■沈黙の後に来るものが虚無であってはならないのかな、と感じました


■オススメ度

 

美に対する考察映画が好きな人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2024.11.28(MOVIX京都)


■映画情報

 

情報:2024年、日本、112分、G

ジャンル:贋作騒動を巡り、数十年ぶりに再会した男女を描いたヒューマンドラマ

 

監督:若松節朗

脚本:倉本聰

原作:倉本聰

Amazon Link(公式メモリアルブック)→ https://amzn.to/3ZtWymp

 

キャスト:(わかった分だけ)

本木雅弘(津山竜次:かつて天才画家と呼ばれた男)

   (少年期:田村奏多

   (高校時代:小島佳大

Mar(愛犬ゴヤ)

 

小泉今日子(田村安奈:修三の妻、竜次のかつての恋人)

   (高校時代:小野晴子

石坂浩二(田村修三:世界的に有名な画家)

 

中井貴一(碓井健司/スイケン:美術愛好家を名乗る謎の男、元料理人)

清水美砂(牡丹:竜次が刺青を彫った女、小料理屋「風花」の女将)

菅野恵(あざみ:竜次を慕う「マロース」のバーテンダー)

村田雄浩(半沢三郎:竜次の主治医)

 

仲村トオル(清家:美術鑑定の権威、元中央美術館の館長)

小早川真由(福原涼子:東京美術研究室のスタッフ)

三浦誠己(伊吹:清家と親しい記者)

 

寺泉憲(丸山:大日新聞の局長)

萩原聖人(村岡肇:貝沢市立美術館の館長)

久保隆徳(大井誠:貝沢市の副市長)

田中健(杉田勝:「落日」を所有していた画商)

 

佐野史郎(桐谷春彦:文部科学大臣)

 

三船美佳(修三行きつけのスナックのママ)

津嘉山正種(安奈の占い師)

 

中村育二(小原:東京美術館の館長)

伊藤洋三郎(水野:修三の秘書)

舘野将平(木内:修三の弟子)

工藤俊作(東京美術館のスタッフ)

金児憲史(東京美術館のスタッフ?)

飯沼千恵子(美術展の記者?)

森本のぶ(会見の追及記者)

岸端正浩(会見の追及記者)

 

東誠一郎(源三:小樽の漁師?)

みずと良(万次:小樽の漁師)

山本浩貴(小樽「マーロン」のバーテンダー?)

土居優癒(小樽「マーロン」のバーテンダー)

ナウモフドミトリー(「マーロン」の演奏者)

北川翔(「マーロン」の演奏者)

 

川島潤哉(竜次を追う刑事)

Christophe Bernard(インターポール)

Marvin Charlery(インターポール)

 

秋里由佳(佑子:蝋燭職人、安奈の弟子)

有岡貴恵(伴子:安奈のスタッフ?)

名倉七海(安奈の担当美容師)

 

柳下晃河(諏訪湖の少年)

竹内一加(諏訪湖の少年)

堀井美香(秋田有紀:テレビのリポーター)

 

熊耳宏之(?)

水津聡(?)

石黒洋平(?)

大山茂樹(?)

森下千絵(?)

松本銀二(?)

 

清水叶翔(?)

大塚かなえ(?)

鈴木あゆみ(看護師?)

八重澤ひとみ(?)

津田恭佑(花屋?)

渡辺すばる(?)

沖舘唯(?)

彩亜夜光(?)

 


■映画の舞台

 

東京:都心(丸の内近辺)

長野県:諏訪湖

北海道:小樽

 

ロケ地:

北海道:小樽町

小樽朝里クラッセホテル

https://maps.app.goo.gl/oVUjL6wBxhgQVtKt7?g_st=ic

 

北海道:札幌市

Prince Hotel Sapporo

https://maps.app.goo.gl/g6mu5PMJ59718mug9?g_st=ic

 

埼玉県:加須市

サトエ美術館(田村邸)

https://maps.app.goo.gl/ZMinemrHWj7wWuja9?g_st=ic

 

東京都:千代田区

東京国立美術館

https://maps.app.goo.gl/wnrp6bB8a76oYLhq6?g_st=ic

 

埼玉県:川越市

料亭山屋

https://maps.app.goo.gl/4mtzFb12Y73CywQx7?g_st=ic

 

東京都:新宿区

神楽坂 別邸 鳥茶屋

https://maps.app.goo.gl/ngLNszNgop6yP6JKA?g_st=ic

 

東京都:渋谷区

246Lounge

https://maps.app.goo.gl/YBAZw58Njzc9LVT4A?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

東京美術館にて、世界的な画家・田村修三を含めた著名な作家の展覧会が行われることになった

現場に文科省の大臣まで駆けつける大規模なもので、修三とその妻・安奈も現場へと向かうことになった

 

館長の案内でフロアを見て回った修三は、ふと自分が描いた「落日」に違和感を覚えた

大臣と記念写真を撮り、評論家の絶賛評が集まる中、どうしても気になって仕方のない修三は、式典を終えてから「落日」をじっくり見ることになった

職員たちは訝しがるものの、修三は突然「これは私が描いた絵ではない」と言い出す

 

