■サムライに対する憧憬こそが、戦いを肯定する道になるのかもしれません
Contents
■オススメ度
タケシ映画が好きな人(★★★)
リアルな戦国ものが好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.11.23(イオンシネマ久御山)
■映画情報
情報:2023年、日本、131分、R15+
ジャンル:本能寺の変の裏側を描く新解釈時代劇
監督&脚本:北野武
原作:北野武
キャスト:(わかった分だけ)
ビートたけし(羽柴秀吉:信長の後釜を狙う百姓上りの武将)
西島秀俊(明智光秀:信長の忠実な家臣)
加瀬亮(織田信長:天下統一を目論む武将)
勝村政信(斎藤利三:光秀と手を組む武将)
遠藤憲一(荒木村重:信長に謀反を起こす元家臣)
中村育二(滝川一益:信長の家臣)
中島広稀(織田信忠:信長の息子)
木村祐一(曽呂利新左衛門:千利休のところに転がり込んだ抜け忍)
中村獅童(難波茂助:曽呂利と同行する百姓)
津田寛治(為三:曽呂利に拾われる百姓)
アマレス兄(丁次:曽呂利に同行する農民)
アマレス太郎(半次:曽呂利に同行する農民)
寺島進(般若の左兵衛/多羅尾四郎兵衛:曽呂利の兄貴分)
ホーキング青山(多羅尾光源坊:盲目の切支丹、甲賀の里)
桐谷健太(服部半蔵:家康を護衛する忍者)
浅野忠信(黒田官兵衛:秀吉の軍師)
大森南朋(羽柴秀長:秀吉の弟)
堀部圭亮(宇喜多忠家:秀吉の直臣)
仁科貴(蜂須賀小六:秀吉の家臣)
寛一郎(森蘭丸:信長の家臣)
副島淳(弥助:信長の付き人、宣教師)
東根作寿英(丹羽長秀:信長の宿老)
サンティアゴ・エレーラ(宣教師)
小林薫(徳川家康:戦況を見守る武将)
岸部一徳(千利休:裏で暗躍する茶坊主)
大竹まこと(間宮無聊:千利休の腹心)
六平直政(安国寺恵瓊:毛利家の禅僧)
荒川良々(清水宗治:安国寺恵瓊の代わりに切腹する武将)
柴田理恵(マツ:家康に女をあてがう女、遣手婆)
平原テツ(菩薩の権蔵)
劇団ひとり(イカサマ喰らう博打打ち)
夢之丞(娼婦をまとめる男)
野々目良子(茂助の妻)
日野陽仁(茂助の父)
観世清和(能「敦盛」のシテ)
観世三郎太(能「敦盛」のアド)
久保勝史(高山右近:千利休の七高弟)
青木志穏(遊女)
松本亨子(遊女)
宮園博之(兵士)
大森亜璃紗(女郎)
菅家ゆかり(くノ一)
鈴木優(織田軍足軽)
渡辺光(公家)
■映画の舞台
天正7年〜
日本各地
(京都、名古屋、岡山、四国他)
ロケ地:
滋賀県:近江八幡市
石の寺 教林坊
https://maps.app.goo.gl/x8u9Yr2TvVZfj7nQ6?g_st=ic
滋賀県:高島市
びわこ箱館山
https://maps.app.goo.gl/GiaE1XToS5Kfsk4y6?g_st=ic
栃木県:宇都宮市
若竹の森 若山牧場
https://maps.app.goo.gl/82VAG5scJV2KJaTW7?g_st=ic
■簡単なあらすじ
天政に入り、信長の勢いは増し、秀吉、家康らを従えて、天下統一を目論んでいた
信長の跡目争いは手柄を立てれば良いとされ、それぞれは信長の目的のために役割を全うしていた
ある時、家臣の荒木村重が謀反を起こし、彼の目論見が途絶えた後、行方をくらましてしまう
信長は村重探索に躍起になっていたが、彼を見つけたのは千利休の元に転がり込んでいた曽呂利だった
曽呂利は利休の元に村重を届け、利休は明智光秀に引き渡す
村重と光秀は恋仲にあり、その関係は秘匿のものだった
一連の動きの中で秀吉は暗躍し、光源坊を通じて信長の手紙を手に入れることに成功する
そこに書かれていたのは、信長の跡目に関する書簡だった
テーマ:天下統一
裏テーマ:裏切りと暴走
■ひとこと感想
本能寺の変を大胆な解釈でというふれこみでしたが、それよりも「まさかのBL展開」にびっくりしてしまいました
濃厚な絡みとエゲツない殺陣シーンが特徴的ですが、実質の主人公は曽呂利だったように思えました
豪華キャストでチョイ役まで意外な役者hが演じていて、撮影は大変だっただろうなと思いました
戦国武将版アウトレイジなどと言われていますが、コミカル要素が満載の本格的な戦国ものという感じになっていますね
秀吉と官兵衛、秀長の3人漫才も面白いですが、その対比としてめっちゃ真面目な光秀がいましたね
彼1人がかなり深刻な感じになっていて、それ以外は無茶苦茶な感じになっていました
史実を考えると2時間でまとめるのは無茶だろうと思いましたが、結構細かなところまで網羅していたように思います
その分、ちょっと長く感じるし、どこで切るのかなと思っていたら、意外なところであっさりと終わってしまいましたね
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
日本人なら大体知っている本能寺の変で、このあたりの戦国武将の絡みは基礎教養の範囲のように思います
流れについていくならば、wikiの本能寺の変を読んでおけば問題ない感じで、信長の最期に向けて、誰がどう暗躍したかという物語になっています
映画のタイトルは『首』で、要所で首にまつわるエピソードが満載になっていました
ラストでそれをコケにするのが本作の醍醐味ですが、それにしても「美術職人」の腕はすごいなあと思ってしまいました
大河ドラマのような美談ではなく、戦国時代は全員狂っていたというテイストですが、こちらの方が本当に近いような印象がありますね
本能寺のシーンが意外とあっさりしていましたが、思わぬ人物によって信長の首が撥ねられるのは驚いてしまいました
■本能寺の変について
映画のクライマックスになるのは「本能寺の変」で、これは明智光秀によって起こされた織田信長への謀反のことを言います
天正10年6月2日(1582年6月21日)の早朝に起こった出来事でした
映画では、「出陣じゃ!」からの炎上と端折られていましたね
事の起こりは、天正10年3月11日に、武田勝頼・信勝を天目山に追い詰めて自害させたことになりますが、映画では完全にスルーされています
詳しいことはウィキなどを読み込むとか、専門書を読むことをお勧めしますが、映画では「信長が跡目に息子を指名したこと」に激怒した家臣の反乱のように描かれています
この流れを支配したのが秀吉で、曽呂利を使って家康に危機を伝えて懐に入り込み、光源坊から得た文書で光秀を動揺させるに至ります
これによって、別の場所に向かう光秀は、その軍勢を従えたまま行先を変え、本能寺を取り囲むことに成功します
その後は、自害したとも焼死したとも言われていますが、映画では弥助が首を切るという「マジか!」という結末に至っていましたね
弥助が命拾いをしたという説は多く、彼が信長の首を持ち出して作られたとされる「信長のデスマスク」というものがあったりします
実際に炎に包まれる本能寺の中で何が起きていたかは分からず、生き残った人たち伝聞によって語り継がれて行きます
光秀が謀反を起こしてというところまでは目撃者も証人も多いのですが、いざ突撃となった後については、検証のしようがないものでしょう
この辺りが歴史のロマンと言われるところですが、あれだけ敵を作るスタイルだと、「跡目騒動」からの息子に譲るわで激怒説というのは、意外なほどに説得力がありますね
とは言え、なんであの手紙を光源坊が持っていたのかとか、その書状を信長が書いたものだと判断するのは難しいところのようにも思えます
■戦国時代の首の重要性
戦国時代では、「武士の活躍を示す証拠」として、敵の首を取るというのは必須項目だったとされています
劇中でも茂助が味方の首を取り上げて「取ったぞー」ってやっていましたが、実は「首実検」というものが行われていて、それがその男のものかを確認したとされています
これは、討ち取られた生首を洗って綺麗にして、死化粧まで施し、それが誰なのかを検分するというものでした
討ち取られた者の慰霊目的でもあり、呪術に通じた者が儀式を執り行ったと言われています
首実検では、「首帳」というものが作られ、その人物を見たことがある人物に確認させるということを行なっていました
映画のラストでは、秀吉が「首を蹴り飛ばす」というエピソードがあり、これは彼が百姓の出であり、武士の作法にこだわらなかったという意味合いがあります
敵の首を取ることで「信長への忠誠を示す光秀」と、敵の首を取ることで「武士になろうとする茂助」の首が並んでいるシーンで、秀吉は「光秀の首」を蹴り飛ばしていました
その際には「それが光秀の首だったかどうかに気づいていたか」というものは描かれていませんが、おそらくは気づいていたと思います
秀吉は、首を足蹴にすることで武士の作法を嘲笑うのですが、それは本作が「武士道をコケにしている」というテーマ性と一貫していました
武士道を聖なるもののように伝承してきた文化も、実際には「己のことしか考えずに生き延びた者が歴史を作っている」と事実があります
なので、秀吉による首蹴りというのは、生き残った者の傲慢を的確に表している行動のように思えました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、これまで「英雄視」されてきた戦国武将や武士道のイメージを根底からひっくり返すような内容になっていました
勝者の歴史観が受け継がれた結果、誇張された武勇伝が浸透し、それを行なってきたのが「噺家」であるように思えます
映画の主人公は実質的には曽呂利で、彼が見た本能寺の変という感じになっていて、それを要約すると「バカばっかり」ということになります
彼は主に秀吉に支えていて、彼を笑わせるための話術というものを持ち合わせていました
彼は安楽庵策伝と同一人物とも言われ、この人物は浄土宗西山深草派の僧侶でした
彼は笑い話が得意で、『醒睡笑』を著し、笑話集の先駆けとなっています
この『醒睡笑』はのちの「咄本」や落語に影響を与え、寄席落語の元ネタとなっていったとされています
これが、曽呂利がお笑いの始祖であるという逸話に繋がっているいるのですね
映画は、戦国時代はこんなに狂っていたというものを、英雄譚ではなく笑い話として伝える構成になっていて、それは俯瞰したものの見方になると思います
狂っていなければ天下統一など目指せないし、武士道はその極みのような存在であると思います
万人受けするとは思いませんが、戦国時代の神聖視されている部分を笑いに変えていく構成は面白いですし、首(武士道)に拘った2人の首を前にして足蹴にするというのも、粋な展開だったと感じました
あとは、「衆道」に関する描写がえげつなかったですね
「衆道」とは、主君と小姓(将軍のそばに仕える者)の間に起こる「男色」のことで、肉体的な繋がりだけではなく、精神的な絆を意味しています
大河ドラマで匂わせを描けても、ガッツリと交わるシーンなどは描けないと思うので、これらのシーンの多さも「戦国時代のリアル」に繋がっているように感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
公式HP:
https://movies.kadokawa.co.jp/kubi/