■無関係に思える事件に対して、どれだけ自分との関わりを想像できるだろうか
■オススメ度
大量殺人の裏側にあった事実を知りたい人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.5.17(アップリンク京都)
■映画情報
原題:Já, Olga Hepnarová、英題:I, Olga Hepnarová
情報:2016年、チェコ&ポーランド&スロバキア&フランス、105分、
ジャンル:チェコスロバキア最後の死刑囚となったオルガ・へプロナヴァの背景を描いた伝記的映画
監督&脚本:トマーシュ・バインレプ&ペトル・カズダ
原作:ロマン・ツィーレク/Roman Cilek『Olga Hepnarová(2005年、日本語訳:オルガ・ヘプナロヴァー 生き様をさまよい、殺戮に及んだ女)』
キャスト:
ミハリナ・オルシャンスカ/Michalina Olszańska(オルガ・ヘプナロヴァー/Olga Hepnarová:トラックで停留所に突っ込んだ死刑囚)
(吹替:Hedvika Řezáčová&Šárka Vaculíková)
クラーラ・メリーシコヴァー/Klára Melísková(レカシュカ:オルガの母親、医師)
Zuzana Stavná(エヴァ:オルガの姉)
Szymon Piotr Warszawski(パベル:エヴァのボーイフレンド)
Viktor Vrabec(オルガとエヴァの父)
Zofia Charewiczová(オルガの祖母)
マルタ・マズレク/Marta Mazureková(アレナ:オルガのルームメイト)
(吹替:Eva Josefíková)
マリカ・ソポスカー/Marika Šoposká(イトカ:クラブで仲良くなるオルガの同僚、恋人)
Małgorzata Gorolová(ヤナ:イトカのルームメイト、妊婦)
Malwina Turek(マリカ:ジプシー、オルガの恋人)
Petra Nesvacilová(イベタ:オルガのルームメイト)
Martin Pechlát(ミロスラフ・デイヴィッド:酒場で出会う話好きの中年)
Ondřej Malý(スピルカ:オルガを拒否する精神科医)
Gabriela Míčová(ラブスカ:裁判中に診察をする女性精神科医)
Roman Zach(ヴァヴェルカ:オルガの話を聞く精神科医)
Martin Finger(Dr.グレープバイン:心理学者)
Juraj Nvota(コヴァーシュ:オルガの弁護士)
Lukáš Bech(検察官)
Jan Novotny(裁判長)
Ivan Palúch(マティカ:精神病院の医師)
Lena Schimscheiner(オルガを気にかける精神病院の入院患者)
(吹替:Tereza Vítů )
Blazej Wójcik(本のアドバイスをする精神病院の先生)
(吹替:Marian Roden)
Magdaléna Borová(レンカ:手紙の回収担当官)
Martina Eliásová(ハナ:手紙の回収担当官)
Marta Malikowská(精神病院の看護師)
Stanislav Majer(ジャロベック刑事)
Cestmír Kozar(絞首刑執行人、看守)
Gustav Hašek(VBのメンバー)
Pavel Neškudla(フランティシェク:コテージへの引っ越しを手伝う若者)
Kostas Zerdaloglu(コテージの管理人)
David Punčochář(シネッキー:コテージを購入する若者)
Simona Podzimková(タバコ屋の店員)
■映画の舞台
1973年、
チェコスロバキア:プラハ
https://maps.app.goo.gl/5rWn67GqBgntDZcr8?g_st=ic
チェコスロバキア:オレシュコ(コテージのある村)
https://maps.app.goo.gl/aDDG5sg6wNjWoPyy9?g_st=ic
ロケ地:
チェコ:
Ústí nad Orlicí/ウースチー=ナド・オルリーチー
https://maps.app.goo.gl/gxSrwfs3UnLipRdy8?g_st=ic
■簡単なあらすじ
チェコの裕福な家庭に育ったオルガは、登校拒否に陥るものの、それがきっかけで父に暴力を振るわれ、母からは愛想を尽かされていた
ようやく一人暮らしができるようになったオルガは、コテージを借りて仕事も始めた
ある日、会社の同僚であるイトカと恋仲になったオルガは至福の時を過ごすものの、その関係性はあっさりと破綻してしまう
酒場で出会った心理学者と話をしても解決に至らず、徐々におかしな行動を始めてしまう
その後、マリカと出会って恋仲になるものの、やがて生活は乱れ、とうとう「事件」を起こしてしまう
それは、トラックにて歩道に乗り上げ、20数名を無差別に轢いていくというもので、8名もの人が犠牲になってしまった
裁判が始まるものの反省の色もなく、極刑が言い渡されることになるのであった
テーマ:社会と自分との関わり
裏テーマ:主張を語る場所
■ひとこと感想
チェコ最後の死刑囚ということで、どんな犯罪をしたのかと思っていましたが、なかなかエグいシーンが展開して、ちょっと驚いてしまいましたね
その後の裁判のシーンの開き直り具合も相当で、そりゃあ満場一致で死刑になってもやむを得ないと思います
映画は、オルガという女性がどのような人間だったのかを描いていくのですが、演出と説明のなさから、人間関係が非常にわかりにくなっていました
モノクロなので色で分けることもできず、よく似たビジュアルが多かったことから、モブキャラの判別が困難なイメージはありました
とは言え、関係性は強いのが「家族」「イトカ」「マリカ」ぐらいで、酒場の酔っ払いぐらいしか絡んでこないので、このあたりが識別できればOKという感じでしたね
物語の起伏はほとんどなく、オルガの日記や関係者の供述、裁判での記録を元にした再現VTRの趣きも強く、淡々とした流れになっています
聡明なサイコパスという感じなのですが、自分への不遇を無関係者に向けるという暴力性の起点というのはわかりにくい感じになっていましたね
映画が訴えるのは、「こういう人は身近にいるから注意してね」ということになると思うのですが、日常生活で注意をするのは不可能に近いと思います
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
家族との関係性の悪化、精神疾患、職場での不遇など、そこまで特殊ではない境遇が描かれ、オルガ予備軍というものは想像以上に多いのではないかと感じます
彼女のトリガーは「自己肯定」で、それが酒場のおっさんとの会話で熟成されるというのはリアルでしたね
このタイプの人間は、自分の中で出来上がった思想を外部と照らし合わせていくのですが、それが友人や恋人ではないところに特殊性があります
いわゆる精神年齢が高めだったことから、彼女が求めている答えを持っていたのが彼だったということになるのだと思います
マスコミに犯行声明を送り、国産で身を固めた彼女は、自分を法的に死に追い詰めるために行動を起こしています
このこだわりが衝撃的で、使用したトラックも頑丈なものを選んでいるし、人が少なかったから「事件現場を一度素通りして」再度「人の多いところに突っ込んだ」という確信犯でもありました
裁判では「もっと多くの人を殺したかった」みたいなセリフもあり、自分の行動と付随する死に対して、何らかの価値を感じていたのだと思います
オルガの絞首刑の後、母と含む家族のシーンがあるのですが、「お前には自殺などできない」といった母の言葉が、すべての根幹だったのかなと思わずにはいられません
■オルガ・ヘプナロヴァーについて
本作で登場する「オルガ・へプロナヴァー(Olga Hepnarová)」は、1951年生まれのチェコスロバキア人で、犯行に及んだのは22歳になる1973年のことでした
プラハで生まれた彼女は、父が銀行員で母は歯科医という裕福な家庭に育ちましたが、若年期には精神疾患を患い、オパジャニの精神病院に入院させられていました
療養生活は1年、逃亡を図ったり、虐待を受けていたとされています
彼女は「同性愛者でも異性愛者でもない」と診断され、精神疾患の診断は受けなかったとされています
映画では同性愛者として描かれていますが、いわゆるバイセクシャルかクイアに該当するのかなと思いました
その後、製本職人になったり、倉庫で働いたりしていましたが、すぐに解雇されるに至り、長く続いていも1年程度だったと言われています
そして、最終的にトラックの運転手として働くことになりました
彼女は家から離れ、連絡を断つようになり、オレシュコ村にてコテージを購入して、そこから通うことになりました
そして、そのコテージを売り払ったお金で、トラバントの車を購入したとされています
オルガの父はザブロディ村の農場を相続していて、家族の保養地として使っていました
1970年(事件の3年前)、オルガはその農場のドアにガソリンをかけて放火しました
放火当時、そこには両親と姉が寝ていて、火事に気づいて消火活動にあたりました
オルガには放火の嫌疑はかかりませんでしたが、のちに「その不動産が両親の不仲の原因(金銭トラブル)だった、と証言しています
■犯行経緯について
その後、事件の半年間から計画を立て始めます
彼女自身は「すべての人が自分を傷つけようとしている」と考えていて、路上で殴られても誰も助けてくれなかったと語りました
彼女は「無名の自殺者になるよりは、記憶に残る人物になりたい」と考えていたとされています
当初の計画では、急行列車の脱線、人の多い場所での爆破などが計画されていましたが、どれもが「技術的に不可能」ということで「銃の乱射」に行き着きます
実際に自動小銃を購入して、ヴァーツラフ広場にて犯行を考えます
でも、その場で射殺される可能性が高かった(=犯行動機を伝えられない)と考え、その方法を取りやめ、乗り物を武器にすることを考えました
その当時はプラハの通信事業の宿泊施設に寝泊まりしていて、一度コテージを見に行った後、愛車のトラバントを処分します
そして、7月10日にトラックをレンタルし、乗りこなせるかどうかを試乗したりしていました
午後1時30分、最終的にプラガRNトラックをレンタルした彼女は、現在のミラダ・ホロコバからプラハ7区のストロスマイヤー広場へと向かいます
一度通りかかった時には人が少なかったため、あえてスルーし、人が増えてきた2回目の巡回にてバスの停留所にトラックを突っ込ませました
当初は、トラックの技術的な欠陥でコントロールを失ったと考えられていましたが、オルガはすぐに「故意にやった」と認めました
25人ほどが停留所にいて、3人が即死、さらに5人がのちに死亡、12人が負傷する事故になりました
襲撃の前、オルガは「スヴォボードネ・スロヴォ紙」「ムラディー・スヴェト紙」に手紙を送っていました
以下、送り付けられた文章になります(ウィキペディアより引用(英語))
I am a loner. A destroyed woman. A woman destroyed by people … I have a choice – to kill myself or to kill others. I choose TO PAY BACK MY HATERS. It would be too easy to leave this world as an unknown suicide victim. Acta non verba. Society is too indifferent, rightly so. My verdict is: I, Olga Hepnarová, the victim of your bestiality, sentence you to death.
(私は孤独なのです。破壊された女です。人々に破壊された女で……自分を殺すか、他人を殺すかという選択肢があります。私は憎しみを向けてきた人たちに仕返しする方を選びました。名前も分からない自殺者としてこの世を去るのは安易すぎます。言葉でなく実行を。社会はあまりに無関心です。私の評決は以下の通りです:私、オルガ・ヘプナロヴァは、あなた方の残忍な行為の被害者として、皆様に死刑を宣告します)
実際に送られた手紙(チェコ語)は、
「Jsem zničený člověk. Člověk zničený lidmi. Mám tedy na vybranou: zabít sebe, nebo zabít druhé. A rozhoduji se takto: OPLATÍM SVÝM NENÁVISTNÍKŮM. Kdybych odešla jako neznámý sebevrah, bylo by to pro vás příliš laciné… Já, Olga Hepnarová, oběť vaší bestiality, odsuzuji vás k trestu smrti přejetím a prohlašuji, že za můj život je x lidí málo. Acta non verba(以下、グーグル翻訳を使用しての意訳「私は壊れた人間です。人間によって滅ぼされた人間。だから私には選択肢があります。自分を殺すか、他人を殺すか。そして私は次の決断を下します。「嫌いな人には仕返しをする」。もし私が身元不明の自殺として去ってしまったら、あなたにとっては安すぎるでしょう…私、オルガ・ヘプナロヴァ、あなた方の残忍な行為の被害者は、あなたに轢き逃げの死刑を宣告し、私の命は数人(X人)では足りないと宣言します。言葉ではなく行動(最後の3語はラテン語)」だとされています
この文章は事故の3日後に新聞社に届き、世間を震撼させたとされています
この文章を読むと、彼女が精神疾患で行動を制御できなかったというような状況ではなく、自分の思想の実現のために行動をしたことを伺えます
彼女の手紙が「遅れて到着する」ということを知っていて、それゆえに「言葉ではなく行動(不言実行)」という言葉を選んだのかなと思いました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画では、社会と家族から孤立したオルガが犯行に至るまでを詳細に描き、それが他人事ではないということが伺い知れる内容になっていました
この「他人事ではない」には3つの意味があって、一つ目は「加害者になり得る」ということで、知らず知らずのうちに誰かを追い詰めているかもしれないし、最後の決定機を与えているかもしれないという意味になります
二つ目は「自分自身がオルガになるかもしれない」というもので、社会への不満であるとか被害者意識を増幅させることによって、歪んだ思想を正しいものと認知し、それによって自分の精神を肯定化してしまうというものです
そして、三つ目は「このような不安を抱えた人の行動の被害者になるかもしれない」というもので、無差別殺人者が社会に潜んでいる危機感を常に持つ必要性が強調されています
日本でも無差別殺戮というのは多く起きていて、それがいつ起こるかは予測できません
かつての地下鉄サリン事件にしても、教団の怪しさを認知していても、あの地下鉄で起こすということまではわからないのですね
なので、防ぎようのないことのように思えてしまいます
でも、今の時代は「こういうことがどこかで起こるかもしれない」と考えることで、もしかしたら距離を置くことができるのかもしれません
映画におけるオルガは「無差別殺人」を起こすのですが、興味深いのは「この手の思想犯は行動の結果にこだわる」という特性がある、ということなのですね
声明文にもあるように「私の命は数人のものよりも重い」と考えていて、「多くの人を殺すことで行為の正当化に向かう」という側面がありました
この思考パターンを踏まえると、「人が多く集まる場所はターゲットになりやすい」と考えられるので、そう言った場所をできるだけ避けるということが最善策のように思えてきます
また、この事故が「過失か故意か」という見解が分かれる部分においても、「過失=性善説、故意=性悪説」というざっくりした捉え方をした方が良いのですね
それぞれの場面で起こる事件というのは、「動機は捕まってからわかる」という前提があるので、事件に遭遇し、生命の危機にある時に「犯人を性善説で考える」というのはナンセンスだと言えます
加害者への配慮を謳う人権家はそれで儲かるから行っているわけで、それをその場で持ち出す意味はないのですね
なので、なんとかできるなんてことは考えずに、その場から逃げるあるいは一人でも多く助ける、ということに集中した方が無難なのだと思います
実際にこのような現場に遭遇することは稀なのですが、いわゆる「無敵の人量産体制に入っているのが日本」という意識を持っていれば、無為無策のまま被害者になる確率は減ると思います
そういった観点で考えると、性善説と性悪説のバランスを取りながらも(一方に偏るのが一番良くない)、常に危機感を持って、周囲に気を配る必要があるのかなと思いました
隣にいる人が犯人かも、とまで思わなくても良いと思いますが、常にスマホの画面に集中して視野を失い、ヘッドホンで聴覚を塞いでいることは褒められた行為ではないのかもしれません
好きな音楽を聴きながら被害者になりたいという人は止めませんが、それで人生を全うできるとは思えないので、少しばかりは視点を変えても良いのかなと思います
無関係な事件に思えても、こう言った事件は社会は縮図でもありますので、ある程度は意識を置くということは必要なのではないでしょうか
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/386466/review/e6021c8f-7984-4b2c-a76c-12084131bcf6/
公式HP:
https://olga.crepuscule-films.com/