■犬との共有体験が紡ぐ奇跡の関係性は、家庭環境の過酷さの裏返しになっている
Contents
■オススメ度
リュック・ベッソン監督作品が好きな人(★★★)
ダークヒーロー系が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.3.8(イオンシネマ京都桂川)
■映画情報
原題:Dogman
情報:2023年、フランス、114分、PG12
ジャンル:ある事件の容疑者が語る過去を主体にして構成されるクライム映画
監督&脚本:リュック・ベッソン
キャスト:
ケレイブ・ランドリー・ジョーンズ/Caleb Landry Jones(ダグ/ダグラス・ムンロー:犬好きのドラァグクイーン)
(10代:リンカーン・パウエル/Lincoln Powell)
Jackpot(ミッキー:電話を届ける犬)
Jr(ドアマン:ダグの家の前で座り込んでいる犬)
Mars(ポリー:股間に噛み付く犬)
Chester Sweet(モビー:指を届ける犬)
演者不明(ゴージャス:マーサが拾った犬)
演者不明(スヌープ:ダグが楽屋で可愛がってる犬)
ジョージョー・T・ギッブス/Jojo T. Gibbs(エヴリン・デッカー:ダグの話を聞く精神科医)
Corinne Delacour(エヴリンの母)
クリストファー・デナム/Christopher Denham(アッカーマン:保険会社の男)
Tom Hudson(アッカーマンの助手)
マリサ・ベレンソン/Marisa Berenson(ネックレスなどを盗まれる貴婦人)
Thierry Quéré(貴婦人の執事)
クレーメンス・シック/Clemens Schick(マイク・ムンロー:ダグの父)
アレクサンダー・セッティネリ/Alexander Settineri(リッチー・ムンロー:ダグの兄)
イリス・ブリー/Iris Bry(ダグラスの母)
ジョン・チャールズ・アギュラー/John Charles Aguilar(エル・ヴェルドゥゴ/モラレス・ディエゴ:みかじめ料を取るギャングのボス)
グレース・パルマ/Grace Palma(サルマ・ベイリー:孤児院で出会う演劇の先生→舞台女優)
Tom Leeb(ブラッドリー・カーター:舞台演出家)
Michael Garza(ユアン:みかじめ料の相談にくる青年)
Joe Sheridan(ロドニー:キャバレーの支配人)
Cameron Alexander(キャバレーのオーナー&ホスト)
Emeric Bernard-Jones(シェール:キャバレーのパフォーマー)
Kyran Peet(マドンナ:キャバレーのパフォーマー)
Jérémy Finet(アニー・レノックス:キャバレーのシンガー)
Eric Carter(キンビー:モビーの後を追う巡査)
Jeff Mantel(ローリング:モビーの後を追う巡査)
Naima Hebrail Kidjo(ダグを保護する婦警)
Pierre-Edouard Bellanca(検問の警官)
Avant Strangel(検問の警官)
James Payton(シェルター閉鎖を告げる役人)
Adam Speers(シェルター閉鎖を告げる役人)
Laetitia Mampaka(拘置所の女性看守)
Rudy Mukendi(拘置所の看守)
Alioune Sane(拘置所の看守)
Charles Gray(カブの運転手)
Derek Siow(マイクを逮捕する警官)
Stephane Moreno-Carpio(マイクを逮捕する警官)
Tonio Descanvelle(マイクを逮捕する警官)
Nathanaël Beausivoir(エル・ヴェルドラゴの手下)
Hedi Bouchenafa(エル・ヴェルドラゴの手下)
Roméo De Lacour(エル・ヴェルドラゴの手下)
Mael Fagla Medegan(エル・ヴェルドラゴの手下)
Willy Cartier(エル・ヴェルドラゴの手下)
Meledeen Yacoubi(エル・ヴェルドラゴの手下)
Hatik(エル・ヴェルドラゴの手下)
Joseph Latimore(ガレージのオーナー:面接)
Jeremiah Figuereo(レストランのオーナー:面接)
Yvette Mercedes(コインランドリーのオーナー:面接)
Jimmy Palumbo(花屋のオーナー:面接)
■映画の舞台
アメリカ:ニュージャージー州
ニューアーク
https://maps.app.goo.gl/fqiPZXzKTgpBR2Pm7?g_st=ic
ロケ地:
フランス:
エソンヌ/Essonne
https://maps.app.goo.gl/HCskvKGivpArmzp18?g_st=ic
アメリカ:ニュージャージー州
ニューアーク/Newark
https://maps.app.goo.gl/AjbiA8qh9ievdbBK6?g_st=ic
■簡単なあらすじ
雨の滴る夜道、一台のトラックが検問で停止を余儀なくされた
運転手のダグは警官から身分証を提示され、荷台を確認される
そこには大量の犬が乗っていて、ダグはそのまま警察の厄介になることになった
取り調べを進める警察は彼の処遇に困り、そこで精神科医のエヴリンを呼び寄せる
エヴリンはダグから話を聞くことになり、彼は少しずつ「過去」を話していくことになった
ニュージャージー・ニューアークに生まれたダグは、暴力的な父、従順すぎる母、意地悪な兄と共に幼少期を過ごしてきた
ある日の出来事を境に犬小屋に閉じ込められたダグは、それを機に犬との絆を深めることになった
ダグは犬との関わりになった経緯、幼少期の出会いと別れを語り、自身がドラァグクイーンになるきっかけを話していく
エヴリンはその過酷すぎる過去に言葉を失いながら、彼の人物像を探っていくことになったのである
テーマ:普遍的な愛
裏テーマ:生き様と死に様
■ひとこと感想
リュック・ベッソン監督の最新作ということで、キャッチコピー的には「新しいダークヒーロー誕生」みたいなことになっています
でも、実際には「ある人物の回想録」となっていて、彼はヒーローでもなんでもなかったことがわかります
冒頭ではフランスの詩人アルフォンス・ド・ラマルティーヌの未発表回想録の詩篇が登場します
また、ダグが「DOGMAN」を連想するのが、兄が掲げた弾幕「IN THE NAME OF GOD」の逆さ文字というのも意味深だったりします
あの時に自分の生きる道を選んでいて、最終的に「犬を遣わす立場」へと昇華していくのですが、その決意をもたらしたのが、精神科医のエヴリンの存在だったと思います
犬が有能すぎてファンタジーになっていますが、ありそうでなさそうなギリギリのラインになっていたように思えました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
映画は、犬を大量に連れていたドラァグクイーンを逮捕するところから始まり、扱いに困った為に精神科医が呼ばれるという流れから始まります
そこから「過去」を話す中で、ダグがどのような人物なのかを紐解いていく、という展開を迎えます
冒頭に登場するラマルティーヌの詩篇であるとか、「神の名において」の逆さ文字にあるように、本作で登場する「犬=神」という扱いになっています
なので、広義的な意味だと宗教映画に近い印象があります
エヴリンとの会話でもしばしば聖書の引用があったりするので、詳しい人向けの会話も多いように思えます
そう言えば、IMDBやクレジットなどを見ているとローラという少女とその母、ギャングのゲイリーというのがあったのですが、どこに出ていたのか記憶がありません
何か見落としたのか、それともカットされたのか、はたまた回想録の中で写真が出てきたとかなのかもしれませんが、正直なところわかりませんでした
なので、キャスト欄からは除外しています
■冒頭の言葉について
映画の冒頭にて、アルフォンス・ド・ラマルティーヌの詩篇が引用されていますが、それは英語に翻訳されたものでした
映画の引用部分は「Wherever there is an unfortunate, God sends a dog.」で、「不幸ある者のいるところあまねく、神は犬を遣わされる」という日本語訳になっています
実際のラマルティーヌの詩篇は、フランス語なので、以下のようになっています(翻訳はグーグル翻訳を使用し、意味が通じるようにかなり意訳しております)
Partout où il y a un malheureux, Dieu envoie un chien.(不幸な人がいれば、神は犬を遣わされます)
Je l’ai éprouvé vingt fois depuis.(私は20回ほど、それを体験した)
L’homme ne le voit pas toujours.(人はそれについて、あまり知ることはない)
J’en ai connu un qui avait l’honneur de sa misère et qui n’a jamais voulu se donner à moi après la mort du mendiant aveugle son maitre, ni manger autre chose que du pain mendié dans le ruisseau au lieu des mets de ma table, parce que ce pain de l’aumône lui rappelait son premier état et son dévouement au pauvre.(こじきのようになって、目が見えなくなっても、決して自分を悲観せず、自分を誇りに思っている。そんな人を私は知っている。テーブルのパンを見ると、彼の献身を思い出してしまう)
Il ne m’a même jamais par donné d’avoir essayé de le séduire par l’intérêt de sa gourmandise.(彼は飽食の中にいた私を褒めることもなかった)
« Tu ne m’as pas connu pour ce que je vaux, semblait-il dire ; mon honneur m’est plus cher que tes richesses. » J’étais riche alors, mais il était chien.(「私の価値を知らないでしょう」と言ったあなた。その時は私は金持ちで、あなたは犬だったけど、富よりも名誉が大事だったと言いたかったのでしょう)
グーグル翻訳さんの回答があまりにも意味不明だったので、かなり意味が通じるように「想像」を入れて意訳してみました
文中の「あなた」は犬のことなのですが、おそらくは自分が食べるよりも、助けたい主人に与えたというエピソードになっていて、「私」はそのようなことを多く目撃した、というものだと思います
「あなた」の行動をパンを見るたびに思い出し、「あなた」が大事にしていたのは、富ではなく名誉だった、と感じているのでしょう
あまりセンスのある意訳ではありませんが、なんとなくニュアンスが伝われば良いのかな、と思いました
■人と犬の関係性
キリスト教では、犬は穢れた動物のように扱われていて、そのような記述が多いとされています
