗かせてくる
洋子はかつて、3歳で息子を亡くし、その悲しみから脱去できずにいる
そして、息子には障害があり、それが今を生み出してもいた
産むべきか悩む中、洋子はさとくんの行動の異変に気づいていくのである
テーマ:人としての境界線
裏テーマ:優生思想が生む混沌
■ひとこと感想
何かの事件をモチーフにしているイメージはありましたが、事前情報はあえて入れずに参戦しました
森の奥にある施設で、そこの入所者を見ていると舞台設定がわかり、さとくんが登場したあたりで、「あの事件では?」となんとなく察することができる感じになっています
原作は未読ですが、モチーフとなった事件は知っているという感じで、でも詳細については知りません
なので、事件の詳細が暴かれていく中で、犯人の心理的な変化というものが見えてきました
根底にある「隠そうとする意識」というものがあって、それは長い歴史の中で生まれてきたものではありますが、今でもその名残というものは残っています
実際に施設を訪れたことはなく、映画やドキュメンタリーなどの知識しかありませんが、そのわずかな情報で補完することの危険性も感じてしまいます
さとくんの思想は誰もが一度は通る道のように思え、でも実行に移すかどうかはまた別の問題のように思えます
後半で正論を吐くシーンがありますが、だからと言って誰もが同類であるとも言えないと感じました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
実際の事件がモチーフなのでネタバレがあるのかは何とも言えないのですが、ネタバレ境界線としては、さとくんが実行に移す綿密な過程ということになります
この伏線として、洋子の夫・昌平のアルバイトのエピソードがあり、一線を越える人とそうではない人の境目というものが描かれていきます
洋子と同じ名前(漢字は違う)の陽子はリアルを小説の題材にしようとしますが、あまりにも残酷な現実から作品に仕上げることはできません
映画では、洋子が作品を完成させるのですが、これが原作の「きーちゃん目線の小説」になるのだと感じました
そこに真実があるのかはわからないけど、きーちゃんの目線に立てば何が見えるのか
それは「洋子が見ているさとくん像」と何が違うのかというところに行き着くのかもしれません
■モチーフになった事件について
原作のモチーフになったのは、いわゆる「津久井やまゆり園事件」で、正式には「相模原障害者施設殺傷事件」と言います
2016年7月26日に実際に起こった事件で、場所は神奈川県相模原市の緑区にある「津久井やまゆり園」という知的障害者福祉施設でした
犯人は植松聖、事件当時26歳の元施設職員、被害者は施設入所者の死者19人、負傷者は施設職員も含めた26人の合計45人でした
犯行動機は「意思疎通のできない重度の障害者は不幸かつ社会に不要な存在であるため、重度障害者を安楽死させれば世界平和につながる」というものでした
2016年7月26日の午前2時38分、やまゆり園にて「刃物を持った男が暴れている」という通報が所轄に入ります
事件に気づいた職員が非番の職員にSNSで連絡し、通報に至っています
死亡したのは、いずれも同施設の入所者で男性9人、女性10人でした
事件後の午前3時過ぎに、現場所轄の津久井署に加害者・植松聖が出頭し、緊急逮捕に至っています
植松聖は、裏口から侵入し、当直職員を結束バンドで縛って、職員の目の前で殺害を行なったとされています
被害を免れた入所者が職員の結束バンドを切り、また当直職員が部屋に立てこもっていたことがわかり、植松は通報を恐れて襲撃を中断して逃走していました
植松聖は1990年生まれの男性で、帝京大学文学部を卒業し、教員にならないまま運送会社で働き始めます
そして2012年に「津久井やまゆり園」に非常勤職員として採用、2013年から常勤職員として働いていました
その後、彫り師修行を始めるものの破門され、2015年にあ障害容疑で書類送検もされています
2016年頃、「ニュー・ジャパン・オーダー(新日本秩序)」と題して、「障害者殺害」「医療大麻の解禁」「暴力団を日本の軍隊として採用」などの計画を記した文書を書き残し、同級生に対して「革命」という言葉を繰り返し使っていました
そして、衆議院議長の大島理森宛に「犯行予告」なるものを送ったとされています
それには「津久井やまゆり園」と同県内厚木市内の障害者2施設を標的として名指し、具体的な手口の記述、260名が目標で、達成したあとに自首する、などが書かれていました
また、逮捕後は心神喪失で無罪にして、2年以内に釈放し、5億園の金銭を支援し、自由な生活を送らせること、新しい名前の獲得なども書かれていて、国の確約が欲しいという記述もありました
さらに、内閣総理大臣・安倍晋三宛ての手紙も自民党本部に持参していたとされています
これらの手紙を受けて、所轄の津久井警察署に連絡が入ります
署員が来園し、総務部長が対応、手紙に関しては見せなかったとされています
2016年2月18日、植松は勤務中に同僚職員に「重度の障害者は安楽死させるべき」という発言をして、その主張を変えなかったことから同施設は警察に通報、津久井署は「他人を傷つける可能性がある」として、精神保健福祉法23条に基づく通報を行い、相模原市は北里大学東病院への措置入院を決定します
これにより、植松聖は「自己都合による退職」となり、犯行当時は無職になっていました
同年3月2日、医師の判断にて「他人を傷つける恐れがなくなった」という理由で退院させられています
事件の詳細はウィキペディア他、そのページの概要にたくさんの引用リンクがあるので、興味のある方はググってください
■優生思想とは何か
本作に登場する「優生思想」とは、19世紀頃から生まれた「優生学(Eugenics)」を基礎とする考え方になります
「優生学」は「進化論と遺伝学を人間に当てはめ、集団の遺伝的な質を向上させる」という目的があり、19世紀末にフランシス・ゴルトン(Sir Francis Galton)というイギリスの遺伝学者が提唱しています
これには「悪質の遺伝形質を淘汰し、優良な遺伝形質を保存する」という目的があり、「生殖適性者」に生殖を積極的に促し、「生殖に適さない人」への結婚の禁止、強制不妊手術などが考案されていました
「生殖に適さない人」は、障害者、犯罪者、少数民族などが含まれることが多かったとされています
優生学に基づいた政策は、特にアメリカ、ドイツ、北欧、スイス、カナダ、日本で実施されていきます
日本では「国民優生法」が1940年から1948年、「優生保護法」が1948年から1996年まであって、精神疾患、ハンセン病患者の断種手術、人工妊娠中絶などが行われてきました
アメリカでは、1896年のコネチカット州をはじめとして、「精神障害者の結婚を制限する法律」というものが可決されていきます
1907年にはインディアナ州にて世界初の断種法が制定され、精神障害者の強制不妊手術を法的に認めることになります
これに同調した州が可決し、1924年までに約3,000件の断種手術が行われていました
カリフォルニア州ではその内の2,500件が行われたとされています
アメリカではその後も知的障害者に対する断種が1970年代まで続きます
これまでに全米33州にて、6万人が強制断種手術を受けさせられたという記録があります
この動きに変化が出たのは、1960年代頃から始まった公民権運動とされています
1980年以降、集団に対する優生政策は行われなくなり、孤児の自己決定による子どもの病気の予防としての「リベラル優生学」が実践されるようになります
これは出生前診断を行なって、個人の自己選択による人工妊娠中絶を行うか、着床前診断によって、病気を持たない胚を選択するという形で残っています
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、意欲的な作品ではあるものの、賛否を呼ぶ内容となっています
それは、さとくんの主張に正当性が見えてしまうところで、この思想に感化される人間が出てくるのでは、という懸念が払拭されないからだと言えます
映画では、表現者としてのさとくんの思想の発露を描いていき、洋子が反論するという展開を迎えます
でも、この思想対決はどちらかというと洋子の負けのように見えてしまうのですね
さとくんの優生思想は否定すべきものですが、それよりも「思想と行動の間にあるもの」をもう少しちゃんと描くべきだったと考えます
と言うのも、誰しも同じような考えに陥ることはあり、それが差別意識に繋がっている事実があります
思想に関しては自由という建前があるものの、人権には配慮しましょうというのが現代社会で、思想強制をすることは難しいと考えられます
なので、思想から実行に至るまでの過程において、どれだけ乖離があるのかというのを明示する必要があったように思えました
優生思想を無くすこと自体は難しく、差別意識も倫理的な側面の努力目標の域を出ません
それ故に、実際の被害が起こらないような方策というものが必要となり、今回のケースではそれを防げなかったのはなぜかというところに着目すべきだったように思います
あの現場で何かができたかはわからないものの、フィクションに寄せるなら、洋子自身が差別と優生思想を認め、それでも「自分はそうはしない」という理由を述べることになると考えられます
最終的にさとくんは実行に移すのですが、その理由は「自分はあっち側ではないことを証明するため」に近いものがありました
さとくんの思う「あっち側」とは、社会の役に立たない人間のことで、税金で生きながらえている人のことを言います
また、彼らには「心がない」と考えていて、それが「さとくん側のフィルターによって見えていない」のが、「本当に心というものがないのか」という議論になるのですね
無論、心がないということはなく、「心がないと思うことで行動を肯定している」ので、それを突きつける必要があります
実際には「それによって衝動的に行動を起こす」とは思うのですが、映画ではその問いかけ自体に意味があると思うのですね
なので、そのあたりの掘り下げが甘く感じて、それゆえにさとくん側の論理に正当性が残ったままになってしまっているのだと思います
史実ベースでどんな人物だったのかというのは、供述や行動から読み取るしかありませんが、実際にどうだったのかは検証のしようがありません
単に、自分の力を誇示したいという承認欲求かもしれませんし、暴力衝動の発露を求めただけかもしれません
思想というのは時に行動を規定しますが、その乖離が起こるのも人間の特質なので、自分の行動や思想の論理的かつ倫理性を持たせようと熟考することで、答えのようなものに辿り着いてしまいます
映画を観ただけの感想だとこれ以上は言えませんが、さとくん以外の人間もどこか狂っているところがあったので、その分だけ「さとくん自身の狂気性」が薄まってしまっているように感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
公式HP: