■タイトルをつけた人は、映画を観ていないか、パリがどこにあるのかを知らない人かもしれない
Contents
■オススメ度
ダンス映画が好きな人(★★★)
再生の物語が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.9.19(アップリンク京都)
■映画情報
原題:En corps(精神に対する肉体という意味)
情報:2022年、フランス&ベルギー、118分、G
ジャンル:怪我をしてバレエの道を閉ざされた女性が新しい生き方を手に入れる様子を描いたヒューマンドラマ
監督:セドリック・クラピッシュ
脚本:セドリック・クラピッシュ&サンティアゴ・アミゴレーナ
キャスト:
マリオン・バルボー/Marion Barbeau(エリーズ・ゴーティエ:夢を失ったバレリーナ)
(6歳時:Lou Oysel)
(12歳時:Chloé Hoffmann)
ホフェッシュ・シェクター/Hofesh Shechter(本人役、コンテンポラリーダンスのサークル主宰者)
メディ・バキ/Mehdi Baki(本人役、コンテンポラリーダンサー)
ロバンソン・カサリーノ/Robinson Cassarino(本人役、コンテンポラリーダンサー)
Marion Gautier de Charnacé(アデル:エリーズの友人、コンテンポラリーダンサー)
ドゥニ・ポダリデス/Denis Podalydès(アンリ:エリーズの父、弁護士)
Marilou Aussilloux(アリア:エリーズの妹)
Mathilde Warnier(メロディ:エリーズの妹)
Muriel Zusperreguy(エリーズの母)
ミュリエル・ロバン/Muriel Robin(ジョジアーヌ:レジエンスの経営者)
スエリア・ヤクーブ/Souheila Yacoub(サブリナ:エリーズの旧友、元バレリーナ)
ピオ・マルマイ/Pio Marmaï(ロイック:出張レストランのシェフ、サブリナの彼氏)
フランソワ・シヴィル/François Civil(ヤン:エリーズの理学療法士)
Muriel Zusperreguy(エリーズ:ヤンの新しい恋人)
アレクシア・ジョルダーノ/Alexia Giordano(アナイス:エリーズの親友、バレリーナ)
Kevin Garnichat(ジャン・バティスト:アナイスの彼氏)
Damien Chapelle(ジュリアン:エリーズを裏切る彼氏、バレエダンサー)
Daria Tombroff(ブランジュ:ヤンを裏切る彼女、バレリーナ)
Alain Guillo(アルバン:ヴーヴレ出身のアンリの友人)
Olivier Broche(アモウリー:アンリの友人)
Louis Lancien(ダンスクラスのピアニスト)
Zinedine Soualem(バレエ団の主催者)
Cédric Klapisch(バレエの指導者)
Germain Louvet(ジャン・フィリップ:バレエダンサー)
Stéphane Debac(ファッション誌のカメラマン)
Mourad Frarema(ダニ:ウェディングドレスのモデル)
Amelie Fonlupt(アノヴィ:ウェディングドレスのモデル)
Jade Phan-Gia(トラン先生:エリーズの主治医)
Léo Walk(メディのダンスバトルの相手)
■映画の舞台
フランス:パリ&ブルターニュ
ロケ地:
フランス:モルビアン県
Réminiac/レミニアック(エリーズの実家)
https://maps.app.goo.gl/pU4aCtgtHcoddYp2A?g_st=ic
Brittany/ブルターニュ(エリーズの住処)
https://maps.app.goo.gl/cqvJtQfoJcKMPohBA?g_st=ic
Presqu’île de Quiberon/ギブロン半島(レジデンスの場所)
https://maps.app.goo.gl/DPoBpDXUZcWzrc5v5?g_st=ic
フランス:パリ
Théâtre du Châtelet/シャトレ座(バレエの劇場)
https://maps.app.goo.gl/s1M6JLat6w5ajWqG7?g_st=ic
Grande Halle de la Villette Place de la Fontaine-aux-Lions/ヴィレット・グランドホール(コンテンポラリーの劇場)
https://maps.app.goo.gl/Wk1i66E2ZyNUaGhZ7?g_st=ic
■簡単なあらすじ
若きバレエダンサーのエリーズは、劇団のエトワールとして活躍していたが、恋人ジュリアンの裏切りに動揺して、本番中に転倒して大怪我を負ってしまう
診断の結果は思ったよりも悪く、エリーズは第二の人生探しを強いられるほどだった
父アンリは「体を使う仕事は長続きしない」と言うものの、エリーズは「まだ人生は終わっていない」と考えていた
ある日、バレエ仲間だったサブリナと再会したエリーズは、彼女の仕事の手伝いをすることになった
サブリナの恋人ロイックは出張料理人で、今度は怪我をしたアーティストの保養先のレジデンスに行くという
エリーズは給仕の手伝いとして参加し、そこの女主人ジョジアーヌと一緒に過ごすことになった
そんなレジデンスには、多くのアーティストが寝泊まりし、コーラスグループやコンテンポラリーダンスの集団もやってくる
ホフェッシュが主催するグループには、かつてのバレリーナ仲間のアデルもいて、懐かしい気持ちになりながらも、踊れない鬱積を重ねていく
だが、ある時、練習相手のいないロバンソンを手伝ったことをきっかけに、エリーズはそのグループの練習に参加することになったのである
テーマ:挫折と再起
裏テーマ:身体が表現するもの
■ひとこと感想
バレリーナが怪我をして、恋人に裏切られて踏んだり蹴ったりというふれ込みは知っていましたが、その復帰先がコンテンポラリーダンスというのは驚きましたね
予告編でもバレエではない何かを踊っていたのはわかりましたが、何かのリハビリかと思っていました
映画は、ダンサーの挫折と復活を描いていて、エリーズの人生の転機を追いかけていきます
たくさんのダンサーが登場し、ダンスシーンのクオリティは最高で、衣装なしで踊っても様になるのは凄かったですね
コンテンポラリーダンスも見応えがありましたが、様式がない分、ちょっと戸惑ってしまう部分もありました
物語としてはベタな構成で、第二の人生に向き合うか否かという葛藤を描いています
バレエとコンテンポラリーダンスは対極のように思えますが、身体を使って何かを表現するというところは同じ
身体をうまく使える人にとっては、方法の違いがあっても、同じように訴求できるだけの下地があるのだなと思わされます
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
予告編でほぼネタバレ状態ですが、わかりやすい復活の物語なので、想像通りの着地点になっています
それを面白いと思うか、単純すぎると思うかは人それぞれですが、メインはダンスで何を表現しているかなので、ストーリーは添え物のような感じになっています
ストーリーテリングが上手いとは思いませんが、言いたいことが全面に出過ぎているように思えますね
ダンスは言葉を使わないので、演者が語れば語るほど、内容が軽くなっているように思えました
オープニングの映像演出とか、エンドロールのバレエの衣装を着てコンテンポラリーを踊るなど、随所にこだわりがある内容になっていますが、反発する人も多そうな印象がありましたね
このあたりは伝統とか、プライドみたいなものが強く出てしまいそうですが、攻めてるなあと思いつつも、主張が激しすぎるかなと思ってしまいました
■コンテンポラリーダンスとは何か
コンテンポラリーダンス(Contemporary Dance)とは、「今この時代の、現代のダンス」という意味で、フランス語の「Danse Contemporaine」が変化したものとなっています
日本語だと「現代舞踊」という表記になり、1960年代以降に生まれた概念となります
個人的なイメージだと、型にハマらない自由なダンスという感じですが、思いっきり偏見が入っていますね
一応は、クラシックダンスの経験者が型を崩すという流れもあり、創造的なダンスという意味合いもあるので、あながち間違っていないのかもしれません
1979年代後半、フランスにてラ・デコンサントラシオン(La Déconcentration、文化の地方化)が起こり、それによって大きな文化予算が地方にも流れるようになります
その一環として、舞踊部門にも積極的な資金投下がなされ、1987年にアンジェの国立フランス現代バレエ団(CDNC)が設置されることになりました
担当したのは文化省所属のイゴール・エイスナーで、彼は各地に地方振付センターを作り、行政主導でダンスのネットワークを構築します
首都パリにあるオペラ座にも現代舞踊部門が設置され、その指導者として、フィンランド系アメリカ人ダンサーのカロリン・カールソン(Carolyn Carlson)が招聘されることになりました
このカロリン・カールソンがコンテンポラリーダンスの生みの親とされていて、当時のモダンダンスやポスト・モダンダンスの流行と重なって、カールソンの振り付けは斬新なものとして受け入れられることになりました
1990年代になると、新しい表現方法のこだわりというものが生まれ、映像、音響、照明、美術などを大胆に取り入れるようになって行きます
そして、現代に至り、世界の各地で様々な進化が生まれてきました
クラシックダンスを基礎にする人もいれば、ヒップホップのスタイルを入れる人もいて、様々な身体的表現というものが生まれてくることになりました
■人生の転機の捉え方
本作では、全てが順調に行っていた主人公に突然のアクシデントが起こります
エトワールとして活躍していたのに2年間は踊れないと言われ、恋人は他のダンサーと浮気をしている
自暴自棄になっても仕方のない状況ではありますが、療法士ヤンの事情によって、冷静にならざるを得なくなってしまいます
物語の方向性として、グダグダと悩む時間を切り捨てることになり、第二の人生とは何かを問うていく流れになっていて、エリーズの感情の切り替えが早いのは物語上の都合のようになっています
エリーズはバレエ団のトップダンサーですが、様々な事情で辞めていった人を知っています
それだけ競争が過酷なのですが、その競争に忖度や贔屓がないことから、エリーズに対する嫉妬というものはあまり描かれていません
バレエを離れてもイキイキとした人生を歩み、その時代を良質な糧にして生きているように見えます
映画内では、アデルとサブリナが同じバレエ団の出身で、コンテンポラリーに進んだアデルと、ダンスから遠ざかったサブリナが登場していました
彼女の前に対極の存在が現れるのですが、それはエリーズ自身が歩む未来のようにも見えます
ダンスを辞めて別の道に行くのか、舞台や手法を変えてダンスを続けるのか
この中にエトワールに復帰するというものも含まれがちですが、2年のブランクで起こることは彼女自身が一番理解しているので、その選択肢は生まれてきませんでした
本作では、人生の転機は不幸な出来事で示されます
順調な転機も無きにしもあらずですが、順調さ=安定と考えると、環境が変わることが必ずしも幸福な出来事につながるとは言えません
むしろ、不幸や不条理で起こることの方が、その先に起きる出来事を前向きに捉えることができると言えます
エリーズの場合だと、エトワールとして成功して別のバレエ団に移るとか、踊るステージが変わるという転機もあったと思いますが、その先には必ず行き止まりがあると考えられます
この「順調な壁」というものは、努力や才能で克服すべきものではありますが、それが叶わなかった時は「その先の道はない」のですね
なので、迂回することもできぬまま、転換できない年齢で進路変更を余儀なくされるということも起こります
今回のような出来事をどう捉えるかは個人の感覚になりますが、この道の先には自分の道はないと考える方が良いと思います
彼女は舞台袖で彼氏が浮気しているだけで動揺し、普段の演技ができなくなっています
また、体のケアを怠ったことも悪化の原因となっていて、このレベルのメンタルでさらに上のレベルで戦っていけるかは微妙だと思います
彼女が才能と努力のどちらで駆け上がったかはわかりませんが、周囲の反応を見ると努力家だったことは伺えます
それゆえに、努力では何ともできない部分というものが、彼女にブレーキを掛けたと言えるのではないでしょうか
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、演技ができるダンサーを選んでいて、ダンスシーンのクオリティが評価軸になっています
演技ができることと、コンテンポラリー&クラシックダンスを踊ることのハードルの高さを考えると、ダンスのクオリティを優先するのは当然のことかなと思います
振付師、ダンサーに本人役を配して、それぞれがガチのダンスを披露するので、そのシーンを観ているだけでもチケット代の元は取れてしまうと思います
かと言って演技の部分がおざなりかと言うとそう言うことでもなく、脇役に場を締める俳優さんを配置しているので、一定のクオリティを保てていました
レジデンスのオーナー・ジョジアーヌは人生訓を語り、コミカルなシーンはロイックが担っていました
この配置が絶妙で、ダンスシーンと同じくらいの完成度が保てていたと思います
物語としては、あっさりと前向きになっている部分とか、無駄なラブシーンなどが気になるところはありますが、これぐらいストレートでも良いのかなと思います
療法士ヤンはかなり可哀想ですが、最終的に想い人と同じ名前の女性と恋仲になっていると言うのは、コミカルを通り越して彼の怖い部分が表現されているなあと感じます
キャラクターもそれぞれ立っていて、無駄なシーンがほとんどないので、邦題が意味不明というところ以外は問題がないと思います
邦題は『ダンサー・イン・Paris』ということで、「パリのダンサー」ということになるのですが、エリーズたちが訪れたレジデンスはギブロン半島(実家のブルターニュの南側で、パリから西に500キロ)だったりします
なので、エリーズが人生の転機を迎えて変化した場所がパリではないので意味がわからないのですね
また、原題は『En Corps』という「精神に対する肉体」という意味があって、これは「悩むより動け」という意味になっています
これらのことを踏まえた上で『ダンサー・イン・Paris(しかもパリだけ英語)』になっているのはセンスがないとしか言えません
なので、センスがあるかどうかはわかりませんが、「身体の先にある光」とか、まんま「コンテンポラリー」を組み込んだ「私のコンテンポラリー(私の今)」みたいな方が意味が通じているのではないかと思いました
同じくらいの語彙センスかもしれませんが、そのあたりはご容赦くださいまし
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
公式HP:
https://www.dancerinparis.com/