聖書では、「卑屈な人、異邦人、あるいは義の道から離脱した人」などの比喩として使われることが多く、卑劣な人を犬に例えることが多かったのですね
これは、当時の犬が野犬などが多く、ペットではなかったという時代背景があるのだと思います
また、宗教画においては「夫の貞節の象徴として、女性のそばに描かれる」というのが多かったとされています
今では、犬は飼い主に忠実で、家族の一員として迎えられています
ダグほど意思疎通ができるということはありませんが、今では愛されキャラになっていますね
宗教において嫌われていた犬ですが、今でも「野良」に関しての扱いは悪いままだと言えます
あくまでも、愛犬家が飼っている犬に関しては地位向上がありますが、人に飼われていない野放しの犬とか、そもそも犬の飼育に興味ない人からの扱いはそこまで変わっていないように思います
宗教的な思想がそのまま残っているというのではなく、単に「管理されていないもの」がそばにいて、それを脅威と感じるという話なので、そもそも根底にある犬への感情というものが違うのですね
感覚的には、犬にまで愛情の範囲を拡大させている人が、犬の本来の本質に気づき、それを受け入れているという感じでしょうか
そのあたりの感覚が犬には伝わっているので、吠えられる人は吠えられるという感じになっていますね
今では、ペットの社会的地位の向上というものが叫ばれていますが、意思疎通できると思ってできている人と、意思疎通はできないと思ってできない人がいたりするので、その溝は埋まらないように思います
前者にはなぜできないのか理解できないという感覚になっているし、後者はそれを思いこみだと考えています
大事なのは、そのような感覚の違う相手に対して自分の価値観を押し付けないことなのだと思います
それらの思い込みは幼少期からの体験が紡いできたもので、幼少期からそばに動物がいる環境と、そうではない環境だと育つ感情が違うのも当然です
なので、大多数の人が動物を好意的に思っていない現状というなのは、環境が成熟していないことの表れのように思います
ちなみに、2020年の段階で日本国内の犬を飼育している世帯の割合は11.9%(約680万世帯)というデータもあります
一般的に見えても、まだマイノリティの状態であるということは推測されます
また、環境省の統計資料「動物愛護管理行政事務提要(令和5年版)」では、「犬による1年間の咬傷事件は4923件で、その内の3019件が公共の場だった」というデータがあります
1日あたり8人が日本のどこかで犬に咬まれているということになるので、犬に対する負の感情が払拭できないのも何となく理解はできます
これらを解消するには、咬傷を起こす犬の数を減らすことですが、これだけほぼ野良犬がいない環境になっているので、結構高めのハードルのように思えてしまいます
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、粗悪な環境で育ったダグが犬に愛されて成長したという前提があり、犬に守られ、同じようなものを食べて育ったことから、特別な関係が構築されていると言えます
狼に育てられた少女というものが話題になったことがありますが、ダグも犬と共に成長してきたという過程があり、その期間に育った絆というものは、常人が理解できる範囲を超えています
犬は野生の動物ですが、この映画を観るように「訓練次第ではすごい演技をする」というように、信頼関係によってコントロールできる部分があったりします
ダグの異常な犬との関係性が、映画制作によって補償されているという不思議な関係性があり、近年ではCGではない動物のパフォーマンスというものが増えているように思います
映画は、ダグの犬たちをどれだけリアルに感じられるかというところが評価の分かれ目になっていて、その行動の幅がファンタジーの域に達していないか、というところに着目されます
映画では個々のシーンは別々に撮影されているので、ダグが合図をして無線機を届けるという一連のシーンでも細かく撮影されています
なので、映像として繋げばあたかも指示通りに動いているように見えていますが、実際にダグのように操れるかを信用させるところまでは至っていないように思います
そういった目線で行くと、犬たちの指示の理解度合いとか行動が想像の斜め上なので、ファンタジーに思われてしまうのは仕方ないのかな、と感じました
映画は、環境が人を育てるという感じに紡がれていて、人というものから阻害されまくっているダグを描いていきます
父の暴力、母の遺棄、兄の狡猾さなど、周囲にまともな人がいないという状況でした
さらに施設に入ってからはサルマとの関係性に想いを馳せるものの、そもそも演劇の先生と生徒という関係性から抜け出すことはできていないのですね
その後も、ドッグシェルターを経営しては行政から閉鎖を告げられたり、お金を稼ごうとしたら、門前払いを喰らいまくっているのですね
そうした先にあった生きる術も、やがては周囲の環境によって壊されてしまいます
ダグが最後にあの行動を取ったのは、自分と同じ痛みを有しているエヴリン一人でも救えたら満足だった、ということなのだと思います
あのまま、社会からはみ出して生きていくことも可能でしょうが、ダグはそこに意味を感じていません
彼はまるでシェイクスピアの悲劇の主人公に自分を準えることで満足していて、それ以上のものはなかったのでしょう
エヴリンに贈り物をすることで「犬を遣わせる立場」になるのですが、それが唯一の社会への抵抗だったのかな、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/99902/review/03576183/
公式HP:
https://klockworx-v.com/dogman/