■ある男であることについて、肯定も否定も必要としない世の中になりつつあるのかもしれません
Contents
■オススメ度
戸籍関連のヒューマンミステリーが好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2022.11.18(イオンシネマ京都桂川)
■映画情報
情報:2022年、日本、121分、G
ジャンル:他人になりすました男の真相を追うミステリーテイストのヒューマンドラマ
監督:石川慶
脚本:向井康介
原作:平野啓一郎(『ある男(2019年、文藝春秋社)』)
キャスト:
妻夫木聡(城戸章良:「大佑」という人物の身元調査を依頼される弁護士)
安藤サクラ(谷口里枝:バツイチのシングルマザー)
窪田正孝(谷口大佑/ある男「X」:里枝と所帯を持つ謎の男)
(幼少期:伊藤駿太)
坂元愛登(悠人:里枝と元夫の子ども)
(幼少期:森優理斗)
小野井菜々(花:里枝とXの子ども)
眞島秀和(谷口恭一:本物の大佑の兄、旅館経営者)
仲野太賀(谷口大佑:本物の大佑、行方不明)
真木よう子(城戸香織:章良の妻、令嬢)
岩川晴(城戸颯太:章良と香織の息子)
モロ師岡(香織の父)
池上希実子(香織の母)
清野菜名(後藤美涼:本物の大佑の元恋人)
小藪千豊(中北:章良の同僚弁護士)
山口美也子(武本初江:里枝の母)
山野海(奥村:里枝の店の客)
きたろう(伊東:Xが勤めている林業会社の社長)
松浦慎一郎(黒木:Xの同僚)
でんでん(小菅:ボクシングジムの会長)
カトウシンスケ(柳沢:ボクシングジムのトレーナー)
河合優実(茜:バーの店員)
芹澤興人(バーのマスター)
柄本明(小見浦憲男:城戸が事情を聴取する収監者)
矢柴俊博(鈴木:章良がバーで会う男)
■映画の舞台
日本のどこかの地方都市(山梨県あたりのイメージ)
群馬県:渋川市伊香保
大阪府:大阪市
ロケ地:
山梨県:笛吹市
三心亭おいがた
https://maps.app.goo.gl/nq4rdcu4DBdijpHi6?g_st=ic
静岡県:富士宮市
ふもとっぱら
https://maps.app.goo.gl/vX7Vyy6yezutnHqK9?g_st=ic
群馬県:渋川市
伊香保温泉石段街
https://maps.app.goo.gl/sZYpiTbFQZKwgrJV8?g_st=ic
■簡単なあらすじ
夫と離婚し、息子・悠人と暮らす里枝は、ある日物静かな青年・谷口大佑と出会う
絵を描く趣味のある彼はスケッチブックや画材をこまめに買いにきていて、この町の色んな景色を切り取っていた
近所の人を交えた会話の中で「絵を見せる」という話題になった末、大佑は里枝にそのスケッチブックを見せにきた
そこには境内でサッカーをしている子どもたちが描かれていて、その中の一人が悠人に見えた
それから友達関係になった二人は、悠人も交えてさらに関係を深めていく
そして、それは大人の関係へと進展していく
そして二人はいつしか籍を入れ、悠人に新しい父親と妹・花ができることになったのである
だが、幸せな時間は長く続かず、悠人が大佑の職場を見学に来た際に事故が起きてします
その事故によって大佑は死んでしまい、それから1年経った頃、大佑の兄が里枝の元にやってきた
そこで遺影を見た兄は、「この男は大佑ではない」と言い、「まったくの別人だ」と言い出す
そこで里枝はかつて離婚調停で世話になった弁護士・城戸章良を頼ることにした
章良は大佑の身辺を洗い出し、戸籍交換を行なったのではないかと推測する
そして、大佑が交換をした時期に取り合ったのではないかと思われる詐欺師・小見浦を訪ねることになったのである
テーマ:塗り替えるべき過去
裏テーマ:塗り重ねるべき過去
■ひとこと感想
原作未読にて鑑賞
予告編の中で「戸籍の売買」にはふれていましたが、本編ではさらに踏み込んだ設定がありました
この役柄を真正面から描くこともすごいですが、このオファーを受けた妻夫木聡さんの役者魂も相当だったと思います
映画はミステリー仕立てではありますが、その根幹は「そうまでして生きる理由」を描いていて、ヒューマンドラマのカテゴリーになるのかなと思います
前半は「ある男」の現在軸を描き、中盤で「ある男」の背景を描き、後半で「ある男」の決断を描いていきます
この「ある男」についてのめり込んでいく章良が描かれ、その執着の意味がラストでわかるようになっています
戸籍交換や売買についてのリアルというよりは、そういったことまでして生きていかなければならない人々を描いていて、それが本人の行動から派生した行動の結果なら同情の余地はありませんが、背景にそれが組み込まれた人生ならば、縋りたくなる気持ちはわからなくもありません
