■屋根裏にほとんどいなかったけど、そんなことよりも大事なものが、この映画には足りなかったように思えます
Contents
■オススメ度
イマジナリーの世界に興味がある人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.12.15(イオンシネマ久御山)
■映画情報
情報:2023年、日本、109分、G
ジャンル:イマジナリーと創造主の関係を描くファンタジー映画
監督:百瀬義行
脚本:西村義明
アニメーション制作:スタジオポノック
原作:A・F・ハロルド『The Imaginary(邦題:ぼくが消えないうちに(ポプラ社))』
キャスト:
寺田心(ラジャー:少女アマンダが産んだイマジナリーの少年)
鈴木梨央(アマンダ:ラジャーを生み出した少女)
安藤サクラ(リジー:アマンダの母、本屋さん)
高畑淳子(ダウンビートおばあちゃん:アマンダの祖母)
斎藤綾(ゴルディ:リジーのお手伝い?)
杉咲花(オーロラ:ジュリアのイマジナリ)
平澤宏々路(ジュリア:アマンダの親友)
三井好美(ジュリアの母)
川原瑛都(ジョン:イマジナリを生み出す少年)
仲里依紗(エミリ:イマジナリの町の少女、イマジナリのまとめ役のイマジナリ)
山田孝之(ジンザン:ラジャーの前に現れる怪しい猫、イマジナリ)
寺尾聰(冷蔵庫:老犬のイマジナリ)
大谷育江(ドロン:ロボットの形をしたイマジナリ)
かぬか光明(小雪ちゃん:大きなピンクカバのイマジナリ)
一龍斎貞友(骨っこガリガリ:創造主に捨てられた骸骨のイマジナリ)
武田華(レディ・キュービー:
イッセー尾形(ミスター・バンティング:ラジャーを狙う謎の男)
■映画の舞台
ヨーロッパのどこかの国の小さな街(たぶんイギリス)
■簡単なあらすじ
ヨーロッパのある街に住んでいるアマンダは、イマジナリのラジャーを生み出し、ずっと一緒に遊んできた
冒険好きなアマンダの想像は活動的で、いろんな場所に行っては、冒険を謳歌していた
イマジナリは本人にしか見えなかったが、アマンダはその日、ラジャーを学校に連れて行っていた
ある日、店じまいをしている母の本屋に、調査員を名乗る怪しい男・バンディングがやってきた
男は店の匂いを嗅いで、「この店は良い匂いがする」とだけ言って消えてしまう
アマンダには男が連れていた少女に気付いたが、母親は彼女には気づいていなかった
男はイマジナリを見つけては食べようとする悪魔のような存在で、ラジャーの存在を確認しにきていたのである
それから数日後、母と一緒に買い物に行ったアマンダは、そこで再び男と接触し、彼はラジャーを捕まえて食べようとする
アマンダは何とかラジャーを助けて逃げようとするものの、その途中で車に轢かれて、意識不明の重体になってしまう
そして、彼女の容態に呼応するかのように、ラジャーは消えかけていく
そんな彼の元にオッドアイを持つ謎の猫がやってきて、猫はラジャーをイマジナリの街へと連れて行くことになったのである
テーマ:イマジナリの存在意義
裏テーマ:イマジナリの有効期限
■ひとこと感想
スタジオ・ポノックの制作ということで、ジブリから派生した「どこかのマイナーな童話を映像化する」という流れそのままの映画が公開されることになりました
随分と前から映画館で予告が流れていたのですが、ようやく公開に至ったというイメージがありますね
映画は、少女アマンダが生み出したイマジナリ・ラジャーが、彼女の意識不明の重体によって消えかけるというもので、それを阻止するために奮闘するラジャーが描かれていきます
そして、イマジナリを捕食しようとする謎の男に追われる中で、他のイマジナリと逢って、イマジナリ自身の存在理由を知るという流れになっていました
映像はとても綺麗なのですが、物語の展開がかなり緩くて、本題に入るまでに結構な時間を有します
構成をもう少し変えることで何とかなったように思えますが、敵の目的がよくわからなかったのと、食われたらどうなるのかの説明がないので、忘れ去られて消えるのと食われて消えるのとの違いがわかりませんでしたね
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
同日にディズニー映画が公開した影響なのかはわかりませんが、初日の昼回なのに観客が2人という寂しい状況になっていました
おそらくヨーロッパのどこかが舞台で、原作を考えるとイギリスなのですが、映画内でははっきりと描かれていなかったように思えます
映画は、幼少期に起こるイマジナリーフレンドの物語で、彼らがどのように生まれ暮らしているのかを描いていくファンタジーなものになっていました
産みの親であるアマンダが事故に遭ったことで存在が危うくなるのですが、無意識の世界だと、逆にイマジナリが活発になって、彼女の頭の中に現れるんじゃないかなとか余計なことを考えてしまいましたね
イマジナリと呼ばれる擬似的な友人との記憶を有している人は少ないと思いますが、自問自答する相手ということを考えれば大人になっても存在するものかなと思います
イマジナリの街とされる図書館のわちゃわちゃ感は好きですが、このキャラクターを作るのに精魂尽きた感はありますね
物語の構成として、いきなり孤独の状態にあるラジャーを描いて、物語の導入を強めた方が良かったように思えました
■イマジナリとは何か
本作に登場するイマジナリとは、「イマジナリー・フレンド(Imaginary Friend)」と呼ばれるもので、心理学、精神医学における現象のひとつとされています
学術的な呼び名は「イマジナリー・コンパニオン」と言います
(訂正:イマジナリー・フレンドもイマジナリー・コンパニオンも正式名称で、研究者によって表現が異なる、とのこと)
「想像上の仲間」「空想の遊び友達」と訳されることが多いと思います
基本的には、長男(訂正:第一子)、一人っ子に見られることが多く、年齢的には5〜6歳、あるいは10歳頃に出現し、児童の間に消失するとされています(性差に関しては「明らかに女児に多い」とされている、とのこと)
これは、子供の発達過程において正常な現象であり、姿は人間だったり、対話ができるぬいぐるみだったりと、目に見えるものをイマジナリーフレンドにする場合が多いとされています
擬人化されたものをパーソニファイド・オブジェクト(Personified Object)と呼び、見えないものをインビジブル・フレンド(Invisible Friend)と呼ぶ研究者もいます
映画におけるイマジナリー・フレンドは、アマンダの場合は少年の姿をしていて、母の場合は老犬で、イマジナリの街には多くの擬人化されたおもちゃなどがたくさんいました
子どもたちと会話をする存在で、その思考を洗練させたり、想像力をもっと向上させる働きがありましたね
そういったものの存在が消える時期は個人によって差がありますが、12歳以降も「半分くらいの人」が持ち続けていると言う研究もあります
映画では、母親が思い出すと言う流れになっていて、そのままイマジナリー・フレンドとして、そばに居続けるかは何とも言えない感じになっていましたね
■魂との会話の意味
イマジナリとの会話は、基本的に「自問自答」であり、自分の潜在意識と会話をしていることになります
自分自身が生み出しているので、その答えも自分の中にあるものばかりです
でも、それを認知していない状態なので、まるで知らない人と話して、知らない人の答えをもらっているように感じられます
イマジナリを必要とするのは、多くの場合は「孤独」と言う状況があり、長男、一人っ子に多いのもその特徴を踏襲しています
親に頼れない、親には話せない、友達にも言えない、兄弟もいないと言う状況になった時、子どもは自分自身で考えを張り巡らせていきます
拙い思考ながらも、そこで起こることはシンプルかつディープであり、余計な情報がない分、答えに直結していると言えます
これは自分の魂との会話とも言え、その答えは予めわかっていることの場合が多いと言えます
心がイマジナリを生み出す際、何かしらの悩みがあったり、孤独と言う状況の打破が必要とされるのですが、その方法や答えというものは、その時点で本人が理解しているものなのですね
なので、イマジナリが生まれた瞬間に、「孤独を癒すためには友達が必要で、しかも自分のことをわかってくれて、そばに寄り添ってくれる存在である」と理解していて、その通りの存在を生み出していることになります
イマジナリは自分の存在理由も目的も、これからすべきことも全てが主人の想定の範囲であり、自由意志というものを持ちません
でも、映画の中では、アマンダが意識不明の重体になったために、彼女の魂から切り離されることになりました
それでも、その後のラジャーの行動は「アマンダの深層心理」によって結びつけられていて、それに倣った形でラジャーは動いています
なので、アマンダが死なない限り、ラジャーは存在し続けることになり、そして目的を達成するために、どんな困難にも立ち向かうことになります
バンディングがラジャーを食べてしまうとどうなるのかは分かりませんが、アマンダが死ななければ何度でも復活をすると思います
とは言え、映画の世界の設定として「バンディングに食べられたらイマジナリは消滅する」というものがあれば、そちらのルールが優先されていたのかもしれません
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画は、イマジナリのラジャーが主人公なのですが、結局のところ、彼はアマンダの深層心理の投影であり、その行動が規定されている存在でした
なので、アマンダが死なない限り、アマンダの意思から逃れられるものではありません
この前提があるので、ラジャーの危機というのは、アマンダの危機以上のものが起きないと言えます
物語として、ラジャーを捕食しようとするバンディングがいますが、彼の存在があまり明確ではありません
都市伝説の類で、被害者がおらず、食われたらどうなるかという情報の提示がありません
それ故に、ラジャーにとっての最大の恐怖というものがなく、物語にまとまりがありません
これを打破するには、イマジナリが深層心理と繋がり、意識の具全化された一部であるという設定を用いて、イマジナリの捕食は「主人の意識の根絶=死」であると説明することでしょう
人の死は身体的な死を意味しますが、イマジナリを生み出した精神は「精神の半分を露出している」という状態になります
なので、露出した精神の半分の喪失ということになり、それは生命維持を過酷なものにすると言えます
イマジナリは消え、精神を半分奪われた主人は廃人のようになってしまう
この被害者というものをきちんと描き、バンディングの怖さというものを明示しないと、物語が始まりようがないと考えられます
映画は、児童文学がベースにあり、それがどんなものかは知らないのですが、映画的なスペクタルな部分がなければ、物語としては「面白くない」と断罪されてしまいます
ラジャーがイマジナリの存在を超えて活躍するのか、イマジナリとしての犠牲を払うのかなど、物語の骨子はいくらでも想像ができます
本作はその部分が弱いので、ラジャーの冒険譚も単なるキャラクター紹介で終わってしまっているのですね
なので、イマジナリの街の華やかさなどは物語に直接的な影響がないので、あってもなくてもどっちでも良い感じになっています
せめて、イマジナリの街の裏手には「創造主に捨てられたイマジナリの墓場がある」とか、「バンディングに食われて壊れた創造主を持つイマジナリ」が登場し、それに襲われるなどの追加設定が必要だったのではないか、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
公式HP: