■タイトルの意味を知ってから観ると、かなり印象が変わると思います
Contents
■オススメ度
人生の終末に絶望を感じたい人(★★★)
先送りにしている問題を片付けたい人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.12.21(アップリンク京都)
■映画情報
原題:Vortex(渦巻)
情報:2021年、フランス、148分、PG12
ジャンル:心臓を患った夫と認知症が進行した妻の終末を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本:ギャスパー・ノエ
キャスト:
ダリオ・アルジェント/Dario Argento(ルイ/父/夫:心臓病を患う著名な作家)
フランソワーズ・レブラン/Françoise Lebrun(エル/母/妻:認知症を患う元精神科医)
アレックス・ルッツ/Alex Lutz(ステファン:夫婦の息子)
キリアン・ダーレット/Kylian Dheret(キキ:ステファンの息子)
カメル・ベンチェメク/Kamel Benchemekh(食料品店)
コリン・ブルアンド/Corinne Bruand(クレール:ルイの愛人)
Vuk Brankovic(語る研究者)
Charles Morillon(語る研究者)
Frank Villeneuve(語る研究者)
Joël Clabault(ふたりの隣人)
Philippe Rouyer(ルイの友人)
Jean-Pierre Bouyxou(ルイの友人)
Laurent Aknin(ルイの友人)
Stéphane Derdérian(ルイの友人)
Jean-Baptiste Thoret(ルイの友人)
Eric Fourneuf(ホームヘルパー)
Nicolas Hirgair(葬儀場の手配人)
Nathalie Roubaud(麻薬中毒者)
Sylvain Rottee(火葬場の男)
Françoise Hardy(本人役、アーカイブ)
■映画の舞台
フランス:パリ
ロケ地:
フランス:パリ
rue du Château Landon
https://maps.app.goo.gl/iQjaFsM9ijvDeDA28?g_st=ic
■簡単なあらすじ
フランスのパリにあるアパートメントで暮らしている老夫婦のルイとエルは、仲睦まじく余生に足を踏み入れていた
だが、ルイは心臓にガタがきていて、エルも認知症の気配が漂ってくる
二人にはステファンという息子がいたが、別居生活をしていて、彼には息子のキキがいた
ステファンは時折キキを祖父母の元に連れてきて、その成長と生活の順調さをアピールしていた
その後、月日が流れたある日、エルはどこかに出かけたきり帰って来ない
心配したルイが薬局などを訪ねて回ると、ようやく日用品店にておかしげな行動をしているエルを見つけることができた
なんとか連れ帰ったものの、彼女の認知症はどんどん進行し、夫の顔を忘れていく
ルイも自分を忘れ去ったエルとの距離に孤独を感じ、別の交友関係を広めようとするものの、高齢ゆえに進むものも進まない
そんな折、ルイの身体に異変が起きてしまうのである
テーマ:人間の最期
裏テーマ:連鎖する生命
■ひとこと感想
二画面分割で構成される物語で、基本的に左が妻、右が夫になっていて、同じ場所にいる場合は、別角度のアングルで画面が構成されていました
タイトルの『Vortex』は「渦巻」というもので、いわゆる「底なし連鎖」という意味になると思います
心臓病を患う夫と、認知症を患う妻の日常が壊れていく様を描いていて、映画の冒頭では「心臓の前に脳が壊れる全ての人へ」というメッセージまで挿入されていました
映画は、定点カメラで日常を映し出す系なので、ぶっちゃけ退屈なのですが、この手の人間モニタリングが好きだとOKなのかもしれません
映画では、大きなことはほとんど起きず、誰にでも起こることが描かれていきます
それゆえに、時期が近い人ほど、何か始めないといけないのでは?と考えてしまうのではないでしょうか
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
映画の冒頭では、仲良くテラスに出たりして一服したりしている老夫婦ですが、妻の認知症が先に始まり、それによって心労が祟っていく夫が描かれていました
夫は精力的に執筆活動をしていて、頭は冴えている状態ですが、心臓に負荷が掛かり行動に制限が出てきます
それと対称的に、妻は体は丈夫だけど脳が壊れてきてしまい、それによって様々な影響が起きていました
息子たちと話し合うものの、このご時世なのですぐに入居先が決まるわけでもなく、かなり進行しないと受け入れてくれない状況が続きます
老老介護状態になり、訪問でヘルパーが来たりもしますが、事態が転がり始めると、あっという間という感じになっていました
後半にて、夫が心臓病で亡くなり、妻の方もという感じになっていましたが、このあたりの連鎖が速かったことが救いだったようにも思えます
ともかく、誰にいつ起こるかわからないことでもあるし、寿命が伸びた故の弊害でもあるので、他人事ではないと言えるのではないでしょうか
■寿命と生活
本作は、老夫婦の終末を描いていて、それを定点カメラにて二分割で描くという内容になっています
冒頭に「心臓の前に脳が壊れる全ての人へ」というう前書きがあり、これは「脳が壊れる人の方が圧倒的に多い」という意味合いがあります
心臓が壊れると一瞬で通常生活というものはなくなり、そのまま死んでしまうか、病床で過ごすことになります
でも、脳が壊れる場合は突然の脳出血とかでなければ、じんわりとおかしくなっていき、本作のように普通の生活が徐々におかしくなっていくと言えます
医療の発達において、寿命自体は伸びましたが、それに付随して生まれた問題が認知症であると思います
日本では、認知症のような症状は「老耄(ろうもう)」と呼ばれていて、認識や記憶の低下をそのように呼んでいました
加齢によるものとアルツハイマーの区別はつきにくく、かつては「痴呆」と呼ばれてきて、2005年の介護保険法の改正によって、「認知症」という名前に変わりました
