■シンプル・アクシデント 偶然


■オススメ度

 

ジャンルチェンジ映画の真髄を観たい人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2026.5.14(MOVIX京都)


■映画情報

 

原題:Un Simple Accident(単純な偶然)、英題:It Was Just a Accident(それは単なる偶然だった)

 

情報:2025年、フランス&イラン&ルクセンブルク、103分、G

ジャンル:復讐相手を見つけた男が、本当に復讐相手かを確認する様子を描いたコメディ&スリラー

 

監督&脚本:ジャファル・パナヒ

 

キャスト:

ワヒド・モバシェリ/Vahid Mobasseri(ワヒド/Vahid:アゼルバイジャン人の自動車整備工)

 

マルヤム・アフシャリ/Mariam Afshari(シヴァ/Shiva:写真家)

 

エブラハム・アジジ/Ebrahim Azizi(ラシド・シャーサバリ:エグバルとして連れ回される男)

デルマズ・ナジャフィ/Delmaz Najafi(ニルファー:ラシドの娘)

アフサネ・ナジュムアバディ/Afssaneh Najmabadi(ラシドの妻、妊婦)

 

ハディス・パクバテン/Hadis Pakbaten(ゴルロク・ゴリ/Golrokh:花嫁、シヴァの友人)

マジッド・パナヒ/Majid Panahi(アリ/Ali:ゴルの花婿)

 

モハマッド・アリ・エリヤスメール/Mohamad Ali Elyasmehr(ハミド/Hamid:シヴァの元恋人)

 

ジョルジョス・ハシェムザデー/George Hashemzadeh(サラル/Salar:ワヒドの友人、本屋経営)

Omid Reza(ワヒドの仕事仲間)

 

Ali Rastegari(エグバル病院の医師)

Negin Arbabi(看護師)

Elmira Ziai Sigaroudi(産婦人科病棟の看護師)

 

Mohsen Maleki(警備員)

Amir Youssefi(ガソスタの客)

Youssef Anvari Varjavi(薬剤師)

Reza Hakimi(本屋の店員)

Ali Mirshekari(アコーディオン弾き)

Ali Asghar Mirshekari(Tombakのドラマー)

Siamak Shabanzadeh(レッカー車の運転手)

 

Zahra Rahimi(ワヒドの隣人)

Liana Azizifay(隣人の娘)

Sedigheh Sa’adati(ワヒドの母)

Malineh Panahi(ワヒドの叔母)

 


■映画の舞台

 

イランのどこか

 

ロケ地:

イラン各地

 


■簡単なあらすじ

 

イラン・テヘラン郊外に住んでいる自動車整備工のワヒドは、かつてシリア内戦にて軍部に捕まった過去を持ち、凄惨なる仕打ちを受けていた

その後解放されたものの、エグバルという名の義足をつけた看守のことが忘れられず、蔚積した想いは燻り続けていた

 

ある日のこと、彼の工場に自動車の修理に男が訪れた

その男は家族と共にどこかに向かうことになっていたが、その途中で立ち往生をしていた

地元民の手筈でワヒドの工場にたどり着いたものの、それは彼にとって悪夢の始まりだった

 

ワヒドは男が義足をつけていること、彼の軋んだ音に聞き覚えがあった

彼は男の後を付け、衝動的に誘拐してしまう

そして、郊外に穴を掘って埋めようとするものの、男は「人違い」であると繰り返した

 

ワヒドは監禁中に相手の顔を見ていなかったこともあり、その男がエグバルであるという確信を持てなかった

そこで、同じように収監された友人たちの力を借りて、この男がエグバルであるかを確認することになったのである

 

テーマ:暴力の連鎖

裏テーマ:新たな道を塞ぐ意味

 


■ひとこと感想

 

予告編の「復讐相手かどうかわからん」という情報だけを仕入れて鑑賞

何度も当局に捕まっている監督ということは有名で、近年の作品はだいたい観ていましたね

それにしても、今回もキレッキレだったなあと思いました

 

映画は、かつて理不尽な理由で投獄されたワヒドが「復讐相手を見つけた」というもので、埋める寸前になって「本当にこいつだろうか?」と思うところから始まります

監禁されていた時は目隠しをされていて、義足の音しか覚えていないのですが、そのために確信が持てないのですね

そこで友人を通じて、被害者に確認してもらうという流れになるのですが、登場人物全員やかましいキャラということになっていました

 

もう関わりたくないという友人から、乗った船だから降りない人もいるし、巻き込まれて乗らざるを得ない人もいます

相手を逃してしまうとその後が怖いというリスクがあるため、行くところまで行くしかないという感じなっていました

後半の怒涛の追い込みは強烈で、演じているとは言え、演者さんはかなり怖かったんじゃないかな、と思います

 

本作は、コメディっぽいところもありつつ、徐々に不穏な感じになっていくのですが、秀逸なのはラストでしょう

この解釈は色々できると思いますが、冒頭の事故も踏まえると意味深だなあと思ってしまいました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

冒頭にて、ある一家がドライブ中に犬を轢いてしまい、それに対して母親が「神様」を持ち出すのですが、娘は即否定していました

イスラム圏では「過失」だった場合は、犬を轢いても問題ないようですが、道端に避けておいてOKなのかは何とも言えません

その後にも野良犬がたくさん登場し、いつ事故に遭うのかとヒヤヒヤするほどに路上に出ていました

 

その一家と絡むことになったワヒドは、当初は「この男がエグバルだ」と確信を持っていましたが、徐々に自分を疑うようになっていきます

そこで友人たちを頼ることになるのですが、積極的に関わりたい人はいないでしょう

それでも、「復讐相手を見つけた」ということと、圧倒的に有利な立場にいる、という状況が、彼らの行動を変えていきます

 

実際にエグバルだったのかは何とも言えない部分があり、クレジットでも「エグバル」と表記されるのですが、違っていてもおかしくないし、組織と役割から解放されていることで、エグバル自身が彼らに何かをするかどうかも不透明に思えます

そんな中での、ワヒドに迫る「義足の音」で締めるラストは秀逸で、近づいていって遠ざかっていくという感じで終わりを迎えます

おそらくは、エグバル自身がワヒドを確認しに来たのだと思いますが、そこでは何も起きなかったのでしょう

ちゃんと会ったのかもわからず、ただ確認しただけにも思えるのですね

 

エグバル自身がワヒドたちに今更何かをするかというのは微妙で、彼自身がエグバルであるとするならば、名前を変えて生きていることで「過去とは訣別」しているとも考えられます

実際にシヴァの尋問の答えが本音であるならば、彼自身もしたくてやったことではないのでしょう

そして、役割が解放されたのちに救いがあって、しかも自分の息子を助けたと聞く

その行動を超える憎悪というものがエグバルに残っているとも思えないので、ラストは「自分の家族の恩人の顔を見に来た」ということなのかな、と思いました

そして、そこで言葉を交わさないのは、どちらも過去に生きていないということの現れのようにも思えてなりません

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は、過去に遺恨を持つ相手を見つけたけどどうしたら良いかわからない人たちを描いていきます

殺してしまうと、彼ら以上の悪になることは間違いなく、これだけ連れ回したら、あの時に感じた恐怖を体感させたことにもなるように思います

それでも、ワヒドたちの奪われた過去というものは取り戻すことはできません

 

体制が生んだ悲劇とは言え、その行動は「エグバル自身の決断」であり、自分が傷つくことよりも、相手を傷つけることを選んでいます

そんな弱さというものに苦しめられたとしても、同じことをして晴れるのかという命題があったように思います

「目には目を」を越えるものを与えることに戸惑う様子もあり、直接的に関係ない者を巻き込むことを良しとはしません

とは言っても、「生きて帰ったら自分の身は危ないかも」というリスクは残っているのですね

それがラストのエンドロールの後ろ側で聞こえてきた「音」へと繋がっていました

 

あの音は「近づいて去っていった」という解釈で良いと思うのですが、それ以外は自然音のままなので、何かが起こったということはないと思います

エグバルの動機としては、妻を助け、息子の誕生に寄与してくれた恩義があるので、恩人に何かしたいと思う心があったかもしれません

それでも、何もアクションを起こさないのは、その行為自体がワヒドを苦しめることに繋がることに気づいているからのように思います

 

好意的な解釈をすれば上記のようになりますが、実際には「居所と顔を確かめに来て、後日何かをする」という線は消えてはいないでしょう

それゆえに不穏さは残るのですが、これら一連の出来事は

「偶然が重なった産物」でもあるのですね

エグバルが看守という役割を演じたことも、その相手がワヒドだったことも偶然の出来事であると言えます

そして、エグバルが犬を轢いたことによって、ワヒドの元に導かれたのも偶然かもしれません

それでも、冒頭のエグバルの妻の言葉を借りれば「犬はこの偶然をもたらすために神が遣わしたもの」という見方もできるのでしょう

起きたことは偶然でも、その後に起こることを人は選べます

 

そんな摂理の中で「何をするか」というのは、その人となりが現れることだとも言えます

なので、もしワヒドとエグバルの立場が違えば、同じことが起こったのかはわからないのですね

それを考えると、機会と予後の関係性はあって無いようなもののように思えてきます

どんな状況が与えられたとしても、何をするのかは自分次第

それを覆い隠すような詭弁であるとか、自己擁護というものは最も醜い行為のように思えます

そう言った意味において、偶然という名の下に神様が与えるものを試練と呼ぶのかもしれません

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/103735/review/06511167/

 

公式HP:

https://ttcg.jp/human_yurakucho/movie/1306000.html

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投稿者 Hiroshi_Takata

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