■夢中になっている時のアーティストは、真剣さの中に遊びが潜んでいるもの
Contents
■オススメ度
シリーズのファンの人(★★★)
骨董系のコメディが好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.1.6(イオンシネマ京都桂川)
■映画情報
情報:2023年、日本、112分、G
ジャンル:秀吉がテーマの博覧会を頼まれた古美術商とバディを組む陶芸家を描いたコメディ映画
監督:武正晴
脚本:今井雅子&足立紳
キャスト:
中井貴一(小池則夫:古美術商「古美術・獺」の店主、大阪秀吉博の総合プリデューサーに抜擢)
佐々木蔵之介(野田佐輔:燻る腕利きの陶芸家)
安田章大(TAIKOH:カリスマ波動アーティスト)
(幼少期:高田幸季)
中村ゆり(山根寧々:TAIKOHクリエイションの代表)
(幼少期:徳網まゆ)
山田雅人(「TAIKOHクリエーションの番頭:元「京都嵐山堂」の番頭)
高田聖子(恵美子:TAIKOHの信者)
真砂享子(恵美子の友人)
友近(野田康子:「波動」にハマる佐輔の妻)
前野朋哉(野田誠治:特殊メイクアップアーティスト、佐輔の息子)
森川葵(大原いまり:人気占い師、則夫の娘)
土平ドンペイ(居酒屋「土竜」のマスター:筆跡偽造の達人、則夫の仲間)
宇野祥平(材料屋、箱偽造の達人、則夫の仲間)
酒井敏也(2代目よっちゃん:紙偽造の達人、則夫の仲間)
坂田利夫(1代目よっちゃん)
吹越満(青山一郎:則夫の旧友、テレビ番組のプロデューサー)
塚地武雅(田中四郎:ヲタク学芸員)
ブレイク・クロフォード(ピエール:腕利き審査員、則夫の友人)
松尾愉(大坂秀吉博の委員長)
桂雀々(後醍醐:則夫たちと因縁のある文化庁の役人)
升毅(雑賀万博:大坂秀吉博の顧問)
笹野武史(小出盛夫:秀吉研究の第一人者)
麿赤兒(紙芝居屋)
芦屋小雁(樋渡忠康:骨董屋「樋渡開花堂」の店主、則夫の因縁の相手)
冨手麻妙(マリ:ネット番組の司会者)
■映画の舞台
大阪府:大阪市
ロケ地:
大阪府:大阪市
大阪城
https://maps.app.goo.gl/fewQ4ZSvSdLPXoqz6?g_st=ic
ミライザ大阪城
https://maps.app.goo.gl/PjA1AHqTSX4QMA2T9?g_st=ic
大阪城公園駅
https://maps.app.goo.gl/ZXgb2G36F4Ecywof6?g_st=ic
大阪府:堺市
居酒屋おやじ(居酒屋・土竜)
https://maps.app.goo.gl/NP4FkKZabF6udtRa6?g_st=ic
大阪府:大阪狭山市
大阪府立狭山池博物館
https://maps.app.goo.gl/A7M1L6nvwsZgQVqr8?g_st=ic
兵庫県:洲本市
大浜公園
https://maps.app.goo.gl/5idiu8NdWDbScthTA?g_st=ic
■簡単なあらすじ
大阪の堺で古美術商「獺(かわうそ)」を経営している小池則夫のもとに、旧友のテレビプロデューサー・青山から一本の電話が入る
指定された場所に行くと、そこは「大阪秀吉博」のメイン・ミーティングの会場で、「秀吉の専門家として博覧会を仕切って欲しい」と言うものだった
顧問の雑賀は「メインになるものが欲しい」と言い、則夫がネットにあげていた「秀吉七品」の一つである「鳳凰」をでっち上げれば良いとまで言い切ってしまう
そこで則夫は、かつての仕事仲間の陶芸家・野田佐輔の元を訪ねる
だが、佐輔にはすでに別の団体が接近をしていた
その団体は「現代アート」として、カリスマ波動アーティストを名乗るTAIKOHを管理する団体で、その代表である山根寧々は、佐輔は「TAIKOHのために鳳凰を作って欲しい」と言う
佐輔は妻が作った借金の返済に追われ、贋作作りに加担してしまうことになるのであった
テーマ:人の夢は儚いものか?
裏テーマ:追いかけるべき夢の正体
■ひとこと感想
シリーズを通して見てきましたが、ほとんど記憶に残っていないまま参戦
今度はどんな幻の名器が登場するのかと思ったら、「秀吉七品」の最後のひとつ「鳳凰」でしたね
うーん、見事なでっちあげ、ご苦労様でございます
映画は、ある少年が「秀吉七品の紙芝居」を見ている場面が描かれ、それが創作の初期衝動になっていることを仄めかします
また、カリスマ波動アーティストTAIKOHの登場によって、この少年が彼の幼少期であることもわかります
波動が実際にあるのかどうかは置いておいて、大阪で官民の「万博対決」と言うものが行われると言うプロセスはこれまでにない規模でワクワクしてきますね
シリーズ化しているのでオチはなんとなく読めてきますが、今回も「夢と幻」について、則夫の口先トークが全開になっていました
このテイストが好きな人はノレますが、真面目なミステリーを期待すると肩透かしを喰らうでしょう
最も、ポスタービジュアルからして、ガチでないことはわかるので、愛らしいキャラクターがどのように動いているのかを楽しむ作品になっていました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
「秀吉七品」自体が実在しないのですが、それは冒頭の紙芝居をじっくりと見ていればわかります
この紙芝居は全部で3回登場し、七品がどのような理由で集められたかを示していました
この体験がベースになって、少年・TAIKOH(のちにコウタと判明)のアーティストとしての人生が始まります
姉と一緒に歩んでいく中で、自分たちを幸福にしてくれた「秀吉七品」を全部集めようと躍起になっていて、最後は霊感商法のような怪しい商売まで展開していきます
アーティストとしての初期衝動が失われたTAIKOHは、ある導きによって再び筆を取ることになるのですが、その導きを与えたのが「自分の行動の因果だった」と示されていました
今回はあまり関係性が発展しませんでしたが、次作以降では「いまりとコウタ」の何かが始まるのかもしれません
■歴史のロマンが許容される理由
映画で登場する「秀吉七品」は架空のものですが、映画内では本当にあるような錯覚を覚えます
この嘘を描くために細かな嘘があって、さらにその嘘も本当にあり得そうに思えるラインをギリギリ飛んでいました
私自身も騙された派で、パンフを読むまでには「鳳凰はなくとも、秀吉七品というものはあるのかな」と思っていました
全部が嘘ではあるものの、説得力を持たせるためにレイヤーのごとく、秀吉のありそうなエピソードを登場させていました
これらは実際には嘘ではあるものの、それによって騙されたという感覚があまりなかったし、怒りもほとんど湧いてきません
むしろ、してやられたという感じになっていて、「嘘つく人の勝ち」みたいになっているところもあります
このような心理にどうしてなるのかと考えたところ、歴史という虚構がまるで森のように存在しているからなのではないかと思ったのですね
実際に「秀吉に会ったことのある人はこの世にはいない」ので、直系の子孫以外には、秀吉の存在に関しては、学校教育で学ぶ知識の一つとしか見れません
このような状況下において、かつて日本には戦国時代があって、そこで雌雄を決した人たちがいた、という戦国絵巻そのものにロマンが溢れています
歴史というのは「勝者が残した落とし物」であり、残存する証拠となるものも、過去の書物などを解明してきたものばかりでしょう
証拠能力の限界値は150年程度が限度で、実際に目にするとなると80年前後しか難しい
なので、自国の歴史を知る上で、昔の人はかっこよかったというふうに紡がないと、日本人としての誇りとか尊厳と言うものは失われてしまうのかもしれません
ロマンは自分たちの世界を肯定するために存在していて、そう言ったものの伝聞性の強いものが後世に残っていきます
今のように何でも記録できた時代とは違い、主観オンリーの遺物しか声を発することができないし、過去を肯定する立場で物事に解釈を与えると言うこともあります
過去というものは徐々に語り手がいなくなって風化すると同時に、一部の支持層から神格化されると言うこともあります
そう言った思考を肯定するために、「ロマン」と言う言葉がしっくり来るのかもしれません
■幻と虚構の違い
映画における「鳳凰」は実際には「あるかないかわからない茶碗」でした
「幻の茶碗」と言う装飾は、それ自体の価値を歪めながら大きくなっていきます
