■「総統のお言葉ですから」と言われたら、どんな意見を言えばいいのだろうか


■オススメ度

 

無慈悲な会議を目撃したい人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2023.1.25(アップリンク京都)


■映画情報

 

原題Die Wannseekonferenz(「ヴァンゼー会議」という意味)、英題:The Conference(「会議」という意味)

情報:2022年、ドイツ、112分、G

ジャンル:1942年に実際に行われたヴァンゼー会議の議事録を基に再現された「ユダヤ人の最終解決」決定を描いた伝記映画

 

監督:マッティ・ゲショネック

脚本:マグヌス・ファットロット&パウル・モンメンツ

原案:アドルフ・アイヒマンが書いたとされる「ヴァンゼー・プロトコル(議事録)」

 

キャスト:

フィリップ・ホフマイヤー/Philipp Hochmairラインハルト・ハイドリヒ/Reinhard Heydrich:国家保安部長官、親衛隊隊長、奥中央)

ジェイコブ・ディール/Jakob Diehlハインリヒ・ミュラー/Heinrich Müller:親衛隊中尉、ラインハルトの向かって左)

マルクス・シュラインツアー/Markus Schleinzerオットー・ホフマン/Otto Hofmann:親衛隊中尉、ラインハルトの向かって右)

 

【向かって左側奥から】

リリー・フィクナー/Lilli Fichtner(インゲブルク・ヴェレーマン/Ingeburg Werlemann:秘書)

ヨハネス・アルマイヤー/Johannes Allmayerアドルフ・アイヒマン/Adolf Eichmann:親衛隊中佐)

ペーター・ヨルダン/Peter Jordanアルフレット・マイヤー/Dr. Alfred Meyer:東部占領地域省の次官)

ラファエル・シュタホヴィアック/Rafael Stachowiak(ゲオルク・ライプラント/Dr. Georg Leibbrandt:東部占領地域省の局長)

サッシャ・ネイサン/Sascha Nathanヨーゼフ・ビューラー/Dr. Josef Bühler:ポーランド総督府の次官)

マクシミリアン・ブリュックナー/Maximilian Brücknerカール・エバーハルト・シェーンガルト/Dr. Karl Eberhard Schöngarth:親衛隊准将)

フレデリック・リンケマン/Frederic Linkemannルドルフ・ランゲ/Dr. Rudolf Lange:親衛隊少佐)

 

【向かって右側奥から】

ファビアン・ブッシュ/Fabian Buschゲルハルト・クロップファー/Dr. Gerhard Klopfer:党官房長官)

トーマス・ロイブル/Thomas Loiblフリードリヒ・ヴィルヘイム・クリツィンガー/Friedrich Wilhelm Kritzinger:首相官房局長)

ゴーデハート・ギース/Godehard Gieseヴィルヘルム・シュトゥッカート/Dr. Wilhelm Stuckart:内務省次官補)

ジーモン・シュヴァルツ/Simon Schwarz(マルティン・ルター/Martin Luther:外務官次官補)

マティアス・ブントシュー/Matthias Bundschuhエーリッヒ・ノイマン/Erich Neumann:四カ年計画庁次官)

アルント・クラヴィッター/Arnd Klawitterローラント・フライスラー/Dr. Roland Freisler:法務省次官)

 

【その他】

フレデリック・シュミット/Frederik Schmid(アイヒマンの副官、席順を決めてた人)

Matthias Brandt(ナレーション)

 


■映画の舞台

 

1942年1月20日

ドイツ:ベルリンにて行われた「バンゼー会議(Wannseekonferenz)」

ヴァン湖

https://maps.app.goo.gl/p66P5Vbrz3A1pFzx8?g_st=ic

 

ロケ地:

ドイツ:ベルリン

 


■簡単なあらすじ

 

1942年1月20日、ベルリンの西部にあるヴァン湖のほとりにある邸宅では、急ピッチでゲストを迎えるための用意と席順を決めていた

アイヒマンの副官と秘書のインゲブルクが用意をする中、次々と政府高官クラスの連中が現地入りをすることになった

 

その日の議題は「1100万人のユダヤ人の最終解決」というもので、内容は「ユダヤ人をどのようにして効率的に絶滅させるか」というものだった

議長はゲシュタポの隊長であり、国家保安本部の長官ラインハルト・ハイドリヒ

彼を中心に親衛隊の中尉が脇を占め、ラインハルトから見て左側(画面では右側)にいわゆる政府高官が座り、右側に各エリアの現地責任者が陣取っている

 

政府高官の連中に「現場」を教える役目を担いながら、実際にどのようにして計画を進めるのかという細部へと言及していく

そんな中、「混血(ハーフ)の扱い」「実行者の心理的負担」などが議論の対象になり、満場一致で認識を擦り合わせるという目的へと向かっていくのである

 

テーマ:効率と合理性

裏テーマ:選民思想と言葉遊び

 


■ひとこと感想

 

結論ありきの会議で、政府高官に理解させて巻き込むのが趣旨のような会議でしたね

「君たちも合意したよね」と地で行くスタイルなのですが、全員が「ユダヤ人絶滅に対して疑問を持たない」というところが凄かったなあと思いました

 

方法論から、ハーフはどうするか問題で法律論が出てきて、最後には「実行者の心のケアをどうしよう」という内容で、淡々と進んでいくので、眠気との戦いになっていましたね

 

この映画では「ユダヤ人絶滅」が議題ですが、政府の上の方で決まる会議もこんな感じなのかなと思ってしまいます

例えば、「コロナの行動制限論議」などでも、「致死率0.001%だからOK」というふうに言葉をすり替えて、「数百人の死亡」から目を逸せて議論を進めていくのがリアルでしたね

 

「半分ずつ血縁が消えていく」みたいな趣旨の発言で、「100年では無理」みたいな返しになっているとか、実際に議事録として残っているのは恐ろしい

でも、実際にあのような会議で「結論ありき」だったら、それは命令として処理する以外に他はないのでしょう

反対意見を言いたくても、その場にはゲシュタポのトップがいるわけで、迂闊なことは言えない緊張感が極度の言葉遊びの場になっていたのが印象的だったと思います

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

史実として、ナチスがホロコーストを行っていて、その方策が共有されたのが本会議となっていて、実際には「もっと早い段階で行われていたこと」の方向性を示すことになったのだと言えます

ほとんど議論というよりは確認作業のようになっていて、「範囲はどこまで」とか、「どのようにすれば効率的か」とか、「実行した人の心のケアを考えよう」みたいなところまで粛々と進められていきます

 

初めは凝り固まった会議の場での発言も、ティータイムで雑談混じりながらに進んでいくし、結論が出た後に酒を飲みながら何事もなかったように去っていくというのもリアルでしたね

誰一人、良心の呵責によって「やめよう」とは言わず、その方向にいきそうな気配すらありません

 

本当に「どうやったら誰の心も傷まずに迅速に処理できるか」という確認作業になっていて、あらかた雛形のようなものが親衛隊にあって、一応民主主義的な感じで議論はしましたよ、という言い訳になっています

原案というものがあるようですが、ドラマになるようには構成されていましたね

でも、やはり「結論ありき」だと白熱しないので、最後まで地味に嫌な会議を見せられただけ、のように感じてしまいました

 


その日、何が決められたか

 

「ヴァンゼー会議」とは、1942年1月20日にベルリン西部のヴァン湖の辺りにある「親衛隊所有の邸宅」にて行われた会議のことを言います

ナチス・ドイツの高官らが会同し、「ユダヤ人の移送と殺害についての分担と連携を討議した」とされています

会議の前から、アインザッツグルッペン(ドイツの保安警察と保安局のこと=敵性分子を銃殺するために組織された部隊)は東ヨーロッパなどでユダヤ人の組織的殺害は起こっていました

それらを統括する本部というものがなく、それは「ユダヤ人殺害が省庁の最優先事項ではなかった」という理由が挙げられています

 

議事録、いわゆる「ヴァンゼー・プロトコル」には、「会議の目的は『最終解決』を実行するために関係省庁の業務を調整する」と書かれていて、親衛隊の指導者であるハインリヒ・ヒムラーの筆頭副官かつ国家保安本部長官であるラインハルト・ハイドリヒ(画面の奥、中央)の指示を受けた「アドルフ・アイヒマン(左奥、秘書の隣)」が作成することになりました

これまでのユダヤ人の排除方法は「国外移住の促進」でしたが、この会議によって「強制収容と強制労働と計画的殺害」に変更されたと特記されています

いわゆる国家的にユダヤ人の計画的殺害とその方法が決められた会議だったと言えます

 

強制労働に関しては、道路建設のような大規模インフラの整備で、それは「奴隷的な重労働であった」とされ、極度の疲労で結果的に死亡することが「期待されていた」とされています

また、生き延びた者は「特別処置」という名目で殺されることが決まっていて、のちにアドルフ・アイヒマンが裁判によって発言しています

その後、ホロコーストは加速し、労働なく強制収容所に到着した途端に殺害されることになっていき、それがガス室の設置であるとか、線路を引き込むなどの詳細として記載されていました

この議事録はラインハルト・ハイドリヒからマルティン・ルター(右側の手前から3人目)に会議後に送られた書簡に同封されていて、この書簡にはハイドリヒの手書き署名がされていて、これが現存しているとされています

 

議事録自体は1947年にアメリカ軍がドイツの外務省の文書の中から発見したのですが、それが原本なのかわからず、懐疑派の中には「議事録は改竄されたものだ」と主張する人もいるそうです

でも、この会議で「ユダヤ人殺害に関する申し合わせが行われたこと」については否定のしような無い事実であるとされています

 

ちなみにヒトラー自身はこの会議には参加していらず、過去に制作されたドキュメンタリーなどでは、主催者であるとか、出席者だったという報道がなされたこともあるそうです

現在のヴァンゼー会議場は「ヴァンゼー会議記念館」として1992年に開館しています

戦後はアメリカ軍が使用し、1965年から歴史家のヨーゼフ・ヴルフが記念館の設立を計画していたとのこと

「ヴァンゼー・プロトコル」に関しては、下記のリンクを踏めば「英語版」は読むことができます

ウィキに日本語訳のリンクが貼ってありましたが、そちらは「このページは存在しません」となっていましたね

↓「The Wansee Protocol」URL

https://writing.upenn.edu/~afilreis/Holocaust/wansee-transcript.html

 


登場人物のあれこれ

 

【画面奥、中央、右、左の順】

ラインハルト・ハイドリヒ/Reinhard Heydrich

国家保安部の初代長官、親衛隊隊長

ドイツの政治警察権力を一手に掌握し、ハインリヒ・ヒムラーに次ぐ親衛隊の実力者になりました

親衛隊の部下から「金髪の野獣(Die blonde Bestie)」と呼ばれていた冷徹な男だったとのこと

戦時中、ベーメン・メーレン保護領(チェコ)の統治の最中に、連合国の「エンスラポイド作戦」にて、チェコ人&スロバキア人部隊によって暗殺されました

 

ハインリヒ・ミュラー/Heinrich Müller

親衛隊中尉、ゲシュタポの局長

ホロコーストの計画に対して、主導的に遂行した人物でした

仕事中毒の人間で、ロクに休暇も取らずに任務を遂行していたそうですね

最終的には「失踪」となっていて、戦後にヒトラーが自殺した直後に行方不明になっていて、現在でもその消息は闇の中になっています

 

オットー・ホフマン/Otto Hofmann

親衛隊中尉→親衛隊大将、武装親衛隊大将、警察大将

第一次世界大戦にて「一級鉄十字章」を受賞し、ロシアの捕虜になったが脱走した兵士でした

戦後、RuSHA裁判にて懲役25年の刑を受けたが、1954年に釈放されています

 

