■生きる上で必要なのは、どんな過去にも意味を与えてあげることだと思う
Contents
■オススメ度
人生の岐路にまつわる物語が好きな人(★★★)
黒澤明版を観ている人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.4.4(TOHOシネマズ二条)
■映画情報
原題:Living
情報:2022年、イギリス、103分、G
ジャンル:定年を迎える公務員が、自身の余命宣告を受けて生き方を変えるヒューマンドラマ
監督:オリバー・ハーマナス
脚本:カズオ・イシグロ
オリジナル脚本:黒澤明&橋本忍&小国英雄(1952年)
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キャスト:
ビル・ナイ/Bill Nighy(ロドニー・ウィリアムズ:定年を迎える公務員、市民課の課長)
エイミー・ルー・ウッド/Aimee Lou Wood(マーガレット・ハリス:ロドニーの元部下、転職先は「ライオンズ・コーナー・ハウス/Lyon‘s Corner House)
アレックス・シャープ/Alex Sharp(ピーター・ウェイクリング:ロドニーの部署に入る新人職員)
トム・バーク/Tom Burke(サザーランド:ロドニーがカフェで出会う青年、劇作家)
エイドリアン・ローリンズ/Adrian Rawlins(ミドルトン:ロドニーの部下、主任)
ヒューバート・バートン/Hubert Burton(ラスブリッジャー:ロドニーの部下、若手)
オリヴァー・クリス/Oliver Chris(ハート:ロドニーの部下、中堅)
マイケル・コクラン/Michael Cochrane(ジェームズ卿:ロドニーの上司、公園協議委員会の委員長)
アーナント・ヴァルマン/Anant Varman(シン:役所のクリーク)
ゾーイ・ボトル/Zoe Boyle(マクマスターズ夫人:ロドニーの部署に公園設置を嘆願する婦人グループ)
リア・ウィリアムズ/Lia Williams(スミス夫人:ロドニーの部署に公園設置を嘆願)
ジェシカ・フライド/Jessica Flood(ポーター夫人:ロドニーの部署に公園設置を嘆願)
パッツィ・フェラン/Patsy Ferran(フィオナ・ウィリアムズ:マイケルの妻)
バーニー・フィッシュウィック/Barney Fishwick(マイケル・ウィリアムズ:ロドニーの息子)
(幼少期:Mark James)
ニコラ・マコーリフ/Nichola McAuliffe(ブレイク夫人:サザーランドの行きつけのカフェの女主人)
Laurie Denman(バーでピアノを弾く男)
Gleanne Purcell-Brown(ロドニーがもたれかかるバーの女)
Violeta Valverde(バーのストリッパー)
Jamie Wilkes(タルボット:都市計画課の責任者)
Richard Cunningham(ハーヴェイ:公園課の責任者)
Ffion Jolly(ボトン夫人:ロドニーの通う病院の患者)
Celeste Dodwell(マシューズ夫人:ロドニーの通う病院の受付)
Jonathan Keeble(マシューズ医師:ロドニーの主治医)
Eunice Roberts(フライ婦人:犬連れのロドニーの隣人)
Rosie Sansom(ジョンストン夫人:マーガレットの新しい勤め先の上司)
Thomas Coombes(コンスタンブル:ロドニーを知る巡査)
■映画の舞台
1953年、
イギリス:ロンドン
ロンドン・カウンティ・カウンシル/London County Council
ロケ地:
イギリス:ロンドン
Country Hall
https://goo.gl/maps/SbaKnYGAmpMC1WtX8
■簡単なあらすじ
ロンドンの役所に勤めるロドニー・ウィリアムズは、定年を迎えて、迫り来る仕事をルーティンのようにこなしていた
そんな彼の部署に新人のピーターが配属される
ロドニーの部下たちは彼の機嫌を損ねないように配慮し、縦割り行政の枠を越えることなく、粛々と市民に対応していた
彼らの部署には、色んなところをたらい回しにされているマクマスターズ夫人を筆頭にして女性グループが来ていて、彼女たちは「公園を作って欲しい」と嘆願していた
だが、どこの部署も「ウチの仕事じゃない」と他の部署に押し付けあっていて、一向に話が進むことがなかった
ある日、ロドニーが早退し、主治医マチューの診察室へと足を運んだ
マチューは「検査結果」を彼に告げ、「余命はわずかだ」と続けた
ロドニーには息子マイケルとその妻フィオナがいたが、彼らにそのことは話さない
ロドニーは無断欠勤をする日が増え、ピーターは彼の身を案じ始める
だが、他の先輩たちは意に介することなく、粛々とロドニーのやり方を真似ていくのであった
そして、ロドニーは放蕩先でサザーランドと出会い、街中で離職したマーガレットと再会することになったのである
テーマ:生きるとは何か
裏テーマ:生きた証の残し方
■ひとこと感想
黒澤明版『生きる』は未鑑賞ですが、日本からイギリスに舞台が変わった本作に興味を持ちました
時間があればリメイク元を鑑賞したかったのですが、あえて「予習はせず」にどのようなサプライズがあるのかが気になりました
映画は、公務員設定も公園を作ることも、ブランコに乗るところなども踏襲していて、同じ時代のロンドンを舞台にしていましたね
縦割り行政の中にある一部署の話で、公的な機関でありながら、市民の声をスルーし続けるというところは同じのようでした
黒澤版の鑑賞が必須かどうかはわかりませんが、ネタバレをしたくないなら「本作鑑賞後に観る方が良い」という感じですね
すでに鑑賞済みの人は比較して観てしまうとは思うのですが、舞台が違うので、慣習や時代背景が全然違うので比較するのは難しいように思えました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
以下、必然的に黒澤版『生きる』のネタバレにもふれるのご容赦ください
映画は、ルーティンをこなすだけの役所の職員が描かれていて、市民の嘆願がたらい回しになっていましたね
このあたりは日本と同じなんだなあと思いました
でも、陳述に来ていた夫人がどこぞの貴婦人っぽくて、その内容が公園だったことに驚いてしまいます
ロドニーが公園づくりにやる気を出した次の瞬間に葬式になっていて、「ああ、夢半ばだったのかな」と思っていましたが、そこから回想録で「このようにできました」はびっくりしましたね
当初は、何か見落としたのかと思ってしまいました
葬式の後、部下たちがやる気を見せても、あっという間にいつも通りになっていて、そこでピーターが手紙を見て奮起するところが良かったですね
彼とマーガレットにだけ託された手紙というものはとても大きな意味があると思います
■2人にだけ手紙が残された理由
映画の後半において、ロドニーはマーガレットとピーターにだけ手紙を託します(家族のものはあったと思いますが、映画内ではふれられていません)
マイケルの表情を見ると、「なぜ、彼らに手紙を遺したの過?」という感じになっていて、そこから察すると「彼らには公的なもの以外はなかったのかも」と思わせます
ロドニーの部署は、主任がミドルトンで、ハート、ラスブリジャーが中堅の部下、マーガレットは配属されて間もなく転職を決めていて、その代わりにピーターが配属になっているような印象を受けます
クラークのシンはおそらくは部署間の伝達係のような、メッセンジャー的な役割を担っていました
ロドニーが機械的に書類を処理し、デスクには多くの「保留」されたものがたくさんありました
その様子を見ていたピーターは唖然としますが、他の4人は「いつものこと」という感じに慣れていました
ロドニーの死後、課長にミドルトンが昇進し、誓いを立てたはずなのに同じことをしていて、それをピーターが指摘する場面がありました
彼の手元にはロドニーからの手紙があり、それを読み上げる演出のもと、映画は最大の山場へと向かいます
マーガレットに送られたものは、おそらくは娘的な存在に対する私的な書簡で、ピーターには人生指南のような哲学が詰め込まれていました
おそらくロドニーは、自分が死んだ後にどうなるかを察していて、ピーターの発言力がないことも感じていたと思います
ロドニーは自分の成したことを手本として部下たちに伝えますが、その意味を知るのはピーターだけなのですね
一応は、列車の中でそれぞれが想いを胸に誓いを立てますが、ロドニーが最後にやったことはかなりの難題なのですね
なので、いずれは風化して、元の慣習に戻ることは予測されていたと思います
彼が若い2人に託したのは、今の慣習から抜け出そうとするマーガレットと、まだそこに染まっていないピーターだからなのですね
他の部下たちは、言わば「ロドニーの仕事哲学によって作られた役所の人」になっていて、彼らが挑戦しないのは彼らだけの問題ではありません
これまでのロドニーの教育と行動がそうさせてきたので、それを頭ごなしに否定することもできません
ピーターは、まだその慣習には染まっていなくて、手本を元に自分の仕事をやろうと思えばできます
もし、今の部署でできなくても、やり直しができる年齢なので、外に飛び出すこともできるでしょう
現に、外に飛び出したマーガレットを賞賛しつつも、「まだ、こんなところにいるのか」と残念がっていましたね
ロドニー自身も、今の場所は「余生には良いけど、若者が浸る場所ではない」ということを感じていたのだと思いました
■人生の意味は遺したものに宿る
ロドニーが指揮して作ったのは小さな公園ですが、彼自身は「いずれ忘れ去られるだろう」と結んでいました
あれだけ懇願していた夫人グループですら、子どもがその場所を必要としなくなった時に忘れるでしょうし、子どもたちの記憶からもいずれは消えていきます
自分の仕事が後世に残る人は稀で、そのモノが残ったとしても、そのマインドが残り続けるかは別の問題になっています
自分自身の職業人生を振り返っても、何かしら形になったものでさえ、時代の流れとともに無くなっていきます
以前に勤めていた古書チェーン店も、一時は20店舗ぐらいを管理していましたが、今では2店舗ぐらいしか残っていません
独立開業した時の什器(本棚)とかは家の押し入れに眠っていますが、それが再度使われることはないと思います
哲学的なことを言えば、自分が育てた部下がどうなっているかというところに行き着きますが、基本的に一要素であっても、その後付随する様々な要素によって「本人が再構築する」ので、跡形も残っていないことの方が多いと思います
なので、本作のように「モノが残り続け、その意思が文章として遺る」というのは特別なことだと思うのですね
あの公園を見るたびに、あのブランコに座っていたロドニーを思い出し、そして手紙の言葉を思い出す
人は忘れていくものではありますが、記憶というのは連鎖的に想起されるものと体験によって強化されるものなので、ピーターの中では特別なものとして残っていくでしょう
もし、ピーターがロドニーと同じようなマインドで仕事をして、それが形になったとしても、その都度「マインドを文章化して残す」ということはしないと思うので、このような機会は結構難しいものなのですね
私的な日記などに、「この公園を作った時のこと」を記すことはできても、それを他人に託せる機会というのはとても少ないと思います
かつて、私の仕事は「人財育成課」で、アルバイトなどを指導する立場にいました
そこでは「自分の仕事哲学を披露する」というよりは、「経営者のマインドを具体的に業務に落とし込んで伝える」ということをしていました
その際に「社内報を作成することになった」のですが、そこでは「仕事の哲学を童話に落とし込む」ということをしていました
小難しい哲学書から引用された社長の言葉を学生アルバイトにどう伝えるか、という命題があったので、それに従事した経験は今にも活きていると思います
このように、仕事というのは形を変えても残っていくものだと思います
ピーターも人生のあらゆる事柄において、どのように向き合っていけば良いのか、をロドニーから受け取っていますね
彼がどのようにしてそれを残していくのかは分かりませんが、何かしらの「証」があることは、その後の人生に良い影響を与えるものだと思います
ちなみにあの時代に作った社内報が今でも手元にあったりします
文章が稚拙すぎて、読み返す気にはなれませんが、あの時に関わった人の誰かの元に残っているかもしれませんね
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、日本映画『生きる』のリメイクで、時代は同じですが、戦勝国と敗戦国と言う「舞台が真逆になっている」のですね
それ故に、戦後の悲惨な状況の色合いがかなり違っていると言えます
戦勝国の街に公園を作ることと、敗戦国の町に公園を作ることは、同じこ公園でも意味が違います
戦勝国の場合は、疲弊した街に活力をもたらすものですが、必然かと言えばそうではありません
これまでの国の行動は正当化されているわけで、そこで敢えて「これまでになかったものを作る意味」と言うのは希薄になっています
夫人グループがそれでもなお拘っているのは、子どもたちの生育環境を整えたいと言うことと、「勝ったけど戦争に向かう国が正しいとは思わない」と言う考えがあったからだと推測できます
これに対して、敗戦国で公園を作る意味は、「困窮した生活の中に、余白を生み出す」と言う意味が生まれます
「子どもたちには子どもたちの居場所を作る」と言うもので、過去の国の誤った判断は国民全体(とは言っても大人)の選択でもありました
それ故に、戦後の復興に子どもを巻き込むことは、耐え難いものがあると思います
それでも、生きていくためには「子どもであることを捨てさせる」と言うマインドが必要で、それを良しとする人もいれば、それは子どもの責務ではないと感じる人もいると思います
私は戦争を知らない世代で、母親ですら戦後生まれでした
語り継がれる記憶もほとんどなく、その時代の凄まじさと言うものを知りません
幼少期の頃は、NHKの連続ドラマなどでは「戦後」を描くことが多くて、ブラウン管の中にある戦後像というものと一緒に育ってきました
それでも、家庭環境が最悪の部類だったので、同じ時代に生きた同世代とは、困窮の度合いが違いました
「生きる」という意味は戦後とは違うと思いますが、普通の家庭でも「生きる」ということには、それなりの重みがあると思います
そんな中で、自分なりに考えて生きてくると、自然と哲学のようなものは生まれてきます
多くの大人と出会う中で、それぞれが「生きる」ということに何かしらの哲学を持っている
そうしたものの衝突というものは、今では過去の価値観になってしまったようにすら思えてきます
「生きるとは何か」を考える時、生物学的には「子孫を残すこと」になりますが、その血脈と同じように「文化的な遺伝子」というものも残り続けていきます
今では、誰もが自分の考えを残せたり公開できる時代で、多くの価値観の坩堝がネットの世界にはあります
「LIVING」の時代は、自分の価値観を外には出せない時代で、それはそれで楽な時代でもありました
でも、現在では、個人的な哲学がないと生き残れない時代になってきました
個が影響を持ち始めた時代において、それを探求する人々は、自分が言葉にできないものの言語化を求めていて、それが「AIの言葉」に置き換わる時代も近づいています
このような時代は多くのヒントがある一方で、それが体験と結び付かなけば忘却されるだけの一過性のものになります
それでも人は生きていけますが、それでは面白くないと私は思っているので、こうして「一本の映画を観て感じたこと」を自分なりの言葉に変えていきます
このような積み重ねの上で思考を重ねると、より多くの知識と価値観をブラッシュアップできるので、これまでの何気ない過去が意味を帯びてきます
なので、ここまでたいそうなことをしなくてもいいとは思いますが、何かしら映画を観た後に「自分の過去の何を思い出したか」をメモってはいかがでしょうか
もしかしたら、それがいつかの自分を救うことになるかもしれません
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/385138/review/963300de-6d8a-41ca-bfc1-460760c4eccd/
公式HP:
https://ikiru-living-movie.jp/