今では、痴呆(Dementia)」から「認知機能低下(Cognitive Decline)」という言葉が一般的になってきています
世界的な動きだと、2013年にイギリスにて、「G8認知症サミット」というものが開催されました
G8各国、欧州委員会、WHO、OECDの代表が出席し、高齢化と認知症の現状、日本におけるオレンジプラン(認知症施策推進五カ年計画)のアプローチなどが報告されることになりました
この会議では、各国共通の目的として、研究を加速するという合意がなされています
認知機能の低下に関しては加齢によるものが多いのですが、今では若年性認知症というものもあり、他人事ではないというのが正直なところでしょう
自分ごとと考えられるかどうかというのは難しい問題ではありますが、親の世代がそのゾーンに入ると、嫌でも考えざるを得なくなります
本作では、認知機能が下がった瞬間から始まる生活の崩壊を描いていて、その渦に飲み込まれるように、それぞれの生活が壊れていく様子が描かれていました
夫の心臓病の悪化も、妻の認知症に対するストレスが原因になっていて、そこでほぼ役に立たなかった息子の存在が浮き彫りになっていたと思います
■ヴォルテックスに飲み込まれないためにできること
映画のタイトル『Vortex』とは「渦巻」という意味があり、ある起点を境にして、全てが飲み込まれていく様子が描かれています
その起点は妻の認知症とも言えますが、実際には認知症になる以前から兆候というものは見えてくるものだと思います
映画は、認知症の発症から描かれているわけではなく、そのずっと前の夫婦の状態を描いています
この構成に意味があると考えられます
ある夫婦がいて、家庭内でそれぞれの仕事をして、それぞれのパーソナルスペースを有しています
その二人は、共同生活をする部屋を持ち、そのパーソナルスペースから離れた場所で、二人は会うことになります
その空間がテラスという場所でした
彼らの生活は常に部屋の中で構成されてきましたが、そこからの呪縛は外界と接している場所で、そこにどれぐらいの頻度でエスケープするかというのが問題になると考えられます
お互いの仕事が忙しくなり、今ではSNSなどで連絡を取り合ったり、つながったりしていますが、住居スペース以外で会うことが難しくなっていきます
その億劫さを解消し得るテラスですが、二人は徐々にそこに行かなくなってしまいます
これは、実社会でも自分の境界線の中で生き続ける事を意味し、それによって精神的な不調をきたすというところに似ています
なので、仕事や家庭以外の別の場所を見つけるというのはとても大事なことだと思います
渦というのは、自分の足元から生まれるもので、止まり続けることで生まれやすくなると言えます
なので、頻繁に足元を変える人ほど、渦には巻き込まれにくくなると考えられるのですね
そうした場所での「ふれあい」というものは、外部的な刺激を伴い、ルーティンの外側に存在するので、それが脳への活性的な刺激となります
映画における「渦」は、まさに「テリトリーからの逸脱」が消えた瞬間から起こっていて、それが渦を加速させているようにも見えるのではないでしょうか
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は2画面で淡々と事実を映すという内容で、同じ場所に二人(子どもの時もある)がいるときは「別の角度」で映すという演出になっています
この分割されたスクリーンをスプレッド・スクリーンと言って、一つの画面では見えないものが見えるという構造になっています
パンフレットによれば、当初はここまでスプレッド状態になることはなかったそうで、実際に撮り始めると「二人の行動がリンクすることなく別々になっていて、その先を映したかった」という監督の思惑が書かれていました
それ故に、画面から人物が消えるシーンが何度かあって、それがさらにリアリティを生み出していました
映画は、そこにある危機をそのまま切り取りしていて、誰にでも訪れる未来であると思います
自分自身がなるか、親がなるかは分かりませんが、人の死因は「脳疾患、癌、心疾患」というのが大きな要因になっているので、疾病以外での死を除けば、どれかになる可能性は高いと言えます
心疾患の場合は、そのまま生命の危険に直結し、そのまま亡くなることが多いのですが、脳疾患と癌はすぐに死なない場合が多いとされています
癌の場合は、意識ははっきりしているけど、常に苦痛を伴いますが、ある一定のラインを超えてくると病床生活になっていきます
脳疾患の場合、脳卒中や脳梗塞などの疾病だと、その後の生活に大きな影響を与えることになりますが、それも自制の範囲内で収まります
一番厄介に思えるのは、体が動くものの、行動を制限することが難しい認知症で、自由意志で動いているものを制限するのが非常に困難であると思います
映画を見ても分かるとおり、認知症患者には見えているものが違うと感じになっていますが、実際にはその行動には意味があります
この行動原理が直接的に分かりにくいことでコミュニケーションが取れないのですが、実際に接していくと、何かしらの行動の発露があって、それに辿り着けると、行動原理というものが一気に理解できる領域に入ります
このあたりは、職業的に接していると見えてくる部分があるのですが、入院などの共同生活を管理する上では、マンツーマンで事に当たれるほど人材が豊富ではないという現実があります
管理の面において非常にナーバスで、人の心が見えない以上、その隠された(実際には隠そうとしているわけではない)行動起点を掘り起こすのには相当な時間がかかります
人は自分の意思や意図を伝えるのに様々なコミュニケーションをとりますが、認知機能が下がるとそれが乏しくなっていきます
それゆえに見えにくくなるのですが、かと言って消えたわけではないのですね
このあたりの対処や研究、認知症を遅らせる医療技術などは進歩を遂げていくと思いますが、今は過渡期なので現状に対処するしかありません
映画は、そのための覚悟を強いるような残酷な構成になっていますが、変に美化したり希望を描くよりは、よほど健全な映画ではないかと感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
公式HP:
https://synca.jp/vortex-movie/