■「嗤う蟲」というタイトルに込められた、現代人に対する警鐘とは何か?
Contents
■オススメ度
閉鎖的村スリラーに興味がある人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2025.1.29(イオンシネマ久御山)
■映画情報
情報:2025年、日本、99分、PG12
ジャンル:田舎ライフを夢見る都会人が村の秘密に迫るスリラー映画
監督:城定秀夫
脚本:城定秀夫&内藤瑛亮
キャスト:
深川麻衣(長浜杏奈:田舎暮らしに憧れるイラストレーター)
若葉竜也(上杉輝道:脱サラした杏奈の夫)
森悠心(アツオ:杏奈の赤ん坊?)
葉菜(レオン:杏奈たちの愛犬)
松浦祐也(三橋剛:杏奈たちの隣人)
片岡礼子(三橋椿:病気がちな剛の妻)
中山功太(古谷:村の駐在)
田口トモロヲ(田久保千豊:麻宮村の自治会長)
杉田かおる(田久保よしこ:千豊の妻)
門田京三(田久保と仲の良い村人)
内藤トモヤ(田久保と仲の良い村人)
比佐仁(田久保と仲の良い村人)
細井学(田久保と仲の良い村人)
小林千里(村人)
中野麻衣(村人)
山野海(小売店の店主)
永田彬(編集者)
尚玄(村に買い付けに来る男)
■映画の舞台
麻宮村
ロケ地:
神奈川県:相模原市
新戸キャンプ場
https://maps.app.goo.gl/dUqTYPcG58j19PZN6?g_st=ic
岐阜県:加茂郡
村君公民館
https://maps.app.goo.gl/WPxbKo1K8PiETXxu7?g_st=ic
埼玉県:入間郡
古民家Studioハナノキ
https://maps.app.goo.gl/NWpAXGXRjW1pMZmTA?g_st=ic
■簡単なあらすじ
東京から田舎に移住してきた杏奈と輝道は、お互いの生活を大事にしながら、ゆっくりとした時間を過ごしたいと考えていた
輝道は兼ねてから考えていた無農薬の農業を試みて、自治会長の田久保から畑を借りることになった
杏奈はイラストレーターとして、オンラインで編集者と打ち合わせをしながら仕事を進めていた
彼らの隣には三橋夫婦が住んでいて、夫・剛は田久保たちと仕事をして、妻・椿は病気がちで家に引きこもっているようだった
ある日のこと、田久保夫妻の食卓に招かれた輝道と杏奈は、そこで「子作り」についての話題を振られる
精をつけるためにと色々と食べさせられるものの、杏奈はカボチャだけは苦手で箸が進まなかった
その後、輝道は田久保たちと親睦を深め、祭りの手伝いなどをしていくようになった
輝道は付き合いだと溶け込んでいくものの、杏奈は過度な干渉だと感じていて、少しばかり距離を置きたいと考えていた
だが、子どもを身籠ったことで状況が一変する
田久保たちは二人を祝福しているようだったが、おめでとうではなくありがとうと言われて困惑してしまうのだった
テーマ:受け継ぐべきもの
裏テーマ:同調圧力と弱み
■ひとこと感想
スローライフのつもりがヤバい人たちに出会う系の定番のような作品で、ホラーというよりはスリラーに近い印象がありました
ポスタービジュアルは田口トモロヲさんのヤバい笑顔ですが、本編でも本当にヤバかったですね
そこまで奇想天外な話ではありませんが、数々のキーワードが絡んでくる10年前からの村の伝統行事と、ラストのお祭り騒動はなかなかのものだったと思います
映画は、夫の趣味に付き合う妻が主人公で、徐々に毒されていく夫と、守るべきものができた時の母親の強さというものを描いていきます
とにかくおかしな村であることが冒頭からわかる感じになっていて、普通ではない普通さというものはうまく演出できていたように思いました
物語としては、うまくいかない夫が徐々に現地民の意見を聞きながら、そのコミュニティに馴染もうと努力をしていきます
一方の妻は在宅ワークなので、心はまだ東京にあるという感じで、この温度差というものも常にありました
そんな中で、夫婦愛で耐えられる一線を超えていくのが夫の方というわかりやすさがあって、怒涛の後半に妻の強さが発揮されるという内容になっていました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
ポスタービジュアルのみの情報で参戦していたので、田舎でスローライフということすら知らずに突入していました
夫が農業を始めて、それが無農薬栽培というところに、農業を知らない若者が頭で考えたプランということがわかります
妻はドライな感じで、あまり干渉されずにいたかったと思うのですが、近所づきあいからは逃れられないのが田舎暮らしであり、良い意味での「持ちつ持たれつ」みたいなものがありました
良かれと思って色々とものをくれたりしますが、半分くらいは物々交換のような側面もあるので、廃棄の野菜とかを有効活用するとか、農協経由で稼げないならみんなでネット通販やってみませんか?みたいな提案があれば良かったのでしょう
このあたりは、自給自足のプラン立てに失敗しつつ、それでも独学でやろうと思うところに無理があったように思います
事件の発端であるカボチャの煮物に関しても、さすがにアレだと三橋が怒るのも仕方ないと思います
自分が食べられないなら夫に渡せば良いだけで、夫婦関係でもコミュニケーションが不足しがちなところで空回りしてしまっているように思えます
二人の愛情の度合いはわかりませんが、あまり愛があるという感じはしなかったですね
なので、最後に連れて行ったのがどういう感情なのかわからないという感じに思えました
■田舎に溶け込む方法
本作は、都会人が田舎でスローライフをするという、一時的に流行った「よせばいいのに」を抉った作品になっていました
田舎が閉鎖的とはよく言われますが、それはあくまでも都会人からの感覚に過ぎず、すでに出来上がったコミュニティに入るのは、都会の方が難易度が高いと思います
田舎社会は「価値観」よりも「履歴」を選ぶと言われていて、「これまでに村(もしくは村人)のために何をしてきたのか」というところが重視されます
何かしらの問題があった時に「逃げなかった」というのが評価軸になると考えられます
また、都会的な「効率重視」というものを持ち込むのもナンセンスで、そこで培われた経験の否定は反発を生んでしまいます
さらに「馴染もうとして、現地の言葉を使いたがる」みたいなことも微妙で、そういったものを使うのには「時間」というものが必要になってくると言えるでしょう
これは都会にいても同じことで、そのコミュニティで使われる共通言語を「知ったかぶりで使う」よりは、「教えてもらった上で使う」というステップが必要となっています
この「教えてもらう」は、ある種の歓迎の合図であり、それを待つというスタンスが必要になってくると考えられます
実践的なことをまとめると、当初は評価されない立場を受け入れる、という導入があり、頼まれごとに積極的に参加するという感じになります
さらに「わからないこと」を積極的に聞くことによって、そこで教わったことを少しずつ加えていくことになります
「教えた」という情報が田舎社会の中で浸透し、それはレスポンスの高さと純度を示していくことになります
この「履歴」というものの積み重ねが、いつしか信頼へと繋がっていくと考えられます
田舎は基本的には年功序列とコミュニティの核的存在による統治というものがあって、それは一般的には「自治会長」であるとか、「古株の農家さん」「なんでも知っているおばちゃん」みたいな存在がいます
このような立場の人と仲良くなることで、「あの人が信用しているのなら」という空気が出来上がっていきます
そして肝心なのは「都会から来たことを隠さない姿勢」でしょう
自分のポジションを明確にして、自分を取り込もうとする存在との距離感を認知する
その中で、目的意識を持ちつつ、その目的を邪推されない、というのが一番の近道のように思えます
■タイトルの意味
本作のタイトルは『嗤う蟲』は、日常ではあまり使われていない言葉が選ばれている
「嗤う」というのは「相手を見下す」などの時に使われる言葉で、「嗤笑」などと言います
また、「蟲」は現在の「虫」という言葉の前進的な言葉で「本来の小さくて蠢く虫」のことを意味します
