■人の見た目には、些細な真実と多大な虚構が織り混ざっている


■オススメ度

 

人間がわからないと悩んでいる人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日2023.10.12(T・JOY京都)


■映画情報

 

情報2023年、日本、143分、G

ジャンル:失踪した夫を探す中で、人は人をどれだけわかるのかを理解する妻を描いたヒューマンドラマ

 

監督今泉力哉

脚本澤井香織&今泉力哉

原作豊田徹也『アンダーカレント(講談社、2004年)』

 

キャスト:

真木よう子(関口かなえ:銭湯「月乃湯」の女主人)

   (幼少期:松尾エマ

 

井浦新(堀隆之:銭湯に住み込みで働きに来る男)

 

江口のりこ(菅野よう子:かなえの大学時代の友人)

 

中村久美(木島敏江:「月乃湯」のパートのおばちゃん)

康すおん(田島三郎:煙草屋、常連客)

 

内田理央(藤川美奈:シングルマザーの常連客)

大野さき(藤川みゆ:美奈の娘、小学生)

 

永山瑛太(関口悟:失踪したかなえの夫)

 

リリー・フランキー(山崎道夫:悟を捜索する探偵)

 

原金太郎(常連トダさんの知人)

諏訪太朗(大村:銭湯協会の理事)

 

鈴木日彩(さなえ:かなえの幼少期の友人)

 

岡部成司(警官?)

松尾日那汰(堀の幼少期?)

西崎逸人(かなえの父、遺影?)

 


■映画の舞台

 

都心のどこかののどかな場所

 

ロケ地:

千葉県:市川市

石乃湯

https://maps.app.goo.gl/uVi7aXAEZeYDDo4y5?g_st=ic

 

東京都:世田谷区

KOMAZAWA PARK CAFÉ

https://maps.app.goo.gl/tFyXu7mpjSbC67fe8?g_st=ic

 

東京都:あきる野市

東京サマーランド

https://maps.app.goo.gl/Dzj1yr22zzT9nx2fA?g_st=ic

 

神奈川県:相模原市

みの石滝キャンプ場

https://maps.app.goo.gl/LLUFE5YsPB12GtZZ9?g_st=ic

 

東京都:練馬区

たつの湯

https://maps.app.goo.gl/kS6XWfcD3CxfTBUN7?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

親の跡を継ぎ、銭湯の主人をしているかなえは、夫・悟に失踪され、やむなく求人募集を出していた

悟は失踪するような人には見えず、夫婦仲も問題はないように思えたが、それでもかなえは生活のために再開させざるをえなかった

 

銭湯は先代からの手伝い・木島と共に切り盛りしていて、少しずつ常連も戻ってきていた

近くの煙草屋の主人・田島や、シングルマザーの美奈とその娘みゆたちも通ってくれていた

 

ある日、かなえの元に堀という男がやってきた

聞けば、募集広告を見て紹介されたと言い、ボイラーの免許なども持っている

協会からの紹介でもあり、かなえは雇うことになったが、募集条件が住み込みだったために、堀は宿を用意していなかった

そこでかなえは、先代の頃に職人が使っていた寝床を用意し、アパートが見つかるまでの間、共同生活を送ることになった

 

それから数ヶ月後、スーパーで旧友のよう子と会ったかなえは、彼女の夫の知り合いに探偵がいると知る

そして、夫捜索の依頼をすることになったのである

 

テーマ:人がわかるとは何か

裏テーマ:踏み出すために踏み込む勇気

 


■ひとこと感想

 

女1人で切り盛りしている銭湯に謎の男がやってくるというシチュエーションで、何かしら関係がある男なのかなと思っていました

ヒューマンドラマのような、少しサスペンス様子が入っていて、夫を探していくうちに、少しずつかなえの記憶も戻ってきています

 

失踪した夫がどんな人間だったかを知る中で、自分自身の中にある「嘘」の部分も露見するのですが、それは「嘘」というよりは、誰にも言えない過去のようにも思えてきます

同じようなものが夫にもあり、堀にもあるという感じになっていて、夫の捜索と同時に堀が何者かがわかってくるという構成になっていました

 

物語は静かなトーンで紡がれていますが、底流を流れるような重苦しさが時折挿入されるユーモアで緩和されていましたね

人は見た目である程度わかるとは言いますが、どこまでちゃんと見ていたかで、自分の理解度も変わってきますね

夫が語ろうとしなかった理由は、男性ならば気づけたように思えました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

かなえの夫は、嘘で固めた人生がバレることを恐れたという理由を見せますが、それが本心でないことは明らかでしょう

かなえは無意識のうちに、自分が見たい夫像を作り出していて、それが崩れそうになると、これまた無意識にその機会を奪っていきます

堀との会話のシーンでも、相手を遮るような場面もあったり、言い出しがぶつかってしまうタイミングも多くありました

この時にかなえは一歩引いたように先に語りますが、そこに本当がないために、相手もその場を取り繕う会話を繋げています

 

タイトルの意味は冒頭で説明されていて、ここで二つの意味が引用されているのも意味があります

それは、この映画のタイトルの意味をあなたならどちらを選びますかと提示しているのですが、映画を観た後では誰もが2つ目の意味に誘導されてしまうのですね

これは、監督自身がそう観てほしいという願望があって、自由選択でありながらも、無意識下でコントロールしていることに繋がっていると思います

 

ラストシーンは、堀の告白のあとを描いていて、その距離感が愛おしくも感じます

かなえが堀の過去をどのように想像していたのかはわかりませんが、真実をひとつ知るごとに、人は苦しむものなのかもしれません

 


タイトルについて

 

タイトルの「アンダーカレント(Undercurrent)」は、「発言の根底にある抑えられた感情」「暗黙の意味」という意味がありますが、映画では「底流」という意味が強調されていました