【向かって左側奥から】

【インゲブルク・ヴェレーマン/Ingeburg Werlemann

アドルフ・アイヒマンの秘書

NSDAP(国家社会主義ドイツ労働者党)のメンバーで、ドイツ国防軍将校のハインツ・ワーグナーと1944年(会議の2年後)に結婚しています

戦後、1948年までソ連占領地域にて投獄または抑留されています

投獄中にハインツとの離婚し、ソ連の第7特別収容所で出会ったケーテ・ヴェルトと関係を持ち、2001年にパートナーシップ法が可決された後はパートナーとして関係を続けていたそうです

彼女は裁判に起訴されることも有罪判決を受けることもなかったようですね

 

アドルフ・アイヒマン/Adolf Eichmann

親衛隊中佐

強制収容所の移送に際して、指揮的な役割を担いました

戦後はアルゼンチンに逃亡し、1960年にイスラエル諜報特務庁(モサド)によってイスラエルに連行され、裁判の末に死刑となっています

 

アルフレット・マイヤー/Dr. Alfred Meyer

東部占領地域省の次官、国家社会主義ドイツ労働者党の政治家

1928年からナチ党に入党し、ゲルゼンキルヒェンの地区指導者となります

その市議会で当選を果たし、市議会唯一のナチ党員となりました

1945年4月11日にヘッシシュ・オルデンドルフ近郊にて死体として発見され、敗戦を覚悟した末の自殺であると見られています

 

【ゲオルク・ライプラント/Dr. Georg Leibbrandt

東部占領地域省の局長、外交官

東部占領地域のライヒ省にて、ロシアに関する専門家として活躍

会議には「ライヒ省の代表」として参加し、戦後は強制収容所に入れられています

起訴されましたが、1950年に棄却され、拘留から解放され、1982年に死亡しています

 

ヨーゼフ・ビューラー/Dr. Josef Bühler

ポーランド総督府の次官

ナチ党の法律アドバイザーだったハンス・フランクの事務所で働いていました

1933年にナチ党員になり、ミュンヘン裁判所の監督官になりました

会議にはポーランド総督府の代表として参加し、ニュルンベルグ裁判に出廷

ハンス・フランクは死刑になり、彼自身もポーランドに引き渡されて「人道に対する罪」によって死刑判決を受け、処刑されています

 

カール・エバーハルト・シェーンガルト/Dr. Karl Eberhard Schöngarth

親衛隊准将

エルフルトにあるドイツ銀行に勤務し、1922年にナチ党に入党

その後、一旦党から離れますが、ナチ党再結成の際に再度入党しています

1930年代にビーレフェルト、ドルトムント、ミュンスターなどで州警察の指揮官になり、1939年にザクセン州の保安警察監督官を歴任

会議には、保安警察と親衛隊内の情報部(SD)の代表として参加しています

戦後、ハーメルンに置かれたイギリスの裁判にて死刑判決を受け、刑死しています

 

ルドルフ・ランゲ/Dr. Rudolf Lange

親衛隊少佐

ニュルンベルク裁判所などで事務員として働き、労使関係の論文を書いて、イェーナ大学から博士号を授与されています

1933年にゲシュタポ局に招かれ、ナチスの突撃隊(SA)に参加しています

その後、正式にナチ党に入党し、ウィーンのゲシュタポ本部での勤務に従事していました

1941年にアインザッツグルッペンA隷下のアインザッツコマンド2の隊長に任命され、バルト海域にて6万人を虐殺しています

その後、様々な保安警察、司令官を歴任し、戦争中に敗戦を覚悟して自害しています

 

【向かって右側奥から】

ゲルハルト・クロップファー/Dr. Gerhard Klopfer

ナチ党官房長のマルティン・ボルマンの補佐官、党官房法務局長

1931年にデュッセルドルフの裁判官になり、1933年にナチ党に入党

副総統ルドルフ・ヘスの事務所のスタッフとして働き、親衛隊上級大佐、親衛隊中将に昇進しています

1945年にベルリンでの戦いが始まると逃走し、戦後に逮捕されています

裁判は証拠不十分として釈放、ウルムにて税務アドバイザーとなり、1987年(会議出席者としては最も長生きした)に死去しています

 

フリードリヒ・ヴィルヘイム・クリツィンガー/Friedrich Wilhelm Kritzinger

首相官邸の国務長官、帝国首相官邸の副長官

1914年からドイツ軍にて勤務、予備役中尉に昇進

1921年に司法試験に合格し、法務省の助手として働き始めます

1938年にナチ党に入党し、2月帝国首相官邸に異動、次官として正式任命されます

戦後逮捕され、ニュルンベルク裁判にて「ナチス政権の残虐行為を恥じると公に宣言」し、健康上の理由によって自然死したとされています

 

ヴィルヘルム・シュトゥッカート/Dr. Wilhelm Stuckart

内務省次官

1919年にドイツ義勇軍に参加し、1992年にナチ党に入党し、弁護士となります

ナチ党の法律アドバイザーとして活躍し、1932年からナチス突撃隊に加わりました

親衛隊大将にまでなり、1938年内相ヴィルヘルム・フリックの次官をなります

会議には内務省の代表として参加し、ハインリヒ・ヒムラーの内相時代でも次官に留まっていました

戦後、ニュルンベルグ裁判及び大臣裁判にかけられ、懲役3年10ヶ月の刑が確定しましたが、拘留期間が懲役刑より長かったために釈放、1953年に交通事故にて死亡しています

 

【マルティン・フランツ・ユリウス・ルター/Martin Luther

外務官次官補(法律家のマルティン・ルターとは別人です)

ナチ党の初期メンバーで、外務大臣の顧問を務め、フォン・リッベントロップ時代にの外交官になっています

家具事業を営んでいて、ロンドンにあるドイツ大使館の内装を手掛けています

外務省親衛隊連絡係に任命されていますね

1944年にザクセンハウゼン強制収容所に送られ、ソ連軍によって戦後に釈放されていますが、心不全を患って死亡しています

 

エーリッヒ・ノイマン/Erich Neumann

四カ年計画庁次官(同名に心理学者がいますが別人です)

四カ年計画庁の代表として会議に参加し、国務長官も務めた経験があります

1920年にプロイセン内務省のエッセン地区の政府査定官になり、1928年にはプロイセン通商産業省の大臣に昇進します

経済学者として、国際会議でドイツ代表を務めることもありました

終戦後に拘留されましたが、1948年に病気のために釈放され、1951年に死亡しています

 

ローラント・フライスラー/Dr. Roland Freisler

法務省次官、裁判官

反ナチス活動家を捌く「特別法廷=人民法廷」の長官を務め、不法な見せしめ裁判にて、数千人に死刑判決を下しています

1923年のミュンヘン一揆を傍聴し、1924年に民族社会主義ブロック」に参加し、カッセル市議会議員として当選を果たします

1933年にはプロイセン州の司法法務局長に就任し、プロイセン州司法次官に昇進しています

1945年の裁判中にアメリカ軍の空襲に遭って、瓦礫の下敷きになって死亡しています

 

詳しくは【 】をクリックしていただけるとウィキペディアに飛ぶことができます

リンクを貼りまくろうかと考えましたが、誤クリックが面倒だと思うので、名前以外にはリンクは貼っていません

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は「現場から遠く離れたところで起こるトップダウンの会議」を描いていて、その議題が「ユダヤ人を効率的に処理する方法」でした

でも、ほとんど親衛隊が決めていて、それを実行するために「各省庁に質問タイムを与えながらゴリ押しする」という流れになっています

わかりやすく「総統のお言葉ですから」という決め台詞が何度も登場し、結論ありきの「会議とは名ばかりの申し合わせ」になっていました

 

根底には「ユダヤ人絶滅は規定事実」となっていて、その「範囲、手法、実行者のケア」というものが主体となっています

映画では描かれませんが、ナチスによるユダヤ人迫害の背景には、「ドイツの不況」というものがありました

第一次世界大戦に負けたドイツは、戦勝国が取り決めた「ヴェルサイユ条約」によって多額の賠償金の支払いを命じられます

1929年に世界恐慌が起き、ドイツの経済は大打撃を受けることになります

このような情勢下で誕生したのが「国民社会主義労働者党=ナチ党」だったのですね

ヒトラーは「ユダヤ人こそが我々の敵で、不幸の原因だ」と叫び、ドイツ人を掌握していきます

 