「ある男」にそれをさせてしまう土壌というものは、我々が作ってきたものとも言えるのではないでしょうか
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
「ある男」について、大佑が何者なのかということよりも、在日3世である章良の葛藤の方が色濃く描かれていました
トップクレジットが妻夫木聡さんですが、彼が登場するのが映画が3割ほど進んだ段階という特徴的なものがあり、しかも主役登場という感じの演出になっていましたね
戸籍交換や売買についての具体的なところは描かれず、そんなことができるんだという程度ではありますし、一般人の大佑がどうやってその方法を知り、実行に移せたのかまでは描かれていません
でも、死刑囚の子どもというレッテルは本人の重い枷となり、それを外すためにならなんでもするというマインドは理解できます
劇中では「在日」「死刑囚の息子」「老舗旅館の子息」という「自分の力ではどうにもならないレッテル」を貼られ、自分でも貼ってしまう三人が描かれていきます
そして、何かに没頭していく様は、まるで別人を演じている何者かになっている瞬間のようにも思えました
「いつものあなたに戻って」という章良の妻の言葉は、彼女の行動によって意味を変えていくというもの興味深いものだったと思います
■名前とは何か
映画では「戸籍」の売り買いや交換を描き、ネームロンダリングによって新しい人生を手に入れようとした人々を描いていきます
この手法は古くからあって、出生が大阪の下町だったこともあって、噂レベルでは聞いたことがありました
実際にどうやってやりとりするのかまでは知りませんし、深入りしたくなかったので、それ以上の深掘りをしたことはありません
その頃に多かった手口は、ホームレスに小遣いを渡して、それを欲しい人に売るというもので、ホームレスには数万程度の小遣いで、売る時には数百万なんて話もあったりします
これは日本国籍同士のロンダリング手法で、他には「戸籍ロンダリング」なんてものもあります
ある人と入籍した状態で借金を重ねて自己破産、その後に離婚をして、しばらくしてからその妻と再婚し、その時に「妻の姓で籍を入れる」という方法ですね
今ではその手は通用しませんが、今度はそこに「国籍ロンダリング」という手法が加わってきました
このあたりは踏み込むと面倒なので割愛しますが、やろうと思えばできるし、横行しているという現状もあります
映画では「在日3世」「死刑囚の息子」「老舗旅館の跡取り(次男だけど)」の三人+小見浦がネームロンダリングを行なっていますが詳細は伏せていましたね
この中で、明確な理由が語られないのが本物の谷口大佑で、原作ではもっと詳細な語るべき理由があります
このあたりは原作を読んでいただいた方がすっきりとしますし、相応の理由であることは理解できると思います(サラッとでもふれておいた方がよかったかなと個人的には思います)
名前とは個人を特定するものですが、それを保証するものではありません
ある意味、個人を特定するために付けられる固有名詞なのですが、普通の固有名詞と違うのは、その個人を誕生させた本人たちによって与えられ、それが基本的には変わらないというところがあります
でも、あだ名であったり、ペンネームなどが後天的に付随して、戸籍や正式な氏名とは違った形で個人を特定することもしばしばあります
このように、名前というのはあやふやなところがあって、個人を認識させる上での共通意識に盛り込まれるまでは、対外的には自称に近い意味合いを持っていると言えるかもしれません
■人は誰を演じて生きていくのだろうか
人は名前によって個人を特定させますが、通名やペンネームなどの方が広く認知される場合もあります
芸能人などは顕著ですが、実際には一般社会でも「名前」というもののあやふやさというものはあります
子どもが親を固有名詞で呼ばないのと一緒で、会社でも「肩書き」で呼び合うことも少なくありません
そして、肩書きで呼ばれるコミュニティでは、「肩書きを演じている」という状況が生まれてきます
人には「公私」があって、公でも社内、社外があるし、私でも母として、女として、妻としてなどの家庭内ポジションから、個人名であるとか、匿名、ハンドルネームなどのように多岐に分岐しています
それぞれの「自分のことを指す言葉」で呼ばれる際には「その言葉から派生するキャラクター」を演じているとも言え、公私混同していつでも「素」という人間の方が少ないと思います
この使い分けが窮屈になり、煩雑になった時、人は「自分は一体何者なのか」を自問する瞬間があるのですね
そこで、「すべて自分」と思える人と、「この自分は自分じゃない」と思ってしまう人がいて、後者はそれを深掘りして悩んでしまうという傾向があると考えます
私個人はどの自分も自分で、あえて色んな人生を同時に歩もうと考えています
人生は一度きりと言いますが、多種の自分を同時に生きることは可能なのですね
なので、病院事務の自分、工場勤務の自分、ブロガーとしての自分など、それを同時にこなしながら、やりたいことを優先順位をつけてやろうと考えています
人は「自分で名前を作り出して、その人間になることができる」もので、その新しい人格に対してどう向き合うかというところが鍵になるのと言えます
自分で作ったものは受け入れやすいですが、他人から与えられたものは受け入れ難い傾向にあります
本作で描かれるレッテルの部分は、まさに他人がつける剥がせないもので、かつ「社会的に生きるのに弊害が多い」という名前だったので変えざるを得ないという悲しい現実がありますた
これらは、簡単に心理的な問題だけで片付けられない厄介さというものが付き纏うので、前述のような新しい生き方とは質が違います
それでも世の中には不利と思えるレッテルを活かして、それによって特殊な対価を得るという人間は少なからずいたりしますね
他人が自分を見る感覚を変えることはできないので、それを利用することで、生きたい人生を生きるという方向にシフトできる人も存在します
このあたりは映画の主題とは異なるので割愛いたします
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画は「他人からつけられたレッテル」を本人が拒絶するという人生を描いていて、それをなんとかしようとしてきたけど、人生の大半を苦悩で埋め尽くしてきた人々が描かれていました
その中でも「在日3世」として生きてきた城戸は、その苦しみをさほど味合わなかったように描かれています
でも、実際には内面に思うところがあって、在日関連のニュースの際に子どもを叱りつけるという場面もあったし、大佑の過去を調べていくうちに「もしかしたら自分にも必要だったかもしれない」と思い始めて、「そうでもしないと生きていけない人もいるんだ」と声を荒げるシーンがありました
在日などによる出自に関しては本人ではどうにもなりません
城戸は帰化という条件を満たして日本国籍を有しますが、かと言って「差別と無縁になる」ということはありません
結局は何かあるごとに過去をほじくり返され、その出自があたかも何かを生み出したのように他人の欲求の捌け口になってしまうこともしばしば起こります
今はグローバリズムの時代になって、多種多様なコミュニティが生まれていますが、その中でも根幹となるのは「血族」「思想」であると言えます
血族は身体的なルーツになりますが、人間の社会は思想的なルーツというものの重要さが増しています
その代表的なものが「宗教」で、それに付随する「思想信条」「主義」というものが派生を表していきます
今ではこの思想信条系の方が血族の結束よりも強くなっていて、それは身体的遺伝体系よりも強固なコミュニティを作り上げていきます
そうした背景が世界で蔓延しているので、土着的な繋がりを求める種族との争いになっているようにも思えます
映画のラストでは、城戸が自分の背景を偽って、そこにいたバーの客と話をし始めますが、ネームロンダリングを行わなくても、浅い付き合いならば人生を偽装することは容易なのですね
それによって自分の中に生じているものは何かということを考えた時、人は二つの分岐に差し掛かることになると言えます
一つは「違和感による後悔」で、もう一つは「快感による肯定」です
城戸がどちらを感じたのかはわかりませんが、後者を感じる人も多い世の中なので、そこに悪意が潜んでくることもある、ということは注意しておいたほうが良いと思います
人は社会的に保証があると思われがちな固有名詞を漠然と信じる傾向があります
映画内でも城戸は小見浦の「私が戸籍ロンダリングしていないと思うのか?」という発言をしていました
このセリフが本当ならば、小見浦という人物は本物ではないわけで、社会的に保証された固有名詞がいかに脆弱であるかを突きつけていると言えます
あのシーンの彼のセリフは真実が見えていない城戸に対する挑発のようなもので、実際には戸籍交換はしていないと思います
このシーンはのちの城戸のなりすましに繋がっていたので、城戸自身が「他人の人生を騙る人生で見えるもの」を追求するきっかけに繋がっているのかなと思いました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/378671/review/35caca76-326b-473d-a12d-d75cff7c2742/
公式HP:
https://movies.shochiku.co.jp/a-man/