■赦すという感情の上に積もり積もった蜜は、懺悔を得ても、その流れを拒みはしなかったように思えますね

 


■オススメ度

 

フィリピンが舞台の映画に興味がある人(★★★)

宗教映画が好きな人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日2024.3.7(アップリンク京都)


■映画情報

 

原題:Apag(食卓、hapag kainanの略語)

情報2022年、香港、104分、G

ジャンル:事故を起こした家族が遺族への償いをする様子を描いた宗教映画

 

監督ブリランテ・メンドーサ

脚本アリアナ・マルティネス

 

キャスト:(わかった分だけ)

ココ・マルティン/Coco Martin(ラファエル・トゥワソン:事故を起こすレストランのオーナーの息子)

 

リト・ラピッド/Lito Lapid(アルフレッド・トゥワソン:ラファエルの父、レストランの社長)

ジャクリン・ホセ/Jaclyn(エリース・トゥワソン:ラファエルの母、アルフレッドの妻)

Gina Pareño(アブラ夫人:アルフレッドの母)

 

グラディス・レイエス/Gladys Reyes(ニータ:事故死したマティアスの妻)

Carlos Canlas(マティアス・バクラタス:事故死したニータの夫)

Mercedes Cabral(シェーデン:ニータかマティアスの妹?)

John Luigi Pineda(トペ:ニータの息子)

Franzen Ghelo Tolentino(キャット:ニータの娘、事故時にバイクに同乗)

May Gosioco(ニータの娘?)

Elaine Gosioco(ニータの娘?)

 

Julio Diaz(マノン・フェリックス:レストランのコック)

Ronwaldo Martin(ノグ:マノンの息子)

Owen Canlas(ジョージ:レストランの従業員)

Bea Dizon(ベア:レストランの従業員?)

Marc Pangilinan(マーク:レストランの従業員?)

 

Shaina Magdayao(シェリー:ラファエルの元妻)

Joseph Marco(マルコ:シェリーの新しい恋人)

Lovely Enriquez(アデリーヌ:ラファエルとシェリーの娘)

 

Vince Rillon(囚人)

Mark Lapid(囚人)

Mahayka Navarro(看護師)

 


■映画の舞台

 

フィリピン:マニラ

カパンパンガン/Kapampamgan

 

ロケ地:

フィリピン:パンパンガ

サンタ・リカ/Santa Rita

https://maps.app.goo.gl/Y6Sm7WKMsGsqkArA7?g_st=ic

 

ガグア/Guagua

https://maps.app.goo.gl/5h7zdETjhYeHRQGRA?g_st=ic

 

サン・フェルナンド/San Fernando

https://maps.app.goo.gl/dJNAJ7y9kGHe5NEF8?g_st=ic

 

アンヘレス/Angeles City

https://maps.app.goo.gl/fAQqoq7jyZLQwQ3h9?g_st=ic

 

サスムアン/Sasmuan

https://maps.app.goo.gl/koctjAF7V7E3ymQv5?g_st=ic

 

バコロール/Bacolor

https://maps.app.goo.gl/5e79fKjhkyLgdr387?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

フィリピンの片田舎でレストラン経営をしているアルフレッドとその息子ラファエルは、食材の仕入れの帰りに、バイクと接触事故を起こしてしまう

アルフレッドは急遽運転を代わり、その場から逃げてしまう

 

妻のエリースの忠告を受けて弁護士に相談したアルフレッドは、有罪は免れず、被害者にできるだけのことをしなさいと告げた

事故を起こしたのはラファエルだったが、将来のことを考えてアルフレッドが罪を被り、そのまま収監されてしまう

ラファエルは複雑な思いを抱えたまま、被害者遺族への補償を含めて、未亡人となったニータ一家を招き入れることになった

 

ニータは献身的に働き、スタッフたちとも打ち解けてくる

アルフレッドは模範囚を目指して、囚人たちに聖書を読み聞かせる日々を続けていた

だが、ラファエルの心は一向に晴れず、告解を経ても、その心には何一つ光が差し込まなかったのである

 

テーマ:贖罪

裏テーマ:施しよりも必要なもの

 


■ひとこと感想

 

下調べをしていたら、フィリピンが舞台の香港映画ということになっていて、そのへんの事情がよくわからないまま鑑賞することになりました

ポスタービジュアルではたくさんの人々がご馳走の前に整列していて、てっきりホラー映画だと勘違いして観ていました

映画は、いわゆる宗教映画で、罪を償うことの意味、その方法について言及する内容になっています

 

物語は、事故を起こした息子の代わりに父親が禁固刑に処されるのですが、事故を起こした当の本人は苦しみ悶えるという感じになっていました

確かに事故を起こしたのはラファエルなのですが

逃げることを決めたのはアルフレッドなので、そっちの方が悪質なので、そこまで深く傷つくことなのかなと微妙な感じに思えてしまいます

 

映画は、この不穏な空気の中で、どうなるかをハラハラしながら観るという感じになっていて、それがラストの宴でどうなるか、というテイストになっています

最後の食卓に並ぶものの意味を考える中で、どのような結末を期待するかで、心の純度が試されてしまうような感じになっていました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

シチュエーションに入り込むまでに少々わかりにくい部分があって、それは事故を起こしたのはラファエルだけど、逃げることを決めたのは父親だったというところですね

父は無実で服役しているという感じになっていますが、それは違うだろうと思ってしまいます

また、なぜか被害者遺族の面倒を見るということで、雇入をしているように思えるのですが、どこまで彼らの面倒を見ているのかはよくわからないところがありました

 

映画は章立てになっていて、その章のタイトルが瞬間的には読めず、聖書の引用なんだなということだけがわかる感じになっていましたね

このあたりは聖書に詳しくないと意味不明な引用に思えてきて、解説書になるはずのパンフレットもなかったりと路頭に迷う人が多そうな気がしてしまいます

 

頑張って色々と調べてみますが、全ての疑問を解消できるかは、なんともいえないので、話半分くらいの期待値で、以下を読み進めていただけたらよいと思います

 


引用される言葉について

 

本作は章立てになっていて、その章にはそれぞれ「引用」がなされていました

文言は見たまんまですが、出典などについての簡単な解説をしておきたいと思います

 

【ACT 1:第1章】

 

It is good not to eat wheat or to drink wine, or to anything by which your brother stumbles.-Romans 12:21

肉を食べず ぶどう酒を飲まず そのほか兄弟のつまづきになることをしないのは良いことなのです(ローマ人への手紙 14:21)

 

『新約聖書』の中の一つで、使徒パウロによる書簡となっています

パウロ本人によって書かれた7つの手紙のひとつで、キリストへの信仰を示したものになっています

引用される14章は「福音がいかに人を変えるか、また変えられた人はどのように振る舞うか」を述べている章になっています

いわゆる行動指針のようなものと捉えてOKだと思います

 

【ACT 2:第2章】

 

He gives to the beast his food, And to the young ravens which cry. -Psalm 147:9

主は食べ物を獣に与え、また鳴く小からすにも与えられる(詩篇 147:9)

 

『旧約聖書』の一部の詩篇であり、「主はほめたたえよ。われらの神をほめうたうことは良いことである。主は恵みふかい。さんびはふさわしいことである」から始まる「147章」の一部となっています

147章は全部で20の詩篇から構成されていて、食べ物に関するものを引用しているのだと推測されます

 

【ACT 3:第3章】

 

Better a small serving of vegetables with love than a fattened calf with hatred.-proverbs 15:17

肥えた牛を食べて憎しみ合うより、青葉の食事で愛し合う方が良い(箴言 15:17)

 

『箴言』はユダヤ教の「諸書」の一つで、キリスト教でも『詩篇』と同じような扱いをされている書物とされています

中身はソロモン王によってつくわれたもので、律法に関する五書は知恵文学として、様々な言葉が収められています

「序文」から始まり、「ソロモンの格言」などが収められていて、引用されている15番目の言葉は「ソロモンの格言2」に書かれているものとなっています

このパートでは「対句表現」が多用されていて、引用句も「愛憎」が対句となっています

 

【ACT 4:第4章】

 

But when you give a reception invite the poor, the crippled, the lame, the blind. -Luke 14:13

むしろ宴会を催す場合には、貧乏人、不具者、足なえ、盲人などを招くがよい(ルカ 14:13)

 

『ルカの福音書』からの引用で、『新約聖書』に所収されているものになります

『ルカの福音書』は『マタイによる福音書』『マルコによる福音書』との共通部分が多く、共観福音書と呼ばれています

全部で17あって、本作では14番目が引用されています

 

【エンドロール前

 

Life is more than food, and the body more than clothes. -Luka 12:23

いのちは食物にまさり、からだは着物にまさっている(ルカ 12:23)

 

こちらも『ルカによる福音書』からの引用で、12番目のものになります

 

全体的に「食に関する言葉」が引用されていて、それがそれぞれの場面による「食物」の意味を示しているように思えます

最終的に「命は食に勝る」という言葉を引用しているように、ニータの赦しというものが描かれているのではないでしょうか

 


罪を赦すのは一体誰か

 

本作は、事故を起こしたラファエルがどのように罪と向き合うかを描いていて、最終的には「ニータに詫びる」という流れになっていました

弁護士に言われるがままに「医療費の補填」をしたり、雇い入れたりするものの、ニータがラファエル達をなじらないことで、却ってラファエルの罪悪感が増しているように見えました

ニータとしては、生活の基盤が壊れそうなところを支えてもらい、しかも雇入によって、家族の食事に困ることはありません

死亡による補償のお金も渡っているので、これ以上ない厚遇を受けていることになります

 

ある事件による補償というものは今の社会では一般的なことで、気持ちの部分を補填することは容易ではないために、そうせざるを得ない部分があります

この気持ちの部分に関しては、事故後の初動にかかっていると言っても過言ではなく、まずは罪を認め向き合っているのかというところが問われています

実際に起きた死亡事故でも頑なに自分の責任ではないことを主張している老人がいますが、初動から「起きた事件に向き合っていないこと」がはっきりと見て取れるので、それによって感情的な部分が一気に燃え広がっていきます

例えメーカーの不具合によるものだとしても、自分が事件に関わった当事者意識があって、自分の過失が少しでもあるならば、あのような対応にはなりません

 

あのケースは今回とは違い、加害者側には被害者に寄り添おうという意識があります

それでも、真摯に向き合うというものとはほど遠く、ひとまず事故現場から離れて救護義務を怠っているという時点で弁解の余地はありません

もし彼らがすぐに救急車を呼ぶとか、何かしらの対応をしていれば助かったかもしれないという余地を残しているだけでアウトなのですね

このケースでは、ラファエルが動揺し、それを制する形でアルフレッドが逃亡をしているので、実際にはアルフレッドの方が罪が重いと言えます

 

ラファエルは事故の当事者なのに罪を被らせているように捉えられますが、これもアルフレッドの主導によるもので、実際のところ「ラファエルは何もしていない」のですね

全て受動的で、周囲の言いなりになって反応しているだけで、それが自分自身をさらに苦しめることになります

逃亡自体がラファエルの意思で、身代わりも彼の意思で父を説得したとかだと、彼の中で「歪な正当性」というものを生むことになります

この「歪な正当性」というものはアルフレッドに起こっていて、それは彼が自分で意思決定をしているからなのですね

なので、彼自身には今の状況になっていることへの理解があり、そこに彼自身だけが納得できる正当性というものが生まれています

 

ラファエルはそのような資質を持ち合わせておらず、それゆえに立ち往生するのですが、この自分のなさというものは相手の怒りをさらに生む原動力になりかねません

でも、実際にはラファエル自身がずっと自分を責め続けているということが一種の罪滅ぼしのような感じになっていて、そして直接対話によって謝罪へとつながっていきます

彼の言葉と自責の念がニータに伝わり、それが彼女自身を解放に導くのですが、それが成し得たのは数年もの間ずっと苦しんでいたことを理解したからでしょう

ある意味、獄中にいた方が彼にとっては楽な生き方だったわけで、ニータが優しく接するたびに、ラファエルが苦しんでいく、という流れを汲むことになっていました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は、フィリピンで起きた事故なので、その後の対応や処罰に関しては、日本とはまったく違うものになっています

保険会社が間に入って示談交渉をすることもなく、保険金が支払われることもありません

この事故だと救護義務違反というものになり、しかも死亡事故も起こしているので、もっと重い罪になると考えられます

日本だと「救護義務違反」かつ「過失運転致死傷罪」ともなると「10年以下の懲役または100万円以下の罰金(救護義務違反)「7年以下の懲役または100万円以下の罰金(過失運転致死傷罪)」となり、「併合罪」というものになります

併合罪は2つの罪のうち、重い刑について定めた長期にその半分を加えたものが懲役となるので、「救護義務違反の10年とその半分の5年」を足した「15年以下の懲役」となります

 

映画のケースが日本で起こった場合は、ラファエルが過失運転致死傷罪で、アルフレッドが救護義務違反になるのかな、と思います

映画では、ラファエルが二つの罪を背負っているかのように苦しんでいますが、実際にはアルフレッドの方が悪質で罪が重いように思えます

このあたりはフィリピンでどうなのかということになりますが、救護義務違反のみならず、裁判での偽証、取り調べなどへの偽証というものもあるので、感覚的には「ラファエルが巻き込まれている」ように見えるのですね

事故に関しても、運転中のラファエルにかかってきた電話をアルフレッドが受けて、その流れから運転者に電話を渡しているし(運転の妨げ)、前方にいたマティアスも急旋回をしているので、事故自体が故意であるとまでは言えません

このあたりの事情が国によって違いすぎるところがノイズなのですが、本作の場合は「このような法体制である」と考えて、無理やり当てはめない方が良いのかな、と感じました

 

映画は、ラストにてアルフレッドの出所祝いがなされるのですが、ニータは最後まで「アルフレッドが主導して逃げた」とか、「身代わりを言い出したのがアルフレッドだった」というところは知らないのですね

なので、あくまでも「ラファエルが事故を起こして逃げて、父親が身代わりになった」という感じに捉えられています

この事実をニータが知ることなく、というところが結構ネックなところになっていて、それゆえにスッキリしない部分があったように思えます

 

映画は、観た後に「心が炙り出される」というキャッチコピーになっていますが、コピーを考えた人は「ニータが真実を知って復讐心を燃やす」とでも思ったのでしょうか

たとえそう思ったとしても、彼女自身が彼らに何かをするという可能性はほとんどないと思います

それは、結果として、彼女らは以前よりも裕福になっているからなのですね

なので、この関係性を壊すことなく、さらなる良好な関係を築こうと考えることによって、ニータの中では吹っ切れたものがあるように感じました

それを考えると、ラファエルの告白によって、ニータはその考えを変えるのかどうか、を問われた終局になっていたので、その答えがあの食卓だった、ということになるのではないでしょうか

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/100630/review/03573611/

 

公式HP:

https://www.m-pictures.net/feast/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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