■みんなで狂う時代が来たとしても、プロモーターというものはどこかに存在している


■オススメ度

 

前作のファンの人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2024.10.11(イオンシネマ京都桂川)


■映画情報

 

原題:Joker:Folie a Deux(ジョーカー:2人狂い)

情報:2024年、アメリカ、138分、 PG12

ジャンル:裁判の渦中において、希望を見つけた囚人を描いたヒューマンドラマ

 

監督:トッド・フィリップス

脚本:スコット・シルバー&トッド・フィリップス

 

キャスト:

ホアキン・フェニックス/Joaquin Phoenix(アーサー・フレック/Arthur Fleck:スタンダップコメディアンを目指していた受刑者、ジョーカーとして崇拝される男)

レディ・ガガ/Lady Gaga(リー・クインゼル/Lee Quinzel:アーカム州立病院の精神病患者)

 

ブレンダン・グリーソン/Brendan Gleeson(ジャッキー・サリバン/Jackie Sullivan:アーカム・アライサムの暴力的な看守)

Jacob Lofland(リッキー・メリーネ/Ricky Meline:アーサーを崇拝する若い囚人)

Alfred Rubin Thompson(アーニー・ブロック/Ernie Bullock:アーサーと同じE病棟の囚人)

Connor Storrie(アーサーと同じE病棟の若い囚人)

 

キャサリン・キーナー/Catherine Keener(メアリーアン・スチュアート/Maryanne Stewart:アーサーの弁護士)

Sharon Washington(デブラ・ケイン/Debra Kane:アーサーを担当する民生委員)

 

Harry Lawtey(ハーヴェイ・デント/Harvey Dent:ゴッサムシティの新任地方検事)

Bill Smitrovich(ハーマン・ロスワックス判事/Judge Herman Rothwax:事件の担当判事)

 

ザジー・ビーツ/Zazie Beetz(ソフィー・デュモンド/Sophie Dumond:アーサーの妄想の恋人、シングルマザーの隣人、証人)

リー・ギル/Leigh Gill(ゲイリー・パドルス/Gary Puddles:アーサーの元同僚の道化師、証人)

Ken Leung(ビクター・リュー博士/Dr. Victor Liu:心理学者、証人)

 

Steve Coogan(パディ・マイヤーズ/Paddy Meyers:人気テレビのインタビュアー)

 

Gregg Daniel(精神病院の音楽講師)

Kaylah Sharve’ Baker(バックシンガー)

Ashley Levin(バックシンガー)

Celeste Butler(バックシンガー)

Alex Wesley Smith(音楽室のピアニスト)

Troy Metcalf(音楽室の受刑者)

Eddy Mejia(アッカム刑務所の天使)

Mac Brandt(アッカム刑務所の看守)

George Carroll(アッカム刑務所の看守)

John Lacy(アッカム刑務所の看守)

Tim Dillon(アッカム刑務所の看守)

Robert Loftus(アッカム刑務所の看守)

Wayne Dehart(E病棟の受刑者)

Troy Fromin(E病棟の受刑者)

Ajgie Kirkland(E病棟の受刑者)

Terrance T.P. Polite(E病棟の受刑者)

Jimmy Walker Jr.(E病棟の受刑者)

Toney Wilson(E病棟の受刑者)

June Carryl(ルイーズ・ビーティ博士/Dr. Louise Beatty:病院の精神科医)

 

Don McManus(パディ・マイヤーズのプロデューサー)

 

G.L. McQueary(執行長官)

Angela D. Watson(陪審長)

Murphy Guyer(ホワイト・チャペル牧師/White Chapel Minister)

Carson Higgins(新任弁護士)

Gattlin Griffith(ジョーカーの仮装をした運転手)

Hudson Oz(ジョーカーのドッペルゲンガー)

Ray Lykins(被害者の父)

Will Ropp(ジョーカーの狂信者)

Ashton Moio(ジョーカーの狂信者)

Emilio Rojas(ジョーカーの狂信者)

Joe Spinney(警察の警護)

Richard Busser(鎮圧部隊)

Brian Donahue(鎮圧部隊)

Mike Houston(鎮圧部隊)

Jess King(鎮圧部隊)

Jimmy Smagula(鎮圧部隊)

Anthony Gullotta(暴動警官)

Brad Trettien(ゴッサムシティ市警幹部)

Haley Handson(プロのデモンストレーター)

Joseph Scarpino(プロのデモンストレーター)

Greg Hoffman(抗議者)

Tom Johnson(歩行者)

Dane Alexander Peplinski(歩行者)

Alanna Phillips(背景)

Angelica Quinonez(患者/抗議者)

Suki Úna Rae(抗議者)

Theodore Martello(ウォール・ストリートの通行人)

 

Stephen Stanton(スタン・L・ブルックス/Stan L. Brooks:ニュースキャスター)

Martin Kildare(ニュースアンカー)

Laurie Dawn(レポーター)

Steven X. Greenfield(レポーター)

Dominique Williams-Blair(レポーター)

Barry Bonder(レポーター)

 


■映画の舞台

 

1983年、

ゴッサムシティ

アーカム州立病院

 

ロケ地:

アメリカ:ニュージャージー州

Soho Hospital Belleville New Jersey

https://maps.app.goo.gl/GGA6YBkyJUYnfHMY8?g_st=ic

 

アメリカ:カリフォルニア州

ロサンゼルス

 

アメリカ:ニューヨーク州

ニューヨーク

 


■簡単なあらすじ

 

前作にて、5人を殺したアーサーは、アッカムの精神病院に収監されることになった

裁判を控えた身でありながら、ジョーカーの犯行に感化される人々もいて、その存在は徐々に広がりを見せつつあった

 

ある日、別の病棟に連れて行かれたアーサーは、そこでリー・グインゼルという患者と出会う

彼女はアーサーに興味を持ち、アーサーも彼女に惹かれていった

 

裁判が佳境に入る寸前、アーサーは何を思ったのか、自分の弁護士メアリーアン・スチュアートを辞めさせ、自己弁護を始めてしまう

アーサーはジョーカーの姿で法廷に立ち、そして数々の証言に向かい合いながらも、その行動は更なる熱狂を生み始めてしまうのであった

 

テーマ:何者として愛されたいか

裏テーマ:偶像崇拝と成り変わり

 


■ひとこと感想

 

前作の記憶が曖昧なまま、初日の初回で鑑賞

前回のおさらいシーンなどはほとんどありませんが、思いっきり続きになっていたように思います

 

アーサーの殺人事件の裁判が行われる中、別の精神病棟に入院していたリーと恋に落ちるという流れになっていて、この流れがどこまで原作準拠なのかは知りません

 

映画は、ほぼ法廷劇で、一言で終わる内容を延々と引き延ばしたような感じになっていました

途中で何回か睡魔に襲われましたが、話に置いて行かれることもなかったですね

あとで英語版ウィキを見ても覚えていないエピソードはないという感じになっていました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

ネタバレなしで鑑賞した方が良い作品で、この結末は賛否両論という感じになっているように思いました

アーサーに何を期待するか、というところで「望んでいたエンディング」というものがあると思いますが、個人的には「どっちでも良いけど、それでいいの?」という印象を持ちました

 

アーサーの顛末によって「ジョーカー」というものがどのような存在になるかは描かれず、そこで終わるの?という印象もありましたね

ラストに登場した名もなき囚人が後の「○○」になるのかと思いますが、一旦はアーサー版ジョーカーというものが終了することになったのだと思います

 

映画は、偶像として生きるか、人間として死ぬかという感じになっていて、アーサーは後者を選んだことになります

それに失望したリーは彼のもとを去ることになったのですが、これは以降の新シリーズに向けての布石になるのだと思います

とは言え、とにかく長かったですね

いつ終わるんだろうと思いながら、一方変わったミュージカルを眺めていた気分になりましたねえ

 


人生を生きる意味

 

本作は、前作にて悪の象徴となったアーサーがジョーカーになれるのかどうかを描いていました

これまでに描かれていたジョーカー像とは違い、根は良い人がアイコンになれるかどうかと言うもので、最終的にアーサーはジョーカーとなることを「やめる」ことになりました

諦めるとかではなく「やめる」と言う感じで、自分自身が何者かを思い出すと言う展開を迎えます

その決定期を作ったのが、元同僚のゲイリーの言葉だったと言えます

 

映画は、アーサーをジョーカーにしたい人はたくさんいますが、ジョーカーになって欲しくない人と言うのはほとんどいません

ゲイリーもジョーカーになって欲しくないのではなく、その選択は正しいのか?とか、君らしくないねと言う問いかけをしています

ジョーカーになることが自分の人生ならば良いと思いますが、あの状態のジョーカーと言うのは、誰かの人生の代弁者なのですね

なので、ゲイリーは自分自身を思い出すような言葉を紡ぐことになりました

 

人生を生きると言うのは色んな含みがあって、自分の人生を生きていると言える人は思った以上に少ないと思います

人には役割というものがあって、家庭における役割、一族における役割、仕事における役割などがありますが、それらは=自分の人生とはなりません

なので、そのような社会的な役割から外れたところで自分を生きる必要があって、それがないと人生に埋もれるか、自分自身で終わらせたくなってしまうものだと思います

わかりやすく言えば一人でいる時間を作るとか、全てから解放された時間を作るということになっていて、そこに人生の充実感を持ってくることができれば、役割に埋没しても正常でいられます

 

とは言っても、そんな時間ばかりを作ることはできず、社会的な役割を果たした上で責任と金銭を得る必要があって、そのために役割をこなす人もいます

なので、人生がうまく行っている人は、役割=自分になっているか、役割と同居できるか、うまく分別ができている人ということになります

このような人生をどのようにして作るかは難しそうに思えますが、一番近道だと思うのは、スマホなどの外部との接触機器から距離を置いて、自分しかいない場所に行くことだと思います

それは、物理的なものだけに留まらず、精神的にそう言った世界に行くことも可能なので、お金がかからない方法を挙げれば「瞑想」ということになるのかな、と感じました

 


今後の展開についての妄想

 

本作は、これで終わりを告げそうに思うのですが、アーサーの物語としては終わっても、ジョーカーを作り上げようという物語は終わらないと思います

続編があるとしたら、リー・クインゼルを主役にして、ジョーカーになれそうな男を探すというもので、それが意外なところから見つかるという物語になります

この手の物語は普遍性を大事にするので、誰もがジョーカーになり得るかもしれないという可能性を残す必要があります

また、クインゼルがジョーカーとは何者かに気づく必要があって、彼女自身がジョーカーになれない理由と向き合う必要があると言えます

 

今回の製作陣、特に監督は今後『ジョーカー』には関わらないとのことで、生まれるとしたら別の製作陣になると思います

なので、全く別のテイストのジョーカーの物語が生まれる可能性があり、それは時代を反映するものとなる可能性があります

おそらくアメリカでの制作になると考えられるので、テーマは「分断を生み出すもの」のようなわかりやすいものになると思います

 

ジョーカーと言うのは作品によって役割が違うのですが、本作の場合は「代弁者としてのアイコン」と言う意味がありました

自分ができなかったことをした男を祭り上げると言うもので、根底には格差社会というものがあります

底辺だったアーサーが天上人を殺めるという衝撃があり、その事実が「底辺の希望」のように思えるのですね

でも、実際にはジョーカーの物語には繋がらないし、バットマンシリーズに繋がりそうな悪党は別のところにいました

 

この流れを踏まえると、叫ばれている分断の物語になり、それは思想的な分断になっていると言えます

人種差別という枠組みを超えて、どのアメリカになるのかというものがそれぞれに違っていて、いわゆる「強いアメリカ」を取り戻そうという人と、多様性を認める「新しいアメリカ」を作ろうとした戦いになっていました

選挙では強いアメリカ支持の圧勝になっていて、それは格差社会を是正して、アメリカが豊かになることが最優先されたからなのですね

なので、富裕層が新しいアメリカと言っているのは思想誘導にも思えて、アメリカ国民はそれに騙されなかった、という状況になっていると言えるでしょう

この情勢の中で、どのようなジョーカーが生まれるのかは色んなネタがあると思いますが、すでに何かしらの動きが生まれているのではないでしょうか

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は、前作が社会現象になった作品の完結編で、多くの人がハシゴを外されたように思えたと思います

アーサーがジョーカー化することを望んだのは劇中のキャラだけではなく、観客も同じような思いでいました

それがジョーカーにはならないという選択肢と、最後にあっさり殺されるということで落胆の声が上がったのだと思います

前作の加熱を感じて方向転換したのか、実は既定路線だったのかはわからないのですが、それくらい現実世界のジョーカー待望論というものは根強いのだと言えます

 

ジョーカー待望論が生まれるのは、今の資本主義社会の副産物のようなもので、富の集中が行われればいずれは来た未来だと思います

搾取構造が巧妙になり、実体経済と伴わない貧富の差ができているのですが、その状況を変えるのは暴力しかない、というのは歴史が証明していると言えます

貴族社会の転落、軍事政権の崩壊など、人類は様々な社会の激変を体験してきました

そう言ったものが身近にあったにも関わらずその方向に向かうのは、権力構造という毒がいかに強力であるかがわかります

 

これまでの時代の変遷は確固たる主導者というものがいて、その大義の元に群衆が詰めかけるという構図がありました

人の行動に釣られがちな大衆というのは、乗り遅れることを極端に恐れ、自分の中にある燻ったものの明文化によって波というものが生まれてきます

でも、今の世の中でこのようなことが起こるでしょうか?

おそらくは同じような主導者に対する崇拝というものが生まれますが、それ自体は未来の権力構造を継承するものとなってしまいます

 

現代が過去と違うのは、個人の発信力で、それによって感化される言葉の源というものが変わってきています

自分の中にある燻りの明文化をどこかの知らない人が行うということもあり、誰のどんな言葉が火をつけるのかはわからない時代になっています

そんな中で、主導者と呼ばれるものが概念化し、これまでの実体から虚像になっても起きる可能性が出来てきました

いわゆる伝道者と呼ばれる自分を傍に置いた存在の覚醒であり、このようなムーブメントを生み出していくと言えます

 

そういったものの発芽というのは突然起こるもので、そのトリガーとなるものが何かはわかりません

誰かの呟きかもしれないし、掲示板に書き込まれた言葉かもしれない

また、貧困街に書かれたペンキの文字かもしれないし、AIが作った歌かもしれない

そのような時代において、ジョーカーのようなアイコン性は廃れることなく継承されていくものでしょう

それがすでに生み出されているのかはわかりませんが、実体が幻想を保証しない今では、虚像こそがその源泉となり得るのかな、と感じました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/98960/review/04356489/

 

公式HP:

https://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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