物知りのドヤ顔の人たちが歴史を解釈して、それが史実のように扱われがちですね
でも、それらは「虚構」ではないと思います
幻というのは「色んな文献などの末にあるかもしれない」という可能性を示していて、「虚構」というのは「色んな文献などの末に否定されるもの」であると思います
今回は秀吉がガラスと出会ったというエピソードがあって、ビロードというものがその時代にあったという史実があって、そこから想像を膨らませていきました
この幻と虚構の線引きは曖昧で、秀吉のそのエピソードが史実で確認されるまでは「虚構」か「妄想」に近いものでした
諸外国ではガラスはあったが、日本にはなかった時代なので、それを結びつけるものが見つかるまでは「虚構」にしかなり得ません
でも、そう言った文献が見つかったことによって、一歩だけ「幻」の方に進めたのではないでしょうか
歴史というのは様々な観点から紐解き、時には飛躍した妄想が現実に近づくことがあります
この映画は「虚構」ではあるものの、その中身を「虚構から逸脱させる」というのは結構難しいところがあります
秀吉に詳しくない私から観たら、「へえ、そんなんあるんや」と作り話でも信じてしまいますが、秀吉フリークの人を騙すことはできません
でも、そう言った人たちを巻き込んで、「ひょっとしたら」を作り出したことは、この映画のうまさだったのではないでしょうか
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画は相変わらずの勧善懲悪もので、今回の相手は役人と「嘘で商売をしていると思われたアーティスト」でした
役人に関しては、「でっち上げの企画人」であり、そのメンツを潰すということで幕引きを図ります
そして、アーティストに関しては、「間違った方向に行きそうなところを軌道修正した」という物語になっていました
カリスマ波動アーティストとして、その内なる衝動をアートにしてきたTAIKOHは本物でしょう
でも、そのブランドを利用して、アート以外の世界で金儲けを始めるのは本末転倒であると言えます
何かしらのグッズを売るとしても、ポストカード、レプリカ、プリントTシャツぐらいが関の山で、波動水あたりに来ると「某商品」への当てつけのようにも思えてきます
これらの所業は「波動の純粋性を揺るがす要素」であり、そういったものが増えるとTAIKOHは逆に描けなくなってしまいます
映画の冒頭で紙芝居を見て、その初期衝動からアートの道に入ったTAIKOHには他人の心を動かす力があります
なので、困窮の埋め合わせをするために純粋なアートの道から逸れていくことは、初期衝動を汚す行為に繋がります
則夫はいまりが心を奪われたピンクの絵のことを知っていて、誰かの心を動かせるアーティストであることを認知しています
また、彼らの境遇とか、成り上がろうとする野心というものも捉えていたでしょう
そう言った中で、道を誤ることは損失であると考えられたのは、ひとえに佐輔との関係性があるからなのかもしれません
TAIKOHはいわば、時流に乗れた佐輔そのものであり、この二人の違いは「時流に乗せるためのセルフプロデュース力があったかどうか」というところにあります
佐輔をTAIKOHのようにプロデュースできる存在があれば、彼も時の人となれるわけであり、その役目を担えるのは「妻か則夫しかいない」のですね
妻はそう言ったことに無頓着で、則夫がその気になれても、佐輔自身にその欲がありません
エンディングではTAIKOHの絵を端金で売ってしまう佐輔がオチに使われていましたが、アートに対する価値というところに無頓着なところが足を引っ張っているのでしょう
でも、この欲のなさ(少年性と言っても良い)が作品を生み出している原動力になっていて、そのバランスを崩して良いものかは悩むところかもしれません
佐輔自身はロマンを糧に何かを生み出せる人物なので、いつかその殻を破る時が来るかもしれません
でも、映画のテイストだと、きっと悪い人に騙されるのがオチかなとも持ってしまいますね
そう言った時に佐輔を救えるのが則夫という人物なので、この絶妙な人間関係というものは続いていくのかなと思いました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/383660/review/ba3934da-8ab4-4006-9a70-ea0099e57fc0/
公式HP: