■有事と平時を描くことで、これぞアメリカン・ファミリー至上主義を描いたとでも言うのでしょうか(謎)


■オススメ度

 

コロナ禍をモチーフにした映画に興味がある人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2022.12.14&15(アップリンク京都)


■映画情報

 

原題:White Noise

情報:2022年、アメリカ、136分、G

ジャンル:郊外で起きた列車事故によって不安感を増大させる家族を描いたサイコスリラー映画

 

監督&脚本:ノア・バームバック

原作:ドン・デリーロ/Don DeLillo『White Noise(1985年)』

 

キャスト:

アダム・ドライバー/Adam Driver(ジャック・グラドニー:カレッジ・オン・ザ・ヒルの教授、ナチス研究)

グレタ・ガーウィグ/Greta Gerwig(バベット・グラドニー:ジャックの妻)

 

ラフィー・キャシディ/Raffey Cassidy(デニース:ジャックと前妻の娘、バベットの薬を見つける長女)

サム・ニボラ/Sam Nivola(ハインリッヒ:ジャックと前妻の娘、チェスが好きな長男)

メイ・ニボラ/May Nivola(ステフィー:ジャックと前妻の娘、バベットの薬を調べる次女)

Henry Moore&Dean Moore(ワイルダー:ジャックとバベットの息子)

 

ドン・チードル/Don Cheadle(マーレイ・ジェイ・シスキンド教授:ジャックの友人、エルヴィスの研究をしたい教授)

 

アンドレ・ベンジャミン/André Benjamin(エリオット・ラッシャー:カレッジ・オン・ザ・ヒルの教授仲間)

ジョディ・ターナー=スミス/Jodie Turner-Smith(ウィニー・リチャーズ:カレッジ・オン・ザ・ヒルの教授仲間)

Sam Gold(アルフォンス:カレッジ・オン・ザ・ヒルの教授仲間)

Geroge Drakoulias(コタキス:カレッジ・オン・ザ・ヒルの教授仲間)

Carlos Jacott(グラッパ:カレッジ・オン・ザ・ヒルの教授仲間)

 

ラース・アイディンガー/Lars Eidinger(Mrグレイ/ウィリー・ミンク:バベットと関わりのある謎の男)

 

Danny Wolohan(ジャックにドイツ語を教える先生)

 

James DeForest Parker(事故を起こすトラックの運転手)

 

Bill Camp(テレビを持って逃げるおっさん)

 


■映画の舞台

 

アメリカのどこかの州

原作では中西部の設定

 

ロケ地:

アメリカ:オハイオ州

Welington/ウェリントン

https://maps.app.goo.gl/CknUdmHCYkCdgvkY7?g_st=ic

 

Cleveland/クリーブランド

https://maps.app.goo.gl/SGVHcu5ukRvgHjBQA?g_st=ic

 

Hope Memorial Bridge

https://maps.app.goo.gl/6mEXPPav7VrPce6W6?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

カレッジ・オン・ザ・ヒルで教授を務めているジャックは、ナチスの研究に没頭していて、友人のマーレイとともに生徒たちを湧かせる授業を行なっていた

マーレイはハリウッドのクラッシュ映像を解説し、そこで描かれる破壊映像は「浮遊感」として、人々の支持を得ていると説く

 

そんなジャックには愛する妻バベットがいて、二人の子どもワイルダーの他に、ジャックのこれまでの妻(4人)の子どもたちと一緒に暮らしていた

 

ある日、長女のデニースは母が何かの薬を隠れて飲んでいるところ見てしまう

それは「ダイラー」と呼ばれる薬だったが、その成分は調べても出てこないものだった

 

バベットは極度に死を恐れる性質を持っていて、それを薬で緩和しようとしていたがうまくはいかない

そんな折、町の郊外にて、トラックと貨物列車の衝突事故が起きてしまう

 

遠くの出来事のように思えたが、列車にれ記載されていた毒物が爆発によって飛散し、住民は避難を余儀なくされてしまうのである

 

テーマ:恐怖と不安

裏テーマ:対岸の火事

 


■ひとこと感想

 

原作は未読で、内容もあまり調べない中で参戦

ネットフリックスの先行劇場公開でしたが、レビューサイトが軒並み低評価だったので構えてしまいましたね

実は前日の14日にも観たのですが、体調が良くなかったのか、単純につまらなかったのかわからずに途中で意識消失しちゃったんですよね

なので、翌日に改めて参戦しましたが、「はい、しょうもないから寝た」ということを再確認することになりました

 

映画は「漠然とした不安を抱えている妻」が何やらおかしな薬に手を出していて、それによって不穏な行動が見受けられるというもの

それを追っていくうちに、郊外で毒性物質の放出事故が起きて、漠然としたものがリアルになっていくという感じになっていました

 

まあ、コロナ禍をモチーフにして古典を引き摺り出してきたという印象ですが、謎の演出と「ひたすら意味のないことを喋りまくる」というのが結構苦痛でした

おそらくは「脳が字幕処理に追いつこうとするのを諦めた」という感じでシャットダウンしていましたね

なので、2回目は大したこと言ってないのを前提にほとんど会話は流して聞いていました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

ホワイトノイズは「モヤッとしたもの」ということで、転じて「先行きの見えない不透明感」みたいな意味なのかなと当初は考えていました

原作もほとんど設定を変えておらず、違ったのは「5回結婚しているジャックの家族関係」をスッキリさせている点でしょうか

 

冒頭のスタント&クラッシュの映像を解説するマーレイ教授のくだりがテーマを表しているのですが、早口で分かりにくかったですね

ざっくりと「スクリーンの向こう側の事故は他人事で命を感じないから浮遊感につながっている」みたいな印象で捉えていましたね(あってる?)

 

ともかく、これは「ネトフリでゆっくり何度も観るタイプの映画」で、映画館で鑑賞するのはネイティブでないと無理だと思います

あとは、章立ての必要性もあまり感じられないのですが、それよりも「起承転結あったかな」というぐらいに話が無茶苦茶だったように思いました

 


ホワイトノイズとは何か

 

「White Noise」とは、「あらゆる周波数を同等に含む雑音」のことを言い、「白色雑音」とも呼ばれます

周波数は「Hz」で表記されますが、そのベルト(20Hz〜21Hzなど)毎の全周波数帯のノイズのエネルギーが等しい状態、のことを言います

イメージは「サー」と微かになっているような感じで、FM放送の曲と曲の合間などに流れたりするそうです

ブラウン管式のテレビの深夜の「ザー」という「砂嵐」も同じような種類になっていて、一定の安眠をもたらすような効果があるとかないとか、みたいな感じの音になっています

 

日常にある雑音ということで、「環境音」とか「生活音」のイメージもあって、どこにでもあるものとも捉えられます

本作でこの言葉が使われる理由は、「有事のアメリカ国内はこんな感じで平常運転」みたいな感覚でしょうか

自虐なのか分かりませんが、グラトニー一家の狼狽がアメリカ国民の象徴的な行動として描いているようにも思えます

 

原作は1985年の作品で、ロナルド・レーガン大統領の2期目の時期に当たります

イラン・イラク戦争中で、4月にはソ連が東カザフスタンにて核実験を行なっていました

いわゆる「冷戦時代」に突入していて、核実験などの背景を考えると、本作の「毒ガス流出問題」は「核の灰」をイメージしたものだと思われます

でも、冷戦はアメリカ本土で戦争をしていたわけではないので、テレビの中で起こっている戦争(イラン・イラク戦争)も含めて、どこか非現実的だけど漠然とした不安感がある、という情勢をイメージに繋がっていました

 

そんな中で、有事が「目にみえる範囲で起こったら?」を描いているのが本作で、それによって「国民がどう動くか」というものを描いていると言えます

そして、そんな右往左往する国民の弱さというものは「ホワイト・ノイズ」として、ありふれた日常なんだ、というふうに揶揄しているのかなと思いました

原作に関しては未読なのですが、wikiのあらすじなどから、主人公のジャックが「ナチス研究家」というところも変えていないので、先の世界大戦の総括が終わらない時期に「冷戦」を迎えた社会不安というものがベースにあったのかなと感じました

 


勝手にスクリプトドクター

 

本作は、実のところ2回観るハメになっていて、水曜日に観た際は「後頭神経痛」の発作の余波が残っていて、睡眠不足というものがありました

キャストなどを調べた時に「完全に誰かわからん」というキャストがチラホラいたので、これではレビューは書けないと判断し、翌日に再度鑑賞することになりました

その2回目は話がわかっているぶん退屈でしたが、1回目で寝た原因は早々にわかりました

それは「映画がつまらないから寝た」というものと、「観客に理解させる気のないセリフの応酬」という冒頭のシークエンスにて、「脳が拒絶反応を起こした」と規定することができます

2回目もかなりヤバく、何とか完走できましたが、やはり「つまらんから寝たんだな」というのを再確認するために追加料金を払うことになった、と感じています

 

この映画がなぜこんなにつまらないのか、を考えた時、前述の「観客に理解させる気のない説明セリフ」というものが筆頭に挙がりました

2回目の時に冒頭の説明セリフをじっくりと聞いてみましたが、ほとんど内容がなく、「ハリウッドでカースタントが進化したのは、そこに命を感じることがなくて、衝突の際に浮遊感を感じるから」という一行で説明できる程度のことを5分ぐらい喋っていたのですね

なので、普段は頑張ってセリフをメモったりするのですが、この映画に関しては「キャストのアクセントの単語だけを拾おう」と決めて、流す方向で鑑賞するスタイルに変えました

冒頭のシーンでマーレイ役のドン・チードルさんがアクセントをつけたのは「浮遊感(Feeling of floating=劇中英語かどうかは不明、字幕は浮遊感になっていた)」という言葉ぐらいでしたね

 

本作は、その後も家族の「入り乱れた会話で家族の紹介をするスタイル」で、なんとなく見た目で伝わるけど、誰が誰かがわかりにくいシナリオになっていました

母バベットの薬を目撃したのがデニースなのですが、その後ジャックに話すのは妹のステフィになっていて、実にわかりにくい流れになっていたと思います

 

映画のテーマを主人公以外に語らせるスタイルはOKなのですが、初見ではジャックとマーレイの関係性がわかりにくく、どうやら年上に見えるマーレイの方が「カレッジ・オン・ザ・ヒル」の新任教師という設定になっています

アメリカ内陸部のどこかの小さな町が舞台装置になっていましたが、その規模もよくわからず、砂漠の中に建てられた工業都市でもないですし、開拓された西部劇の町にも見えません

本作では、映画に没入させるための仕掛けが弱く、その後も「マーレイが褒めるバベットの髪の意味」なども伏線にもなっていないノイズのようなセリフになっていました

 

これらが意図された演出であるとは思うものの、ネットフリックス映画なので解説などがほとんどなく、海外のレビューなどが少しあるくらいでしたね

なので、ネイティヴだとわかる「あるある的なもの」というのが、こちらにはあまり伝わっていません(こちらの理解力不足もあるとは思うけど)

おそらくは「鑑賞想定の中に日本人はいない」という感じの作りになっていて、映画館ではなく配信作品として「お茶の間で適当に流す」という感覚の映画に近いのかなと思います

というわけで、映画自体が「ホワイトノイズ化している」という、見方によっては秀逸な作品とも言えます

正直なところ、配信でゆっくり観るか、繰り返し視聴が向いている作品なので、先行公開を無理やり観に行く必要はないのかなと言えるでしょう

 

この映画のシナリオをどう変えるかというのは、どの視聴者層に向けるかという根幹の部分によるので、もし全世界で娯楽として描くのであるならば、冒頭のマーレイのセリフはほぼ全カットして、生徒の誰かに「どう、思った?」と訊く流れになるでしょう

そこで、その生徒と観客の目線がリンクして行くことで、「ブラウン管の向こうの恐怖」が「深層心理に与える影響」というものを体感していけるのだと思います

映画は、俯瞰の第三者視点になるので、この物語で右往左往する様子を「滑稽」とするか、「没入」とするかで改変が変わります

この内容で「没入」が通じるのは英語圏だけだと思うので、英語圏以外で「滑稽」になるようにするためには、もう少し丁寧な人物相関描写が必要ではないかと感じました

個人的には、セリフを頭に入れない流し見を2回目で行ったので、「滑稽」として観ましたが、それでもつまらなく感じてしまいましたねえ

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

この映画が批評家の評価が高くて、観客の評価が低い(特に日本では)のは、核兵器の怖さをコロナの怖さに転化したところだと思います

いわゆる、専門家筋の言うことを聞いた大本営発表を行なっているので、そっち方面にはウケが良くて、現実に生きる人からすれば「何言ってんだお前」みたいな構図に似ているのですね

なので、前線にいる人の中では、私のように「チャップリンの無声映画だと割り切って、アホなシーンを楽しもう」と言うふうに、制作サイドにおける大本営発表的な鑑賞のススメを無視する人も出てきます

これは自然の流れになっていて、政府の発表がどんなものであれ、最終的には個人の生存本能が生死を分けると言うところに似ていると思います

 

映画は「毒ガス騒動」がなかったかのように収まって日常に戻るのですが、そのシーンはスーパーマーケットのシーンでしたね

アメリカ映画の多くのパンデミックでは「スーパーマーケット」がたくさん登場します

これは、何かあった時に「そこに行けば生き延びられる」と言うリアル・セーフティネットがそこにあるからと言うことなのでしょう

 

このスーパーマーケットに人々が逃げ込むと言うのは、ある意味で「宗教否定」にも通じていて、「空腹よりも信仰」と言う人は「家で待機して家族と過ごす」と言う方向に行きます

また、スーパーマーケット内で宗教を作り出す人もいて、「誰といると救われるか」と言う価値観によって二極化する、と言う感じになっています

本作は「家族で集合に向かう」と言う流れになっていますが、シーンのほとんどは「家族で移動」になっていました

なので、「家は安全ではないけれど、家族といることで救われる」と言う価値観があるように思えました

 

そう言った危機が去った後に登場するスーパーマーケットは、他人との交流の場になっていて、繋がりを重視する国民性と言うものが描かれています

スーパーマーケットは棚によって向こう側は見えないのですが、カメラワークは神様の視点なので、そこに棚があるようには見えません

でも、ひとたび地上に降りればそこには棚があって、分断があるように思えるのですが、再び俯瞰カメラに戻ると「誰もが同じようなことをしている」のですね

そう考えると、本作はやはり「アメリカの有事と平時の国民性を描くことに集中している」のかなと思いました

 

それが面白いと感じるかは人それぞれですが、表現方法が少し変化しただけで、やっていることは従来のことと同じなので、「また、アメリカのファミリー至上主義なのか」と言う既視感が、「つまらない」と言う感想に結びついたのかな、と感じました

あくまでも、個人的な感覚ですが、配信でじっくりと見れば印象が変わる可能性は「ないことはない」のかもしれません(観るとは言っていない)

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/385616/review/2513e451-b83c-4fcd-83e3-4c117eac7a89/

 

公式HP:

https://www.whitenoise-jp.com/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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