イメージとしての水の表現も多数登場し、そこに沈んでいく様子も描かれています

底流は表層とは違った表情を見せているという意味で、激しい水面の奥底は穏やかであると意味合いになります

表層を感情とするならば、底流は思想ということになり、その不一致が起こるのが人間というものと言えるでしょう

 

本作では、この表層と底流について描かれていて、同時に「人間がわかるとはどういうことか」に言及していきます

また、「表層は相手に見られたい自分の演出である」ということも明言されていて、それを普通にやってのけるのが夫・悟だったと言えます

彼は息を吐くように嘘をつきますが、周囲が自分をどのように見えているかを演出している部分があり、それを察知できる能力がありました

悟がかなえに見せていた多くの部分は「さなえが望んでいた夫像」のようなもので、でもそれ自体は悟がかなえの表層から感じ取ったものに過ぎません

 

かなえには悟に言えない過去があり、それは「かつて親友の殺害事件に口を閉ざしたこと」ということになります

あの時にかなえが何かを発言していたら、という「もしも」は存在しますが、それで何かが変わったかはわかりません

もしかしたら犯人逮捕に繋がったかもしれないし、意味はなかったかもしれません

でも、口を閉ざしたという事実はかなえ自身を生涯にわたって苦しめることになり、それはどんどん自分の奥底に押し込められていくことになります

 

奥底に押し込められたものは何かのきっかけによって浮上するものであり、さらに奥底に閉じ込め続けることによって、自分のベースとなる思想を侵食していきます

それらは底流となり、奥底を保護しながら、表層へと反応を伝播します

そういった繰り返しによって、人格というものは形成されていくのですが、底流と表層の不一致が起これば、あっさりと崩壊してしまうほど脆いものなのですね

そして、それを一致させるには、然るべき人に然るべきことを伝えるより他ないと言えるのではないでしょうか

 


人がわかるということ

 

映画の中盤にて、探偵の山崎が登場し、彼はかなえに痛烈な一言を浴びせます

それが「人がわかるってどういうことですか?」という質問で、それによってかなえは言葉を失ってしまいます

人は見た目である程度分かりますが、深層に隠されたものまでは見えてきません

とは言え、実際には深層は表層に表れていて、それを感知するセンサーが鈍いと、それを捉えることはできません

 

映画では、そのサインを明確に示していて、かなえの鈍感さを強調するシナリオになっています

将来のことを話すシーンでは、悟は何かを言いたそうにしていましたが、かなえはそれを深掘りすることはしませんでした

それは、裏を返せば「聞きたくない」という深層心理の現れのようなもので、それが無意識に出ていたのがあの場面であると言えます

一方の悟は、かなえの無意識を察知できる感覚を有し、一歩踏み出すことをしないという選択になっています

 

人がわかるかどうかは永遠のテーマですが、それ以前に人は自分のことすらわかりません

ある種の「このような自分でいたい」というものを再現しているのであって、それが本当の自分なのかは不明瞭な部分が多いでしょう

でも、それは「生きたい自分を生きる」というところに繋がっていて、セルフメイクは誰にだってできるということになります

それが深層心理と一致しているとストレスを感じませんが、負荷がかかっている状態というのは、自分本位ではない場合がほとんであると考えられます

 

人が自分をわかっている瞬間というのは、本能のままにストレスなく生きている状態であると考えられます

それに抑圧を加えるのが社会というものではありますが、社会のルールから逸脱しなくても、自分らしく生きることはできます

最低限、周囲に影響を与えない程度の感情のコントロールは必要となってきますが、その折り合いをつけることが上手な人ほど、自分らしさを保ちながら自由に生きているのではないでしょうか

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は、ある過去を背負った女性がそれを心の奥底に隠して生きてきた様子を描いていきます

夫の失踪によって自分自身を見つめ直すことになるのですが、この失踪自体がかなえ自身の逃避とよく似た行動原理になっていました

目の前にある問題を直視しない2人は、心に閉じ込めるという手段を取るかなえと、問題のある場所から逃げる悟という構図になっています

そんな渦中に侵入するのが堀という人物で、彼にも心の奥底に隠している感情が存在しています

 

堀は、その感情を明確にするためにかなえの元を訪れているのですが、それは妹・さなえの死がどのようなものだったのかを確かめたかったのですね

それを知る唯一の人物がかなえであり、彼女に近づくことで、何かがわかるのではないかと考えていました

でも、かなえと会うことで、堀の中に別の感情が芽生えてしまいます

それは、過去を抱えて生きてきたかなえという人物が、自分が想像していたよりも過去に囚われて生きていることを知ったからでした

 

最終的に、堀はかなえにさなえの兄であることを告げます

それによって微妙な距離ができるのですが、それは同時にかなえの過去を浄化する役割も担うのですね

かなえが抱えている過去は、その表層化によって軽くなるのですが、それは誰に話しても良いというものではない

話すべき相手はさなえの家族であり、それにたどり着くことは容易ではありません

あの時話せさなかったことで、死ぬまで抱えていかなければならなかったはずなのですが、堀の登場によって、その可能性が浮上することになっていました

 

でも、かなえの心は夫との未練を断ち、新しい生活の中で堀と過ごしていくことを夢見ています

その矢先に起こった突然の告白は、時間の熟成という業をさらに険しいところに追いやる仕打ちとなりました

これはある意味においては、さなえによる復讐のようにも思えます

解釈の生まれる見解になると思いますが、かなえを底流に押しやっているものの正体は、罪悪感という名前にすり替えられたさなえ自身の恨みのようにも思えます

そう言った意味において、堀に話すことのハードルがより険しくなってしまうのは残酷なことのように感じられました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

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公式HP:

https://undercurrent-movie.com/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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