■仲間に降りかかる難題を自分のものにしても、その克服に助力しない勇気は必要なものである
Contents
■オススメ度
ジャズが好きな人(★★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.2.18(イオンシネマ京都桂川)
■映画情報
情報:2023年、日本、120分、G
ジャンル:世界一のサックスプレーヤーを目指す青年が、東京でジャズバンドを組んで切磋琢磨する青春音楽映画
監督:立川譲
脚本:NUMBER 8
キャラデザ:高橋裕一
音楽:上原ひろみ
原作:石塚真一『BLUE GIANT(2013年、小学館)』
キャスト:声の出演
山田裕貴(宮本大:ジャズに魅入られてテナーサックスにハマる高校生)
岡山天音(玉田俊二:大に誘われてドラムを始める元サッカー部員)
間宮祥太朗(沢辺雪折:4歳からピアノを始めたピアニスト)
近藤雄介(宮本雅之:大の兄)
須田美玲(宮本彩香:大の妹)
木下紗華(アキコ:上京した大が最初に行くジャズバー「TAKE TWO」の店主)
青山稜(川喜田元:雪折が無理難題を頼み込むベテランジャズギタリスト)
東地宏樹(平:「So Blue Tokyo」の担当者)
木内秀信(天沼:ジャズフェスティバルで対決するジャズピアニスト)
乃村健次(由井:大にサックスを教える音楽教室の講師)
加藤将之(五十貝:大に名刺を渡すレコード会社の社員)
【演奏】
馬場智章(宮本大、サックス)
上原ひろみ(沢辺雪折、ピアノ)
石若駿(玉田俊二、ドラム)
■映画の舞台
都内各所
■簡単なあらすじ
宮城県仙台出身の宮本大は、世界一のサックスプレイヤーになるために単身で上京してきた
部屋を借りるまでの借宿として親友の玉田の家に転がり込んだ大は、夜な夜な河川敷に出てはサックスの練習に明け暮れていた
ある夜、近くのジャズバーを訪ねた大だったが、そこではライブはしていないという
店主のアキコがレコードを取り出して流していると、「今日の天気に合わせた選曲ですね」と彼女の胸の内を読んでいた
アキコは「ここならやっているかもしれない」と別のジャズバーを教える
大がそこを訪れると、4ピースのジャズバンドがナンバーを披露していて、彼はそこにいたピアニストに心を奪われた
ライブの後、大は彼に声を掛け、「一緒に組まないか?」と誘う
彼は沢辺雪折と言い、4歳の頃からピアノにふれてきたという
自信家の大は彼をアイコの部屋に呼び、そして、サックスの腕前を披露することになったのである
テーマ:感情の音楽
裏テーマ:音の中に自分が宿る
■ひとこと感想
ジャズピアニストの上原ひろみさんが音楽を監修し、劇中のピアノも担当しているとのことで迷わずに鑑賞
CGのモーションキャプチャーの出来栄えこそかなり微妙でしたが、それを補って余りある音楽と、心を揺さぶるストーリーテリングに圧倒されました
普段からジャズを聴く習慣はなく、それこそ映画に出てくる「大たちの演奏を聴く一般人」なのですが、その分新鮮な耳で音楽に向き合えたと思っています
物語は原作準拠で、ラストに改変を加えているようですが、この映画のテイストならば改変はOKかなと思います
むしろ、エンドロール後の大たちを描く必要はなくて、「音楽で終わった」方が良かったように感じました
ジャズは感情の音楽であると、劇中で紹介されるように、その日によって表現されるものが違います
なので、CDなどで聴くのと、ライブを体感するのでは意味合いが大きく異なります
そのスタンスはどちらも正解ですが、映画の中ではライブの方を重視していて、それゆえラストの伝説へと繋がっていったのだと感じました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
原作のことを何も知らなかったので、雪折の退場に関しては衝撃が強すぎましたね
音楽で打ちのめされるだけではなく、そこに理不尽な仕打ちが重なっていて、でもそれが伝説をさらに気高いものに変えていったと感じました
音楽に関しては、もう圧巻という陳腐な表現しかできないのは残念ですが、実際にプレイヤーを間近に見ていなくても、演奏者の感情を感じられるというのは相当なことだと思いました
映画の音源で再度噛み締めるのも良しですが、機会があればAtmosかドルビーで体感したいですね
物語は「JASS編」ということで、大が国内で伝説になっていくまでを描いていて、続編を期待せずにはいられません
演奏シーンはモーションキャプチャーを取り込んだCGで、そのヌメっとした感じは微妙ではありましたが、それ以外の効果的な演出などは、音楽と戦っているなあと感じました
■ジャズとは何か?
「ジャズ(Jazz)」とは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズのアフリカ系アメリカ人コミュニティで生まれた音楽ジャンル」のことを言います
そのルーツは「ブルース(Blues=ざっくり言えば、シャウト&チャント&韻が特徴的なスピリチュアル))」「ラグタイム(Ragtime=不規則なリズム形態)」とされています
特徴的なのは、スウィングするリズム、裏打ちのシンコペーション、複雑なコード&スコア、即興演奏などが挙げられます
西アフリカの文化及び音楽表現とアフリカ系アメリカ人の伝統音楽がミックスされたものと言えます
語源としては、1860年頃の俗語で「エネルギーを意味するJasm」であるとされています
音楽的な文脈の表現で使用されたのは、1915年の「シカゴ・デイリー・トリビューン」で、「ニューオーリンズの音楽文化を紹介する際に使用された」と記録があります
翌年の「Times−Picayune」のジャズバンドに関する記述にて、記録され、ジャズの作曲家&ピアニストのユービー・ブレイク(James Hubert “Eubie” Blake)は、「女性の前で使う表現ではない」とラジオのインタビューで答えていました
「JAZZ」の前身は「JASS」で、フランス語の「Jaser=元気づける」という意味で、「性行為を指す」という語源がありました
18世紀頃のニューオーリンズの奴隷は、アフリカのコンゴ広場に集まり、社交的な行動を繰り広げていました
1866年頃、その地域からの奴隷貿易にて、アフリカ北部に移住し、西アフリカ&コンゴ川流域の音楽伝統を持ち込みます
当時のアフリカの伝統的なスタイルは「Single Line Meldy(=単一のメロディライン)」と「コールアンドレスポンス(Call and Response、数個の音符に呼応するフレーズで直前のフレーズの解説になるフレーズ)」で、「リズムはカウンターメトリック(Conter-metric=Cross−Beat)」であったと言われています
説明になってるか分かりませんが、1小節の中で「バスドラムが2回鳴っているときにスネアドラムを3回鳴らす」みたいな感じで、「バス=スネア同時打ち」のあと、「スネア→バス→スネア」と等間隔で交互に打って、元の「バス=スネア同時打ちに戻る」という感じです(これをポリリズムのクロスリズミックレジオの3:2」というふうに言います)
メインリズムにサブリズムを合わせる際の対比(レシオ)が「3:2」ということですね
レシオが変わればクロスビートも変わるので、「6:4」「3:4」などのクロスビートなど、多彩なリズム表現があります
バスドラムが1小節の中で3回等間隔に鳴らすとしたら、サブに当たるドラムを4回等間隔に鳴らすと「3:4」になりますので、起点となる一拍目でぶつかった音が「その後どこかでぶつかる場合もあれば、ぶつからない場合もある」のですね
この辺りは「ウィキペディアでクロスビート(上のリンクを踏んでもOK)」をググって、そこにある音源を聴いてもらった方が早いかもしれません
話は逸れましたが、奴隷たちはそのようなリズムをその辺にある日用品を打ち鳴らすことで表現してきました
その後、アフリカのリズムは保持され、太鼓の禁止があっても、足踏みや拍手などのボディリズムで継続されました
それらのリズムが多くの音楽家たちに取り入れられてきたのですね
その後、ブルース、スウィング、ビパッブ、ハードハップなど(長くなるので説明は省きます)を経て、モーダルジャズ、フリージャズ、ラテンジャズ、ジャズフュージョン、サイケデリックジャス、ジャズファンク、スムーズジャズetcなどの広がりを見せていきました
このあたりの流れは「説明上手なマニアのブログ」を参考にしていただいた方が正確かなと思います
■ライヴと音源の違い
ジャズの特徴として「即興演奏」があり、それらの要素の一つとして、「ジャズは感情の音楽である」という表現がなされていました
映画内でも「雪折のソロはいつも同じだ」と大が言い、それ自体が雪折のプレイの枷になっていました
彼がその時点で壁を越えられなかったのは、感情を音楽に乗せることの経験値不足と、複雑な譜面を完璧に弾きこなす正確性があったからだと思います
ジャズはたまに聴く程度なのですが、いつも思うのは「あれ、譜面あるんかな」というもので、メインテーマを定めた後は「流れで」みたいな感じになっているように思いました
いわゆる「サビ」は一緒で、そこに着地するまでの数小節は自由という感じで、列からはみ出して良い時間がある程度決まっているという感じですね
なので、劇中でも「もう一回行け」みたいな流れのアイコンタクトがあって、さらにそこからもう一回列をはみ出していくようなシーンがありました
そこで表現されるものが毎回違うという印象で、その他のメインフレームはあまり崩さない&少しだけ調味料を変えるというイメージを持っています
例えとして正しいかは分かりませんが。今日のオムライスはケチャップが主流だけど、一口目はそのまま食べて、二口目は胡椒をサラッと振って食すみたいなイメージで、口安めに飲むスープは個性的(これがソロかな)だけどオムライスの味は損ねないみたいな感じなのかなと思います
ジャズライブを楽しむお客さんは毎回オムライスを頼むマニアだけど、添えられるシークレットスープを楽しむという感じなのかもしれません
なので、雪折のシークレットスープはいつも同じ味で、それは単体では良いけれど、ライブ感が削がれてしまって、メインのオムライスへの感動も薄れてしまう、という感覚に近いように思いました
音源でジャズを聴くと、基本的には流れてくる音楽データは同じです
でも、同じ音楽データから同じ感情が生まれるかは別の話です
「TAKE TWO」に来た大はアヤコが流したレコードを聴いて「天気に合わせた」と言いますが、あの音楽は雨の日に聴くから沁みるのではないと思います
音楽というのは相応しいTPOがあることは事実ですが、それに縛られるものでもないでしょう
あのシーンであの楽曲がマッチしたのが、「雨だった」のか、「見たかったライブが見れなかった寂しさ」なのか、「上京先で居場所を見つけた安堵だった」のかはわからないのですね
アヤコは天気で曲を選びましたが、それだけではないというのが個人的な感想でしたね
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作はジャズ映画ではありますが、青春映画としての物語性も深いものがありました
世界一のプレイヤーになる夢を持つ大と、上京して目標を見失った玉田がいて、彼らとは別の次元で高みを目指す雪折がいました
大はまったくブレることなく夢に邁進し、玉田と雪折は挫折や迷いを経験していきました
この手のサクセスストーリーは主人公に災難が降りかかるものが多いのですが、本作は主人公自身がアクシデントに遭うことはありません
この構成を見ていて思ったのは、自分に厄災がなくても災難は訪れるという意味があり、巻き込まれる状況は大にとっての災難でもあるという点ですね
玉田が成長しないこと、雪折が認められないこと、さらに事故によって夢の舞台で不在になること
これら全ては大にも降りかかっている難題であると言えます
でも、どんなときにも大は揺るがず、かと言って他人を踏み台にはしません
このマインドがどこからくるのかは原作を読まないとわからないのですが、想像の範疇だと、アクシデントも夢への過程で必要なことと割り切っているからなのかなと思いました
大は徹底的に「自分の問題と他人の問題を分けている」のですが、他人が乗り越えるべき試練に対して、助力をするということはありません
それは相手を思い遣っていないからではなく、叩かれることで生まれる強さがあることを知っているからでしょう
雪折は平に酷評された際に「そこまで言うか」と呟いた後に「そこまで言ってくれるか」と言います
雪折に必要な要素は、完膚なきまでの本質への攻撃であり、彼自身の武装が強力すぎるからだったと思います
平も大も彼の武装に気づいていて、その根幹を治さないことには前に進めないことを気づいています
雪折と大は似ている部分が多くて、特に「自分の夢のために人を巻き込むこと」については戸惑いがありません
これらの資質の類似によって、雪折の挫折というのは「=大の挫折」であるように見えるのですね
平に言われる「他者への敬意のなさ」は、そのまま大にも当てはまる問題で、でも大に障壁がないのは、人柄であるとも言えます
そうした「人たらし」の部分が雪折と大の目的に向かう過程の質の違いに現れていましたね
大はファーストステージに敬意を払い、雪折はその場所を卑下する
人に音楽を聞いてもらうというスタンスにおいても違いがあって、彼はステージ以外では誰かに聞かせることはしないのですね
あえて、音が他の人に聞こえにくい場所を選んで練習していて、聴衆に聴かせる音楽は未完成ではダメだと考えていました
この大の考えをアヤコは理解していて、雪折を聴衆と見立てたとき以外は、そこで誰かに聞かせることはしません
そして、形になって、それを披露できると自分が判断したときに初めて、聴衆を入れるライブを始めます
大は「この場所を覚えておこう」と自分に言い聞かせ、そして演奏を始めます
そこには明確な夢へのステップがあって、その過程のひとつを大事にしていることがわかるのですね
大はいわゆる「夢への地図を持って、行き先を知って、現在地を知る」数少ない成功者のマインドを有しています
それゆえに、あの場面であの言葉が出たのだと思いました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/379546/review/c5051bdb-1e2e-490c-8e63-df5c01cff2e4/
公式HP: