■真の幸福とは、自分の全てを晒しても受容に包まれる最期を迎えることなのかもしれません
Contents
■オススメ度
心温まる系のラブロマンス映画を観たい人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.5.18(イオンシネマ京都桂川)
■映画情報
情報:2024年、日本、118分、G
ジャンル:余命1週間を過ごすカップルとその家族を描いたヒューマンドラマ
監督:篠原哲雄
脚本:川崎いづみ
原作:嶽本野ばら『ハピネス(小学館)』
Amazon Link(原作小説)→ https://amzn.to/3UPPuNc
キャスト:
窪塚愛流(国木田雪夫:由茉の彼氏、高校生)
蒔田彩珠(山岸由茉:あと1週間で死ぬ女子高生)
橋本愛(国木田月子:雪夫の姉)
篠原あさみ(雪夫の母)
杉本凌士(雪夫の父)
山崎まさよし(山岸英生:由茉の父)
吉田羊(山岸莉与:由茉の母)
福松凛(秋人:雪夫の親友、クラスメイト)
中村優一(葬儀屋さん)
佐藤文吾(化学の教師)
長谷川朝晴(喫茶店の店員)
ノブイシイ(マンションの管理人)
松坂龍(主治医)
木下菜穂子(花屋の店員)
松田珠希(ホテルの清掃員)
青木美沙子(Incent World本店の店員)
永井杏樹(Inocent Worldの店員)
想田紗来(英語の教師)
大沼和奏(ハブられる公園のこども)
川野ゆい(公園のこども)
佐藤心雪(公園のこども)
荘司恵美理(公園のこども)
萩原胡桃(公園のこども)
松岡夏輝(公園のこども)
りり花(公園のこども)
藤本果月(カフェの店員)
針生愛佳(レストランの店員)
イリス・モンタルド(大阪の旅行客)
サマンサ・マリノ(大阪の旅行客)
グラウディオ・デンコーラ(大阪の旅行客)
■映画の舞台
東京:某所
大阪:道頓堀
ロケ地:
東京都:武蔵野市
ゆりあべむべる(吉祥寺)
https://maps.app.goo.gl/ehMmzzithErWb9Dx7?g_st=ic
茶房 武蔵野文庫
https://maps.app.goo.gl/GyKwVgH52BPFfxPH9?g_st=ic
東京都:中央区
資生堂パーラー銀座本店レストラン
https://maps.app.goo.gl/MBQ6wbAZPvjf9pdw8?g_st=ic
■簡単なあらすじ
高校生の由茉と雪夫はお付き合いをしていたが、ある日雪夫は、由茉から衝撃の告白を受けてしまう
それは「1週間後に死ぬ」というもので、彼女はそれを受け入れて、好きなことをしたいと言い出す
彼女はロリータファッションに興味を持っていて、Inocent Worldの衣装に身を包み、好きな喫茶店で過ごすことを望んでいた
告白を受け止めきれない雪夫だが、由茉はマイペースに好きなことを始めて、戸惑いを隠せない
ある日、由茉の両親と会うことになった雪夫だったが、彼女の両親もそれを受け入れていて、由茉の願いを叶えるためなら何でも受け入れる覚悟ができていた
由茉は大阪にあるIncent Worldの本店に行って、特別なカレーを食べたいという
そんな矢先、彼女は倒れてしまい、雪夫は動揺を隠せなくなってしまうのである
テーマ:死の意味
裏テーマ:覚悟の尊さ
■ひとこと感想
ロリータファッションで身を固めたイメージショットにどんな話なのかなと思っていましたが、ストレートなラブロマンスになっていましたね
いわゆる難病系なのですが、悲壮感がほぼないという稀有な物語になっていました
映画は、ロリータファッションを堪能するビジュアルと、死の意味について考えるという哲学的なものが描かれていきます
全く死にそうに見えない問題はありますが、心臓の病気で突然死するタイプのリスクがあるので、見た目にはわからない感じになっていました
物語としては、死について考える重いものではありますが、死を意識しないはずの世代が達観しているというのは興味深いものがあります
とは言え、彼女は生まれながらにして病気を抱えていたので、17年ぐらいの年月が覚悟を醸成してきました
もっと早く伝えてあげればとも思いますが、告げるタイミングも神様の計らいだったのかもしれません
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
余命系のラブロマンスなのですが、常に幸せいっぱいの展開が待っているので、ほっこりとする内容になっていました
去り行く人を見送るお話ではありますが、その去り際に対する美学のようなものがあるのでしょう
それを完遂するのは自分だけでは無理で、その協力者というものが必要になってきます
普通に考えると、このような協力者というものは現れないのですが、映画では奇跡的な存在がいたことになります
高校生で思いっきり不純異性交遊をしてしまいますが、それも自然なことのように思えます
脇役もキャラが立っていましたが、やはり演技面は見ていてキツいところがありましたね
こればかりはキャリアを考えると致し方ないのかもしれません
びっくりしたのは山崎まさよしが演技をしているのと、吉田羊のロリータファッションでしょうか
プロメイクも相まってすごいものを見たなあと思ってしまいます
普通に似合っているけど、後ろに鞭を隠しているように見えるのは私だけなのかもしれません
■愛は何でもできるだろうか
本作は、熱愛中のカップルの破綻を描いていて、その原因は彼女の持病によるものでした
それは突発的な急性のものではなく先天性のもので、由茉は人生を通じて病気と向き合ってきた人物でした
幼少期の頃はそこまで病気の詳しいことは知らなかったと思いますが、ある程度の年齢になってから、家族もしくは主治医が丁寧な説明を行なったのだと思います
そして、いよいよ心臓が耐えられなくなって、その日が近づいているというのが、冒頭のシーンの前の段階になります
映画は、いきなり彼女から余命のことを聞かされた雪夫が動揺するシーンから始まり、噛み合わない会話が延々と続いています
雪夫がすぐに事態を飲み込めるわけはなく、「え?」「死ぬ?」を何度も繰り返していました
このシーンの演出が上手いとは思えず、いつまでやってんの?という感じになっていましたね
その心情は由茉の方に近い感覚だったかもしれません
映画は、逆転サプライズなどが起こることもなく、淡々とした日々を過ごし、そしてその時を迎えることになりました
大阪への遠出と、折り返して東京での食事の後に、自宅には戻らずに雪夫の家に行くことになりました
由茉はそこで最後の時を迎えるのですが、数日前には「え?」を繰り返していた雪夫が、彼女の願いであるロリータ服に着替えさせるという行動にまで出ます
冷静に見ると凄いシーンなのですが、絵的には美しいものになっていました
幸夫は由茉が倒れたことに動揺して旅行を取りやめようとしますが、覚悟を持って、最後の時を看取ることを決めるのですね
彼の年齢でそれができるのはファンタジーに思えますが、ある種のゾーンのようなものに入っていたのでしょう
由茉の最期の願いを叶えてあげて、そして彼女の望む姿で最期の時を迎える
その重要性というものを感じたからこそ覚悟ができたわけで、それを安直な言葉で言うならば「愛の為せる業」と言うことになるのかな、と思いました
■死が育てる死生観とは何か
誰にでも死と言うものは訪れますが、由茉のような若年期で難病で亡くなる人は稀であると思います
全ての人生の死に意味があるかはわかりませんが、誰しもその意味というものを考える瞬間というものは訪れます
それでも、死の瞬間が瞬間的で、死んだことを自覚することもなく去ってしまう人もいて、考える瞬間があるというのは幸運なことのように思えてしまいます
死生観というのは、死を意識した回数だけアップデートされるもので、それは自分が死にかけたという経験だけに留まりません
誰かの死に遭遇したり、ペットや社会で起こった事故や事件を認知するだけで、死生観というものは築かれて行くものなのですね
なので、人は毎日のように死について無意識に考えている時間があると言えるのかもしれません
経験値が高ければ死生観がブラッシュアップされるわけではなく、死と言う現象に遭遇した時に、いかなる衝動があるかと言うのは重要になります
そして、衝動が死生観を書き換えるには、若ければ若いほどに強烈な刻まれ方をするものでしょう
個人的な死生観のブラッシュアップを想起すると、一番最初の出来事は「同級生の名前だけ知っている少年の自殺」でした
列車に飛び込んで死んだと言うもので、その子とはそこまで仲が良かったわけではないのですが、列車に飛び込んで自殺をするようなイメージはなかったのですね
自分と直接関わり合いのない死なのですが、自分と近しく、彼と友達関係だった同級生の落胆とやりきれなさと言うものは伝わってきました
彼がちょっと不良系のグループとの付き合いがあったこともあって、その不良系グループの子達が驚くぐらい泣きじゃくっていたのですね
普段は威圧的で攻撃的な彼らが、まるで別人のように彼の死を悼んでいる様子を見て、このように涙を流す友人と言うものがいるのは幸せに思える反面、彼らを置いてでも去る理由があったことに驚きました
この経験があるからなのかはわかりませんが、若年者の自殺というものにふれるたびに、あの時のこと(記憶が正しければ衆目の前で列車に飛び込んだ)を思い返すようになりました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、主人公が傾倒するのがロリータファッションという特徴があって、最終的には雪夫や両親までもが、そのファッションに身を包むという流れになっていました
その行為は「彼女へのリスペクト」であり、彼女を理解しようとするというもので、それだけ由茉の視点というものは興味が尽きないものだったと思います
それでも、残念に思ったのは、由茉が雪夫の姉・月子に会わなかったことかな、と思いました
原作未読なので、まったく絡みがないのかどうかまでは知りませんが、少しの時間でも良いので「由茉の趣味が心の底から理解する人物」との絡みを描いても良かったように思います
月子が実はいじめられていたエピソードはさらっと登場しますが、そのシーンは本編とはほぼ関係ないので、月子がロリータに傾倒している意味や由茉との関わりの中で、個人のやりたいことを否定することの無意味さを知る、という流れがあった方が良かったでしょう
雪夫は最初から由茉がロリータファッションに身を包むことを厭わないのですが、それを姉がやっているからというだけでは弱いと思うのですね
なので、姉の過去を通じて寛容になったとか、理解したというのであれば、そこをきちんと描いてこそ、雪夫の寛容さと由茉の両親の困惑との差異というものが生まれます
由茉の生き方に肯定する若者がいて、それが姉と同じ趣味では説得力が弱いので、彼が肯定するに至るものが必要だったように思えました
映画は、単なる難病系感動ポルノではないのですが、そうたらしめている要素は後半で語られる由茉が死の意味を理解するシーンがあるからだと思います
生まれてきた意味を考えるために死と言うものがある、と言うのは若者が到達する思想ではないのですが、最期の瞬間を意味あるものにした者ならば到達してもおかしくないと思えるのですね
なんで、この考えに至るまでの由茉というのが丁寧に描かれていて、雪夫が納得できるものに到達したところは物語の深みがあったように思います
去り行く者は優しい嘘をつくと言いますが、本作の場合は最期に由茉の本音が雪夫に伝わるようになっていました
そういった意味においても、由茉は本当に雪夫のことを愛していたのだな、と思わせる説得力を持ち合わせていたように感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
鋭意、執筆中にて、今しばらくお待ちくださいませ
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