■ハレーションが馴染んでいく先に、本質を求め合う魂がお互いを試しあっていた


■オススメ度

 

コンプレックスを主軸とした恋愛映画に興味のある人(★★)

女性の恋愛観について学びたい男子(★★★)

松井玲奈さんのファンの人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2022.9.20(アップリンク京都)


■映画情報

 

情報:2021年、日本、100分、G

ジャンル:顔に痣を持つ女性が遅めの恋愛で悩みながらも自分らしさに気づいていくヒューマンドラマ

 

監督:安川有果

脚本:城定秀夫

原作:島本理生(『よだかの片想い(2013年、集英社))

 

キャスト:

松井玲奈(前田アイコ:生まれつき顔にアザがある大学院生)

(幼少期:大迫莉榎

中島歩(飛坂逢太:アイコのルポルタージュ映画を撮る映画監督)

 

藤井美菜(ミュウ先輩/筧奈穂美:アイコの先輩、ラテン研究会所属)

青木柚(原田:アイコと同じ研究室の後輩)

三宅弘城(安達:アイコの研究室の教授)

 

織田梨沙(穂高まりえ:アイコの友人、出版社勤務)

池田良(池谷:飛坂と映画制作を行うプロデューサー)

手島実優(城崎美和:アイコ役を演じる女優、飛坂の友人)

伊東茄那(舞台女優?)

 

中澤梓佐(医師)

 

今井遥斗(アイコに「琵琶湖」というクラスメイト)

 

椎名香織(ルポルタージュのインタビュアー?)

 


■映画の舞台

 

おそらく都内

 

ロケ地:

東京都:新宿区

有薫亭

https://maps.app.goo.gl/BSi6HLkF1YuHesdv7?g_st=ic

 

東京都:練馬区(舞台鑑賞)

IMAホール

https://maps.app.goo.gl/8wprVi8877QDhn1h6?g_st=ic

 

神奈川県:相模原市

日相園(ボートデート、設定は琵琶湖)

https://maps.app.goo.gl/A8dW4UHZe69aGh7Y6?g_st=ic

 

東京都:文京区

拓殖大学 文京キャンパス

https://maps.app.goo.gl/8WXiyWQm9FrdfwHV9?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

都内の大学院で研究を続けているアイコは、生まれながらに左頬にアザがある女性だった

そのことを気にもしたし、周囲の反応に晒され続けてきた

 

友人のまりえの紹介であるルポルタージュのインタビューを受けたアイコは、そこで小学校の時にクラスメイトから「顔に琵琶湖がある」と言われたエピソードを披露する

そして、勢いに押されて、表紙用の写真撮影をすることになった

 

偶然、撮影現場の近くにいた映画監督の飛坂はアイコの表情に心を奪われる

そして、彼女のその時の写真が使われた書籍の存在を知り、その映画化のオファーをすることになったのである

 

アイコは拒絶するものの、まりえの顔を立てて一度会食することを決める

席で飛坂は本を読んだ感想、写真から感じたことを真摯に話すものの、自分の知らないところで映画化の話が進んでいることに憤りを覚えてしまう

 

だが、アイコに真摯に向き合いたいと願う飛坂は、「自分の作品を見てほしい」と非礼を詫びながら、連絡先を交換することになった

彼の作品には舞台女優の城崎美和が出演していて、アイコは作家性を気に入りながらも、特別な何かを感じ始めるのである

 

テーマ:容姿コンプレックス

裏テーマ:アザが馴染む過程

 


■ひとこと感想

 

「よだか」というキーワードに惹かれて鑑賞

宮沢賢治なんだろうなあと思いながら、どのような引用になるのだろうと期待していました

 

映画は顔にアザがある女性の葛藤を描き、そのコンプレックスの変遷であるとか、恋愛観の成熟の過程などを描いていきます

特徴的だったのはハレーションの効果で、飛坂との出会いのシーンだけに留まらず、多くのシーンでスクリーンを彩っていましたね

 

最初は少しクドい感じがして、光の当て方なども全体をぼやかそうとしているのかなと思っていました

その効果が中盤あたりから少なくなっていて、それはどことなく「アイコがアザを受け入れていく過程」のように思えました

 

最初は違和感としてあったものが、そのうち自分の一部になっていく

アイコにとってのアザは生まれつきのもので、クラスメイトもそれを特異なものとは感じていません

でも、大人の行き過ぎた配慮が逆に「違い」を際立たせるようになっていて、善意の意味が裏返るという本質を描くことになっていました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

美醜が評価に決め手になりがちな女性としては、顔にあるアザは看過できない問題であると思います

私個人は「美醜は見た目ではない」と思っていて、アザは個性でもないと思っています

 

それをどう受け止めるかは本人次第であると思うし、でも他人が反応するのは仕方のないことかもしれません

私もアイコさんを見たら条件反射をすると思いますが、相手が何かを言わない限りはふれることはしないでしょう

 