「虫」というのは、元々の爬虫類などを指していたとされています
「蟲」を使う漢字には「蠱」というものがあり、この言葉は「穀物につく虫、まじないや呪い(特に人を惑わす、害する呪術)、そして易の六十四卦の一つ(山風蠱)などを意味する漢字」となっています
「蠱惑(こわく)」や「蠱毒(こどく)」のように「惑わす」「そこなう」といった意味で使われ、複数の虫を壺で飼い、勝ち残った虫で呪術を行う「蠱毒」は、古代中国の呪術の一種として有名とされています
これらを含めると、「小さな虫たちが見下して笑っている」という意味になり、虫が何を示しているのか、ということになります
個人的な感想だと、「蟲=村人」ではなく、「蟲=自然」であると考えられます
この村で起きていることは「新参者によって秘密が暴露されている」というもので、この行動によって「村の秩序が崩壊している」とも言えます
取り入る側(村)と取り入ろうとする側(主人公、特に夫)の駆け引きの中で惨事が起きていて、それを俯瞰して見ているのが「蟲=自然」なのですね
そう考えると、人間たちの行為がさらに愚かに見える、とも言えるのかな、と感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作では、田舎で生活をしたいために「取り入れられようとする主人公」と、田舎の生活の維持のために「若者を取り込みたいと考える村」という構造がありました
旧来から村を支えてきた大麻栽培が外部には漏らせない秘密であり、それでも高齢化のために若者を取り込まなくてはいけない
さらに村の発展のために子孫が必要であり、杏奈の懐妊は「おめでとうではなくありがとう」という言葉で表現されています
先ほどの章にて、「蠱惑(人の心を乱し、たぶらかすこと)」「蠱毒(古代中国に起源を持つ呪術の一種)」のように「蟲」を使った漢字を紹介しました
蟲の世界に存在する大麻は、人を蠱惑させる効能があり、さらに「蠱毒」のように「この村社会で生き残ったこと」にも意味が通じていきます
これらを含めた「人間社会」に対して、「蟲=自然」が見下している、というニュアンスになるのですが、これは「双方が自分が蟲である」という無意識が作用している、とも考えられます
主人公は都会の人間として、知恵や価値観、技術などによって、田舎の生活を良くできると思っているし、村人からすれば、自然のことを何も知らない若者が知識だけで農業ができるわけがないと思っています
それぞれが根底では「相手を見下している」という構図があり、そもそも人間社会が「自然のおこぼれで生きている」という前提を忘れてしまっているのですね
なので、自然から派生したものに固執し、それを相手を支配下に置こうとするマウント合戦をしているのを見ると、「自然からの視点だと滑稽」に見えると言えます
そして、この自然の視点に立って、登場人物たちを嘲笑うのが「観客」という立場だったりするのですね
あの中の世界に自分が入ったとして、「自分ならもっと上手くできる」と考える人もいるし、「あの世界には関わりたくない」と考える人もいる
そのどちら側の視点に立つかによって、映画の見方というのは正反対になるようにも思えます
個人的には「距離を置きたい派」ではありますが、このような侵食というものは誰にでも起こり得ることでしょう
都会に生きていても、田舎に住んでいても、意図しない人間関係とか慣習に晒されることはあります
そして、それが起こってしまうのが、本作の主人公のような「外から来た人間」であり、彼らが織りなす波紋であるとも言えます
人間社会で生きていく上で、誰もが何らかのコミュニティに属しており、その集団の存続において、変化と衝突からは免れません
そういった意味において、遠くで起きているように見える「実際に足元で起こっていること」を描いていた作品だったのかな、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/102254/review/04717057/
公式HP:
