■お母様、僕はあなたの人生の中で、何番目に大切な存在なのですか?
Contents
■オススメ度
似たもの母子の衝突の物語が好きな人(★★)
■公式予告編
母鑑賞日:2024.1.19(京都シネマ)
■映画情報
原題:When You Finish Saving the World(世界を救うのを終えてしまったら)
情報:2022年、アメリカ、88分、G
ジャンル:事あるごとに衝突し合う母と息子を描いた青春映画
監督&脚本:ジェシー・アイゼンバーグ
キャスト:
ジュリアン・ムーア/Julianne Moore(エヴリン・キャッツ:ジギーの母、シェルターの職員)
フィン・ウルフハード/Finn Wolfhard(ジギー・キャッツ:オンラインで楽曲を発表するフォークシンガー、エヴリンの息子)
Jay O. Sanders(ロジャー・キャッツ:ジギーの父)
ビリー・ブルック/Billy Bryk(カイル:エヴリンがひいきにする保護施設の青年)
エレオノール・ヘンドリックス/Eleonore Hendricks(アンジー:カイルの母)
アリーシャ・ボー/Alisha Boe(ライラ:ジギーのクラスメイト、想い人)
Jack Justice(ジャッキー:ジギーの友人)
Annacheska Brown(シリル:ライラの友人)
Sara Anne(ベッキー:ライラの友人)
Catherine Haun(キャス:シェルターの職員)
Laura-Love Tode(バーブ:シェルターの職員)
Mimi Fletcher(レスリー:シェルターの職員)
Jordyn Aurora Aquino(マーシー:シェルターの受付)
Marika Rose Sayers(政治家)
Felipe Jeantete(アメリカの企業家)
Calhoun Koenig(集会の司会)
Colin Miller(集会で歌う若者)
Adrian Mackenzie(集会で語るバンダナの少年)
Monica Sanchez(マルセラ:シェルターの居住者)
DezBaa’(ディディ:出ていくことが決まった居住者)
Kenneth McGlothin(ライアン先生:ジギーの高校の先生)
Jeanette Aguilar Harris(タリン:?)
■映画の舞台
アメリカ:インディアナ州
ロケ地:
アメリカ:ニューメキシコ州
アルバカーキ/Albuquerque
https://maps.app.goo.gl/mgfsPfXAExMmS7d58?g_st=ic
■簡単なあらすじ
オンラインで楽曲をアップロードしている高校生のジギーは、母エヴリンと折り合いが悪く、事あるごとに衝突していた
母は社会問題に敏感で、シェルター運営をしていたが、ジギーは全く興味がなく、自分のフォロワーがどうやって増えるのかばかり気にしていた
ある日、クラスメイトのライラと親しくなったジギーは、彼女が熱心な社会活動者だと知って距離を感じてしまう
母に相談するものの、知識がなければアドバイスもできないと断罪史、またもや関係は拗れてしまう
そんな折、エヴリンは母アンジーと共にDVから逃げてきた高校生カイルと出会い、息子を重ねて、過干渉とも言える越権行為を始めてしまうのである
テーマ:理想の息子
裏テーマ:対話と知的レベル
■ひとこと感想
オンラインで楽曲アップロードして「投げ銭」をもらうというイマドキの若者と、社会奉仕活動に人生を捧げている母親との関係なので、衝突しないわけがないという感じになっていました
母親が息子に求めるもののハードルが高めで、何かあるごとに衝突を繰り返していました
「5秒だけ待つ」というのはその典型的なやり取りだったように思います
映画は、正反対に見えて根幹は一緒という二人が描かれていて、文字通り父親が空気になっていました
母親も息子も父の記念日をスルーしているし、その後のフォローも無かったりします
母はシェルターを運営していますが、職員にも厳しい感じですが、彼らがいつから勤務しているかなどに興味が無かったりします
この性格なので、やっていることは社会奉仕活動なんだけど、自分がよく見られたくてやっているように見えてしまうところが息子に近いところのように思えました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
本作にネタバレがあるのかは何とも言えませんが、とりあえず落ち着くところに落ち着いたという感じになっていますね
ジギーの恋も進まないし、母と息子も真の意味では和解しないのですが、それぞれが真っ当なことをやっているにもかかわらずハブられていることで引き寄せられるという感じになっていました
映画としては淡々としているので、本当に話が進まず、面白みを感じるところがありません
意識高い系の学生に混じろうとする自己中と、社会奉仕活動の中で妙に規律を重んじる母親が一番逸脱しているなど、理想と行動が無茶苦茶な二人だったので、妙なストレスを感じてしまいます
ジギーの歌もイマイチで、ライラの朗読の方が感情がこもっていたりするし、何なら集会で歌を披露している若者の方が歌がうまかったりします
自分の言葉で紡いでも軽くて、他人の言葉を使っても「訳」が入っているために、無駄な装飾が為されています
そのあたりのことがわかっていない以上、ジギーのフォロワーがこれ以上増えることもないのかな、と感じました
■シェルターについて
アメリカにはシェルターというものがあり、2020年度では39,300人の子どもを含む合計122,926人が「ニューヨークのシェルター」を利用したという統計があります
過去10年で48%増加、シェルターに入らないホームレスも過去10年ベースで1.15倍と増加傾向にあります
コロナによってさらに悪化していて、家がないという状況になっている人がかなり増えていると懸念されています
シェルターとは、ホームレス緊急一時宿泊施設というもので、日本にも2001年から設置されています
日本の場合は、基本的には都道府県または市町村が実施するものですが、適切な運営が確保できる社会福祉法人やNPOなどに事業の一部が委託されている状況となっています
2006年に設置開始し、横浜、川﨑、名古屋、大阪などに10施設ほどがある状況となっています
施設利用は6ヶ月以内を原則として、就労意欲のある利用者には、ホームレス自立支援施設の利用を促すなどの措置が取られています
また、健康管理は保健所を通じ、福祉事務所との連携を保ちながら福祉サービスを提供するという現状になっています
映画におけるエヴリンの施設は「安らぎの場所」という名前が付いていましたが、実際のニューヨークには「コーリーション・フォー・ザ・ホームレス(CFTH)」「DCセントラルキッチン」「ドゥ・ファンド」「コモングランド」などがあります
どの団体がモデルになっているかはわかりませんが、監督の義母がモデルとなっているようで、本作におけるリアルな部分はシェルターそのものよりも、「社会奉仕活動に従事した母との人間関係」ということになっていますね
また、関係性において、監督自身の目を通じた距離感というものがあったと思うので、それを再現しているように思えます
それぞれの目的意識が違うものの、ジギーの周辺には社会問題に真剣に取り組む女性というものが存在し、それが自分自身の活動と乖離していた、という部分はあったのかな、と思いました
英題は「あなたが世界を救い終えたら」という意味ですが、これはジギー目線の母への言葉になるのだと思います
■誰かの言葉が響かない理由
本作では、ジギーの暴走が主体となっていて、その多くは想い人ライラに対するものでした
彼女に自分をアプローチしたいがために色々と行動を起こしますが、それが全て裏目に出ている感じになっていました
彼はフォロワー2万人のインフルエンサー見習いで、ネットを通じて自分の楽曲を配している立場でした
彼自身は2万人のフォロワーを誇りに思っていますが、彼に興味がない人からすると、その数字の価値というものはほとんどありません
学生集会で歌を披露してもさほど響かないのは、適した場所で適したメッセージを伝えられていないからなのですね
その後、自分にないものを埋めようとして、「近道」と揶揄される行動に出ます
これまで母の活動に興味を示さなかったジギーが、自分の恋愛のための装飾として使おうとしていることがバレバレで、母は上辺の知識を入れることを良しとしません
社会奉仕における様々な活動は、複雑な社会基盤の上に成り立っていて、又聞きで理解できるようなものではないのですね
結局のところ、ライラの言葉を借りて歌を作るという方法に出ますが、これもまた裏目に出てしまいます
それは詩的表現だとしても、その改変や意図しないメロディーの添付というものは、主張を邪魔するものでしかなかったのですね
もともとジギーがこのような活動に積極的で、そのような歌詞を常日頃から書いていたら、ライラの主張の真意を汲み取って、別の楽曲を作れたかもしれません
でも、彼が行ったのは、自己満足としての他人の思想の盗用であり、それが「社会活動のための訴求」という目的ではなく、浅ましい恋愛アプローチの一環として利用されたのですから、呆れてものが言えない状態になるのは仕方のないことだと言えます
結局のところ、ジギーは大した思想も主張もない人間で、2万人のフォロワーによる内弁慶の活動しかできない人間だったのですね
それ故に、誰からも相手にされないという状況を自らが生み出すことになってしまいました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、交わらない母と息子を描いていて、その距離が少しだけ近づいたように見えるというものになっていました
ジギーはライラとの衝突によって自分を見つめ直し、エヴリンは息子の身代わりとして接してきたカイルに距離を置かれる形になっています
特に、エヴリンのカイルに対する距離感は「過干渉な親」みたいなもので、ジギーに対してできないことをしているという印象を持ちます
彼の信念や思想を無視して、自分なりの理想的な未来を押し付けたりするのですが、これと同じことをジギーにもしてきたのですね
それによって距離を取られているので、ジギーが今の場所にいるのはエヴリンの影響が大きいようにも思えます
原題の「あなたが世界を救い終えたら」というのは、ジギー目線の母の愛の枯渇を表していて、母は自分よりも世界の方を救おうとしているという意味になります
そして、その目的を達成できたら、自分にも目を向けてくれるのだろうか?と問うているのですね
甘い言葉ばかり並べた曲を作り、フォロワーを増やしても、たった一人の母親に愛されない息子という立場は、やるせないまでに青春期を拗らせてきたのだと思います
エヴリンの思考は「正しければ」という想いが強く、それが目的のようになっている部分があり、それは裏を返せば「正しい悪意」と捉えられてしまうのですね
自分が正しいと思い過ぎるがためにカイルの将来を批判するのは典型的なもので、それは「良い大学に入って、一流企業に入って」というものと同じだと思います
これは「死ぬまで誰かと競争して打ち破って勝ち続けていなさい」と言っているのも同然で、その為に「他人の心を無視しても良い」という思考に繋がっていきます
そして、それを糧に生きていける人もいればそうではない人もいる
そうした理想論に耐えきれない人から脱落していく社会なのですが、負けた経験がない人は「自分と同じことを誰もができる」と考えています
エヴリンはこの思想がかなり強いのですが、実はライラも同じようなところがあったりします
ジギーは意識することなく、自分の母親によく似たライラという女性に惹かれているのですが、母とライラが親子ならうまく行ったのかなと思わざるを得ません
逆にライラを引き寄せてしまっているのは、ジギーの渇望する母性というものが露出しているようにも思えるのですね
そして、彼自身が母親からされたかったことというのは、実は「自分の行動を否定すること」だったのかな、と感じました
映画では、母に求めていたものをライラが行うという流れになっていて、さらに母はジギーから突きつけられたいことをカイルから突きつけられることになっています
二人はそれぞれ別の人物によって「自分の行動を戒められる」のですが、それがこの映画の面白いところなのだと思います
それを一言で言うと「父親のぼやき」である「二人とも自己愛が強すぎる」というものなのですが、この投げやりの言葉で気づけないほど、二人は盲目になっていた、ということなのかな、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/100523/review/03401306/
公式HP:
https://culture-pub.jp/bokuranosekai/