映画では、そのコンプレックスがきっかけとなって飛坂に会うことになり、そこから彼女の恋愛がスタートします

恋愛が始まってからのアイコは、誰もが通過するような葛藤に晒され続け、美和にマウントを取ろうとする様子などは微笑ましくも思います

 

結局のところ、アイコの恋愛の終わり方は美和と同じで、そこにあった違いというのは「恋愛観の違い」なのですね

また、飛坂の女性への態度もアイコと美和では差異はなく、彼がそのような属性を持っているところはブレていません

 

後半に宮沢賢治の「よだかの星」の引用があり、それに対する言及もありました

幼少期のアイコが朗読をするので意味はわかると思いますが、事前に知っておいた方が物語の理解のためには良いと思いますし、読むなら「最後まで」読むことをおすすめいたします

 


宮沢賢治「よだかの星」について

 

劇中で引用される『よだかの星』は、1921年頃に宮沢賢治が執筆したとされていて、彼の死の翌年の1934年に出版されました

設定では「よだかははちすずめやかわせみの兄」で、「鷹とは無関係の鳥」でした

でも、体の特徴、夜行性であることから、神様に「よだか(夜鷹)」と名付けられています

鷹が同じ名前を嫌って、「市蔵に改名しろ」というところまでが映画で引用されていて、それはちょうど半分にも満たない部分になります

 

その後の物語をざっくりと説明すると、「もう殺されると思って弟たちに会いにいく」「太陽に向かって飛ぶ」「お前は夜の鳥だから星に言えと言われる」「星に向かっても無視される」「力尽きるまで飛び続けて、燃える星になる」という流れになっています

青空文庫リンク

→「よだかの星」https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/473_42318.html

 

最終的によだかは星になりますが、神様からもらった名前を捨てないという決断を貫くのですね

このよだかの生き方に感銘を受けていたのが飛坂で、同じような感銘を「写真撮影の時のアイコ」から感じていました

真っ直ぐでいて繊細というような賛辞で彼女を肯定し、それに動揺したアイコは席を外してしまいます

 

飛坂とアイコが付き合いだした後、彼の書棚に「宮沢賢治作品集」が並んでいて、その一つを取り出した時に、美和のデビュー時のスチール写真が落ちてしまいます

2度目にそれを見つけた時、アイコは「写真を残している意味を探る目的」で、「宮沢賢治の作品の中で何が好きか」という質問をします

その際にアイコは『春と修羅』と言い、飛坂は『よだかの星』を挙げることになりました

『よだかの星』のよだかはアイコに重なる部分があって、アイコとしてはあまり好きな物語ではないかもしれません

でも、飛坂は「最後まで名前を捨てずに星になった」という生き方に感銘を覚えていて、それはその引用自体が「アイコへの告白に近いもの」であると言えます

 

「神様からもらった名前を奪われたら、生きていけないと思ったのだろう」というのが飛坂の感想で、名前というのは「先天的に授かったもの」のメタファーのように思えます

この言葉が後半の治療をどうするかという迷いにつながっていて、これまで生を共にしてきたアザの消失は「先天的なものの否定」にもつながっていると感じたのかもしれません

アザを治療して無くすことは、よだかが名前を奪われるのと同様の意味を持っているように思え、アイコは治療をしない選択をしていましたね

でも、顔に後天的に傷がついたミュウ先輩は、メイクで上手く隠す術を研究し、それが自分の突出した特徴にならないことを考えていました

 


人にとって「顔」とは何か

 

「人は見た目が9割」なんて本がありましたが、顔というのは個人を識別するために最も重要なパーツの一つであると言えます

人の美醜などもここに集約されていて、黄金比などで造形の良し悪しを考えるなんてこともあります

パーツのバランスや大きさなどが印象を決定づけますが、最も反映されているのは「心の状態」ではないでしょうか

 

人は感情を身振り手振り、言葉などで表現しますが、そう言ったものがなくても「顔を見ればわかる」ということがあります

表情はその時の感情を表現するもので、笑顔でも目が笑っていないなんてこともあったりします

現在はマスクで半分顔がわかりませんが、目元だけでもなんとなくわかってしまうほど、人間の表情というものは豊かであると言えます

 

心の状態がストレートに反映される場合、それは美醜に大きな影響をもたらします

パーツやバランスで美人だと判定されるような人でも、ひと度憎悪の感情を有していれば、恐ろしい形相になりますし、パーツ&バランスの美醜の判断は「素顔」以外には役に立ちません

変顔であるとか、動画の一部を切り取った悪意のある写真などによっては、絶世の美女もヤバい顔に見えるものなのですね

そして、ほとんどの人が笑うと好印象になっていて、可愛く見えたりするものだったりします

 

本作のアイコもアザが原因でいじめられた(疎外された)経験があり、それによって心の状態がどんどん落ち込んでいきます

考え事をしている人は考えている内容が表情に出ていたりするので、常にネガティヴなことを考えていると、表情は暗くなりがちで、人と接する前に印象が決まることがあります

思考というのは人によってパターン化しているもので、常に楽天的に考える人もいれば、悲観的に捉える人もいます

思考の角度も一定な人が多く、多面的に考えられる人は思った以上に少ない印象を持ちます

思考習慣は「反応」に結びつくもので、常態化した思考によって支配された表情は「素顔」と呼ばれたりします

いつもニコニコしているタイプの人、常に塞ぎがちに見える人、あえて表情を作らない人など様々ですが、アイコは「塞ぎがちに見えないように無表情を作るタイプ」に見えますし、飛坂は「自分が頭が良いと思われたいので、気取った感を作り出している」ように思えます

 

人にとっての「顔」とは、心の状態を表す一方で、コミュニケーションに対する対外的な態度表明を司っています

それを気にせずにガンガンくる人もいますが、総じて「相手の表情を窺いながら、話すタイミングを考える」という人の方が多いですね

それは「コミュニケーションを円滑にしたい」という前提のもとに、余計な衝突を回避しようとする反応がそうさせます

なので、それが転じて「話しかけづらい」などの印象というものが生まれてきます

自分自身の過去を振り返ってみると、人から話しかけられる機会が多かった時とそうでない時では、思考の内容が違ったりするもので、問題が多い時ほど「孤独」になっていたように思えてしまいます

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作では「人生観を変えた恋愛」を描いていて、始まりはいつも衝動的であるように思えました

自分の本質をわかってくれていると感じたアイコは、これまでの不遇の原因だと思っていたアザのことなど忘れていて、飛坂もそれを全く気にしていません

アイコは飛坂を繋ぎ止めたい一心で色んなことをしますが、彼が特殊な恋愛観を持っていたために、恋は終わりを告げてしまいます

 

飛坂の恋愛はフィルター越しになっていて、自分の目ではないカメラを通すことで、対象の本質へと迫っていきます

美和は飛坂と長年の付き合いがあり、彼の性質も自分の性質もわかっています

なので、フィルム越しの関係を紡ぐことを良しとしていて、彼女からすればアイコの衝動は「通ってきた道」だったのでしょう

 

アイコは美和のようには生きられず、直接的な独占を望みます

それは普通の恋愛観でありますが、普通の恋愛観を持っている人が飛坂と同じように自分を見てくれるだろうかという怖れはあるでしょう

人は「全体を見て好意を抱き、部分を見て嫌悪を抱く」という特性があります

全体は雰囲気のことを指していて、そこから深掘りしていくことで、具体的なパーツについての言及がなされます

通常、人を好きになるときにパーツという人は稀で、「どこが好き?」と聞かれて困るのは、「全体的な雰囲気とか所作が好きだから」と言えます

明確にフェチを自認していると、「唇の形が」とかになりますが、そう言った場合は「唇の形」だけが好きということは稀のように思います

でも、ひとたび嫌いモードに入ると、具体的に嫌いなところが無尽蔵に出てきて、また「パーツが全て」みたいな感じになることも多いですね

そう言った場合は、一部が全体と同じ色に見えてしまっているので、好きモードの逆パターンとして、それまでに無関心だったものまで鼻につく、なんてことも起こったりしてしまいます

 

全体を磨くためには「それぞれのパーツを鍛えても無意味」なので、その根源となる「心」とか「思考」の部分を定めることで、表層的な部分に波及させることができるのではないでしょうか

そういった訓練は意外と簡単で、思考を角度を変えて探る癖をつけることです

この映画を考察するとしても、アイコ目線、飛坂目線、ミュウ先輩目線、監督目線など様々な視点があります

特に全体を俯瞰している監督目線に立つことが重要で、それによって細部の配置が明確になっていきます

 

そういった訓練を続けていくことで、逆に「細部を通して全体を見る」ということもできるので、例えばこの映画だと「ハレーション効果の多用にはどんな意味があるか」という観点から、全体的に「アイコの中で先天的なものや外部の反応を自分の中に透過していく効果があるのかな」なんてことを考えるに至ります

必ずしもそこで正解は必要なくて、一つの思考の体系として、疑問から結論(推論)まで持っていくことが重要なのですね

アイコにその視点があれば、飛坂とうまく言ったかもしれませんが、この関係性の破綻の原因が「アイコの感情よりも外部との連絡を優先した」というところなので、あの瞬間にアイコは一部を通して全体を感じたことになります

女性特有の鋭さというものを飛坂も瞬時に感じてしまったので、「あ、終わったな」というのが一目でわかる演出になっていましたね

こういうリアリティを「魂は細部に宿る」と言いますので、そう言った意味でも色々と勉強になる映画だったのではないかと思いました

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/378981/review/c920c069-0202-4dac-9b48-e4ffbbd9a117/

 

公式HP:

https://notheroinemovies.com/yodaka/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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