本人による贋作の申し出があったものの、美術館は展覧会の期間は緘口令を敷こうと考えていた

絵を所蔵していた貝沢市の館長も現場に駆けつけ、絵の入手経路などを探っていく

だが、修三は唐突に会見を開き、期間中にも関わらず、贋作が展示されていると訴えるのである

 

その後、貝沢市の館長は自殺を図り、妙な遺書を遺していく

通夜に足を運んだ修三と安奈だったが、突如謎の男から修三に電話が入った

その男は遺書を読み上げ、意味深に「美術愛好家ですよ」とだけ答えた

 

テーマ:美と価値の相関性

裏テーマ:探し続ける赤の正体

 


■ひとこと感想

 

贋作者が主人公の作品で、因縁のある相手、かつての恋人などとの再会があるぐらいの知識で鑑賞してきました

倉本聰と言えば『北の国から』ですが、普段テレビを見ないので、あの歌とじいさんと子どもが出ているというぐらいしか知りません

その層向けの作品で、とにかく舞台は北なんだなあと思って観ていました

 

映画は、ある有名作家の絵に贋作騒動が持ち上がるのですが、劇中では「贋作=模写」ではないという前提があるので、その違いがわからないと意味不明に思える場面がありました

主人公は竜次なのですが、彼の登場もかなり中盤の方で、冒頭はかつての恋人が占い師からそのことを思い出させられるという感じになっていました

彼女がどうして占い師と話しているのかは分かりませんが、彼を思い出させるだけなら、贋作発覚からでも問題なかったりします

 

スイケンという謎のキャラが主人公以上に動くのですが、公式ファンブックを読むとその関係性はよく分かりますね

映画でそれを理解しろというのは無理な話で、どうみても竜次と修三の先輩の門下生のようにしか見えません

また、小樽で死んだ女将の自殺理由がよく分かりませんでしたね

お金を渡していた人物はおそらくカタログをしてもらっている謝礼なのですが、それを突き返す理由も分かりません

自分よりも若い女が跡を継ぐことに嫉妬したのかもしれませんが、だとしたらあまりにも希薄すぎるように思えました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

本作のネタバレはさして大したものはなく、贋作だと思われていたものは「模写に手を加えたもの」ということになっていました

その絵がきっかけで安奈と再会することになったのですが、安奈と再会したいから描いたというものではなく偶然の産物だったように思います

修三が展示されるまで自分の絵を見ないというのも意味がわからないのですが、それでは劇的なドラマにはならないので敢えてそうしたのかなと思いました

 

テーマとしては、美しいと思ったものとそれに付随するものの関係性が描かれていて、作者不詳だろうが美しいものは美しいという感じになっていましたね

でも、世に出るためには名前が必要で、個人所有の自己満足が日の目を見ることはありません

それを考えると、誰が描いたかというものは意外と重要であると思います

自殺した館長が修三の絵だと知らずに見ても同じことを思ったのか分かりませんし、そもそも彼が見ることもなかったように思えました

 

映画は、竜次が探している赤の正体を探るものですが、それが出てくるのはかなり後半に差し掛かってからになっていました

それが海に沈みゆく両親が見た最後の炎ということになるのですが、それを血飛沫で表現するのは前時代的な感じがしますね

基本的には恋愛映画だと思いますが、安奈と刺青を掛け合わせるのならば、あの時逃げた後悔であるとか、竜次を捨てて修三を選んだ経緯の方をクローズアップした方が良かったように思いました

 


美とは何か

 

美という概念は非常に主観的なもので、これまでに美しいとされていたものは、一部の人の感覚が広まったものとも言えます

時代によって美の概念も変わり、流行などのサイクルもかなり速くなっていますが、それによって回帰する速度も速くなっています

映画では、絵画に関する美というものを取り扱っていて、主人公・津山が感じる美とは「海から見た陸の炎」であることがわかります

あの赤はどこで見たものなのかを追求するうちに辿り着くのですが、彼が見た炎を同じように美しいと感じるかは人それぞれであると思います

 

津山が見た炎の赤は、言うならば人が最期に見た光であると言えます

彼の両親が死ぬ間際に見た迎え火ですが、見方によっては絶望の炎にも思えます

それでも、その炎の先に彼らが見たものを理解できれば、それを美しいと思えるのかもしれません

生への執着を炎に置き換えることもできるし、地獄の業火に包まれているようにも考えられます

 

誰しもが同じものを見ても違うように感じるのは当たり前で、それは全ての概念に当てはまるのだと思います

喜怒哀楽にも微妙な差異があるもので、そう言った「共通認識として存在する美」というものを追求してもあまり意味はありません

むしろ、「この画家にはどんな美が見えているのだろうか?」という観点で作品は観られていくものなので、自分自身の思う「美」の探求を続けていくことになります

 

美とは、概念化した思念のようなもので、言葉を含む様々なもので表現されていきます

時には絵や写真のような切り取られた瞬間であったり、些細な行動を切り取った動画だったりします

また、観た(読んだ)人の感性を刺激する言葉だったりもするので奥深いところがありますね

文字にしても、想像される内容から「文字列」の美しさというものもあって、そこにこだわっている人は「どの単語で漢字を使い、あえて使わないのか」というこだわりはあったりすると思います

 


勝手にスクリプトドクター

 

本作は、津山の思う赤をキャンパスに書き殴るシーンが真骨頂ではありますが、そこに至るまでのシーンで意味不明な部分が多かったように思います

津山の人物像を照らすのが他のキャラクターの役割で、外界とのパイプ役になっているのがスイケンという人物でした

彼は津山の苦悩を知る人物で、美術界に物申す存在絵もあります

さらに、津山の裏稼業に尽力している人物で、それによって彼らは生計を立てていることが示されています

 

その裏稼業的なものの一つとして、人間標本のような存在がいるのですが、あの刺青を津山が彫ったとしても、それでどのように収入を得ているのかはわかりませんでした

また、新しい女が出たことで元々の人間標本なる女が自殺するのですが、この新陳代謝に関してもよくわからない部分があります

同時に存在してはダメな理由もわからないし、すでに掘るところがない体になっているので、新しいカタログを作るのは必然のように思います

なので、このあたりの生計を立てている構造そのものが必要だったのかは分かりません

 

美術界を揺るがす贋作騒動については問題なく、田村が自分の絵ではないことを発見する流れも良かったですし、津山が贋作ではないと言い切る理由も面白かったと思います

田村への当てつけになっていて、さらに画家としての才能というものの違いも描かれていたので、美術界が才能で評価される世界ではないという切り口になっているのは良いのでしょう

それが現代風刺になっているかは問題ではないのですが、その騒動で村岡が死ぬ必要があったのかは分かりません

確かに贋作とされるものを扱ったことで公金が動いていることは確かなのですが、それよりも「津山の絵を評価するための死」に見えるのがナンセンスなのですね

なので、彼というキャラクターを動かして、最後まで見届ける側に配置した方が良かったように思います

 

ラストでは、津山の最後の作品を巡る騒動になりますが、あの場所には第三者的な視点の人物がいません

そこに村岡を持ってくることで、津山がいかに異常なのか、彼を取り巻く人間も異質なのかが見えてきます

そんな中で、村岡が感じた津山の絵の凄さを理解することに繋がるので、やはり無意味に死なせるのはもったいなかったように思います

 

津山を巡る恋愛騒動などは重厚感もあるし、本音と建前で生きている世界なのでありだと思います

占い師などが意味ありげなことを言ったりもしますが、安奈自身も信念の人なので、距離感を縮めないのも良いでしょう

彼自身が美術界から距離を置くことになっても、安奈の父との絶縁があったとしても、心のどこかでは繋がっているということは、ある種の復讐に近いものがあるのだと思いました

このあたりをセリフにするとクドいと思うので、そこで一線を引いているところは良かったのかな、と感じました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は、芸術とは何かを描いていて、その中で懸命に生きた人間とうまく立ち回った人間を描いていました

かなり狭い世界の話になっていて、ドロドロに見える物語も記号化されているように思えます

むしろ、ある程度記号化しないと伝わらない部分があって、世界的な画家としがない刺青職人の違いがどこで生まれたのかを描く必要があったと言えます

映画では、田村がどのような苦労をして成功したかというのは描かれませんが、美術の評価軸にまでは踏み込んでいないので、成功への道程を綺麗に駆け上がった人物のように思えました

 

そんな彼が自分の個展で自分の絵ではないものを見つけるのですが、それが自分の絵を差し置いても評価されているのですね

しかも誰が書いたかわかっているという流れになっていて、田村自身が津山の才能に嫉妬を感じていることがわかります

自分の絵ではないと断じることが彼を守ることにもなっていますが、彼のプライドはズタズタに切り裂かれていると言えます

誰もが田村の作品だと疑わずに接してきた経緯があり、さらに自分の作品以上に評価されていると思っているので、それは画家としては絶望的な瞬間だったと言えます

 

映画は、この場面がピークのようなもので、それ以上のシーンを作るとすれば、津山のところに田村が来る以外にはないでしょう

そこで田村は自分にはないものを感じ、さらに画家としての絶望に苛まれることになります

津山は死して田村を殺し、安奈への愛を昇華させます

でも、映画で描かれているのは、津山の画家としての狂気とそれをさせている過去の出来事だけなのですね

そう考えると、内に籠ったままの主人公を傍観するその他の人々みたいな構図になっていて、キャラの間でも距離感が残ったままになります

 

津山を理解することは誰にもできないけど、その生き方を肯定する人間と否定する人間がいてこそ、彼の生き方が映えるとも思います

なので、ひとつの絵にこだわって生きる津山に敬意を感じつつも、生きてもっと絵を描いてほしいと切望する人物がいても良かったでしょう

あの場面にはそれをできる人間はいないので、なおのこと、村岡のような美術の外側にいる人間の視点が必要だったのではないか、と感じました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/102241/review/04509929/

 

公式HP:

https://happinet-phantom.com/uminochinmoku/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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