ユダヤ人が迫害の対象になったのは「すでにキリスト教会で根付いていたユダヤ人差別」があったからで、ユダヤ人は「キリストを十字架にかけて殺した罪びとである」とレッテルを貼ることになります

ユダヤ教とキリスト教の信仰の違いによって軋轢が生まれていたのですが、そこに「キリスト教とが忌み嫌う金貸し」をユダヤ人は率先して行なっていたのですね

その背景には「職業ギルドにユダヤ人が入れなかった」という歴史があり、職業ギルドにないものをユダヤ人が担うことになっていきました

 

その後、18世紀末のフランス革命によって、ユダヤ人にも平等な市民権が与えられましたが、ユダヤ人を劣等人種と見做す差別が生まれ、アーリア人の血が汚されるとして排斥運動が起こっていました

ヒトラーはこの動きを政治利用し、1930年には国会の第二党まで躍進を果たします

そして、1932年には失業者600万人を超えて、社会不安に乗じてナチスは第一党になります

翌年、ヒンデンブルク大統領の命によってヒトラーは首相となり、政権掌握後に「全権委任法」を国会で通し、ヒトラーは「総統」という地位を得て、独裁的な権力を手に入れるという背景があります

 

映画は、この歴史の流れを知っているという前提で進むので、その知識がないと「なぜ、彼らは平然とユダヤ人殺害の方法を考えるのか」と困惑するかもしれません

この時点でのナチスを支持する層への公約にも似た部分があり、ドイツ人(アーリア人)としてのユダヤ排斥が肯定されていたという背景があります

この動きに対して反対することで罰せられるアーリア人もいたわけで、会議における「総統の考えですから」は脅し文句に近いのですね

それゆえ、会議録には省庁としての声も記録するという名目で招集がされるのですが、次官や次官補などが来るなど、押し付けられた感の強い右側という印象は拭えません

 

映画は「社長の一言を管理者会議で伝えて周知徹底する」という一般的な会議に近い印象を持ちます

目的が「会社の売上のため」というものではなく、「ユダヤ人の殺害に関すること」なのですが、「名目的にはアーリア人の繁栄のために必要なこと」だったりします

むしろ、この会議で「堂々と殺害に関して」と記載されるほどに親衛隊の権力が絶大だったというもので、会社の会議で「ライバル店を合法的に潰すにはどうするか」という議題に近いものがあります

そこで語られるのが「自社の商品力を魅力的にアピールする」とかではなく、「ライバル店のトップセールスマンを拉致して殺すにはどうしたらいいか」みたいなことを普通に話している感覚なのですね

本来なら「引き抜くかどうか」みたいな議論もありそうですが、「民族が違うので引き抜きはなし」「殺すことは既定路線」という感じで、「バレないように毒殺するにはどうするか」みたいな危ない話になっているようなものです

トップセールスマンの家族はどうする?みたいな展開になって、「民族一緒だからダメ」「アーリア人と結婚したセールスマンの子どもはどうする」みたいな感じにも思えます

 

結論ありきなので方針の転換もなく、じゃあ「ウチはここまでは手助けしますけど」みたいな話し合いになって、計画に対する責任の詳細を決めていくという流れになっていました

現場としてはたまったものではないのですが、現場でも「ユダヤ人殺害」には寛容的だったりする情勢なので、「ウチの部署の意見も通しといて」みたいな感じで議場に連れて来られています

なので、右側というのは、裁判でも有罪になっていないケースが多くなっていました

裁判に関しては深く調べていませんが、この会議が親衛隊主催かつ主導の報告会に近いという認識があって、右側が積極的に関与したという証拠がないために不起訴になっていたり、釈放されていたりするのかなと思いました

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/384696/review/6b4a6094-a94a-4947-9f33-10fcf5bb5f01/

 

公式HP:

https://klockworx-v.com/conference/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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