■時代を風刺する力と時代を読む力には大きな差があるのですね
Contents
■オススメ度
マスメディアの暗躍映画が好きな人(★★★)
当時のパリの雰囲気を味わいたい人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.4.17(アップリンク京都)
■映画情報
原題:Illusions perdues(失われた幻想)、英題:Lost Illusions
情報:2021年、フランス、149分、R15+
ジャンル:田舎からパリに来た青年が上流階級の罠に堕ちていく様子を描いたヒューマンドラマ
監督:グザビエ・ジャノリ
脚本:グザビエ・ジャノリ&ジャック・フィエスキ
原作:オノレ・ド・バルザック/Honoré de Balzac『Illusions perdues(1837年)』
キャスト:
ベンジャミン・ボワザン/Benjamin Voisin(リュシアン・ド・リュバンブレ/リュシアン・シャルドン:アングレームからパリに来る詩人)
バンサン・ラコスト/Vincent Lacoste(エティエンヌ・ルストー:パリの自由派新聞「コルセール=サタン/LeCorsaire-Satan」の編集長、リュシアンを記者に勧誘)
Candice Bouchet(フロリーヌ:舞台女優、コラリーの友人、ルストーの恋人)
Saïd Amadis(マティフィア:フロリーヌのパトロン)
グザビエ・ドラン/Xavier Dolan(ナタン・アナスタツィオ:パリの王党派の小説家)
サロメ・ドゥワルス/Salomé Dewaels(コラリー:パリの成り上がり女優、リュシアンと恋仲になる)
Isabelle de Hertogh(ベレニス:コラリーの母)
Jean-Marie Frin(カミュゾ:コラリーのパトロン)
セシル・ドゥ・フランス/Cécile de France(ルイーズ・ド・バルジュトン:アングレームにてリュシアンと秘密の関係を持つ夫人)
Jean-Paul Muel(バンジュトン:ルーイズの夫)
アンドレ・マルコン/André Marcon(デュ・シャトレ男爵:ルイーズを密かに想う男爵)
ジャンヌ・バリバール/Jeanne Balibar(マーキス・デスパール:リュシアンを田舎者と見抜く侯爵夫人、ルイーズのいとこ)
Edouard Michelon(アンリ・ド・マルセイ伯爵:デスパールの知人)
ルイ=ド・ドゥ・ランクザン/Louis-Do de Lencquesaing(アンドッシュ・フィノ:「コルセール=サタン」の株主)
ジャン=フランソワ・スナプテン/Jean-François Stévenin(サンガリ:パリの舞台を裏で仕切る扇動屋)
ジェラール・ドパルデュー/Gérard Depardieu(ドリア:パリの印刷業界のドン)
Laurence Ferraro(「コルセール」の編集者)
Jérémie Bedrune(「コルセール」の編集者)
Sandrine Molaro(リュシアンの下宿先の大家)
Benoît Tachoires(高級レストラン「Bas Rouge」の支配人)
Julien Sibre(「Bas Rouge」のドアマン)
Morgane de Vargas(「Bas Rouge」のダンサー)
Gaëlle Lebert(フランス料理店「Véfour」の客)
Caroline Gaget(フランス料理店「Véfour」のメイド)
Patrick Pessis(舞台「Bérénice」の監督)
Jean-Paul Bordes(舞台「Réveil」の監督)
Maryne Bertieaux(エーヴ:リュシアンの妹)
Antoine de Giuli(デビッド・セチャード:アングレーム時代のリュシアンの友人)
Pierre Poirot(家系学者)
Armand Eloi(法務省の検査官)
Emilien Gobard(デビュロー:パントマイム・パフォーマー)
Hervé Manzumbu(ミノタウロスの被り物をしている男)
Capucine Daumas(オペラの歌手)
Sébastien Driant(オペラのピアニスト)
Audrey Becker(オペラのダンサー)
Emma Brest(オペラのダンサー)
Aliénor Decaris(オペラのダンサー)
Anna Guillermin(オペラのダンサー)
Aurélie Mignon(オペラのダンサー)
Laurine Ristroph(オペラのダンサー)
Paul Serri(オーケストラのミュージシャン)
Corentin Apparailly(オーケストラのミュージシャン)
Rafaël Cumont Vioque(オーケストラのミュージシャン)
Bertrand Raynaud(オーケストラのミュージシャン)
Dimitri Puyalte(オーケストラのミュージシャン)
Estelle Baldassin(街角の売春婦)
■映画の舞台
1840年代
フランス:パリ
フランス:アングレーム
https://maps.app.goo.gl/sadjMHdYosh8L4E26?g_st=ic
ロケ地:
フランス:パリ
オペラ=コミック座/Opéra Comique
https://goo.gl/maps/REFMtLmFsypsgav37
パレ・ロワイヤル/Jardins du Palais-Royal
https://goo.gl/maps/tBu5p11q9nrpynxz7
デジャゼ劇場/Théâtre Dejazet
https://goo.gl/maps/pcRCJwfaFFgiSji8A
コンピエーニュ城/Château de Compiègne
https://goo.gl/maps/gsmYqUEtCkWax6iE6
印刷博物館/ケ・ド・ラ・フォッセ
https://goo.gl/maps/mg9CMHqAdANJwJbd8
■簡単なあらすじ
1840年代、アングレームに住む詩をこよなく愛する青年リュシアンは、母方の姓リュバンブレを名乗り、アングレームの社交界で名を馳せるルイーズ夫人と秘密の関係を持っていた
ルイーズはリュシアンの才能に惚れ込んでいたが、詩人の才能は一般層には響いていなかった
ある日、ルイーズの夫バルジュトンが2人の仲に気付き、リュシアンの働く印刷所に怒鳴り込んで来た
そこで啖呵を切ったリュシアンはアングレームにいられなくなる
同じ頃、リュシアンとルイーズの関係を終わらせたかったデュ・シャトレ男爵は、彼女にパリでの静養を提案する
だが、ルイーズはそこにリュシアンを連れて来てしまう
デュ・シャトレ男爵は彼を自分の邸宅に入れることを拒み、近くの安宿を手配する
リュシアンはルイーズを引き立たせるために「いとこ」を偽装するものの、デスパール侯爵夫人は一瞬で偽物であることを見抜いてしまう
リュシアンを社交界に入れたくないデスパールはそれとなくルイーズに伝え、2人の関係が広まることで貴族から追放されると警告した
テーマ:階級
裏テーマ:資本主義とジャーナリズム
■ひとこと感想
古典が原作となっている本作は、19世紀中頃のフランス・パリを舞台にして、そこで成り上がろうとする田舎者を描いていきます
当時のパリはフランス各地から一攫千金を狙う輩の魑魅魍魎の世界になっていて、崇高な仕事だと思っていたジャーナリストも、仕事の価値を上げるために駆け引きをする仕手屋のようなものでした
リュシアンとコラリーは無垢で無知な若者が大金を手にした途端に崩壊に走る典型的な人物として描かれ、残酷な結末へと転落していきます
そんな世界で生き残るのがルストーとナタンで、自由派と王党派に分かれながらも、処世術に長けていました
リュシアンの詩は魅力的ですが、それはルイーズに宛てたラブレターなので、その奥行き、すなわちリュシアンの想いを知るルイーズにしか響きません
コラリーも舞台女優として成り上がっていくものの、健康面の不安と、金で成功を買うパリの慣習に押しつぶされていきます
2人が生きるのは辛すぎる世の中で、ある程度裕福になった段階で、アングレームに逃げた方がマシだったように思えました
それでも、一度手に入れたモノを手放すことはできないのですね
なので、転落は予定調和のようにも思えてきます
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
映画は19世紀のパリの雰囲気が味わえる作品で、雑多で何でもありのパリが描かれていきます
売春婦が窓から裸で客引きをしたり、劇場のサクラとか、論戦で炎上商法をしたりとか、本当に何でもありなんですね
今も同じようなことが続いていて、マスコミは生まれた時から商業主義に塗れていたことがわかります
資本主義の導入以降、全ては株主のために社会が回っていて、金を稼げるなら魂でも何でも売ってしまう
崇高な宗教ですら抗えず、芸術は死後に評価されてこそ純粋なもののように思えて来ます
憧れの街は狂乱に塗れて、人生を堕落させる要素しかない
これは一時期の東京も同じようなものがあったのかなと思わせますね
でも、人が堕落するからこそ、商業というものは発展していくのかもしれません
■時代背景あれこれ
映画の舞台は19世紀、1840年代頃となっています
1839年に菓子戦争があり、1848年に二月革命が起こるのですが、ちょうどその間になります
菓子戦争(Guerra de los pasteles)とは、1838年に起きた「フランスのメキシコへの干渉戦争」のことを指します
ナポレオン3世の時代で、第一次メキシコ干渉戦争とも呼ばれています
フランスにアメリカ合衆国が支援し、メキシコにはイギリスが支援しましたが、結果はフランスの勝利となっています
「菓子戦争」と名付けられたのは、1838年にフランスの菓子職人ルモンテルが出店していたメキシコシティのタクバヤ地区の店舗が「メキシコ軍の士官によって略奪と破壊をされた」と訴えたことに由来します
ルモンテルはフランス王ルイ・フィリップに訴え、救済に動いたフランス政府は60万ペソの賠償金をメキシコ政府に要求します
また、メキシコはフランスからの負債をデフォルトしていました
メキシコ政府は返済が不能と返答したため、ルイはユカタン半島からリオグランデ川までのメキシコの港湾の封鎖を宣言します
これを機に戦争が起こったのですね
最終的にはイギリスの介入によって、60万ペソの支払いをしたためにフランス軍が撤退することになりました
映画は、この戦争の少し後のことになります
その後、1845年から主食のジャガイモが枯れる病気が蔓延し、ヨーロッパ全土に大飢饉が発生しました
民衆による飢饉暴動が起き、ヨーロッパ各地で産業革命が起こります
フランスではジャガイモの値段は4倍に膨れ上がり、小麦の値段も2倍になります
菓子戦争以前の七月革命の結果で誕生していた「オルレアン王政」は「納税額による選挙制度」を維持したまま政権運営をして、選挙権のない労働者や農民層の不満を募らせます
有権資格の納税額は引き下げられましたが、それでもフランスの全人口の0.5%しか有権者は増えませんでした
1848年2月21日、『ル・ナショナル』は政権批判を目的に、パリのシャンゼリゼ通りで改革宴会の開催を呼びかけます
翌22日、雨にも関わらず、大多数の人が集まって大規模なデモへと発展します
議会へと向かう群衆の群れはセーヌ川を渡って行進を続けますが、その頃議会ではギゾー内閣の批難決議が提案されていました
政府は解散命令を出して、猟騎隊が群衆に攻撃を開始し、その際に2名が犠牲になってしまいました
翌23日、国王ルイ・フィリップはギゾー首相を罷免しつつ、正規軍と国民衛兵の召集をかけていました
国王は保守派のルイ・マシュー・モレーを後任に抜擢し、それによってデモはさらに続きます
そして、24日には武装蜂起へと突入、時間を稼ぐ策が講じられるものの、国王はロンドンに亡命し、王政が崩壊に至ります
これがパリの二月革命(1917年のものとは違います)と呼ばれるものですね
その後、王政へと復活はならず、共和政に向けた動きが加速します
1848年に臨時政府が組織され、2月25日に「第二共和政」が誕生することになりました
映画は菓子戦争から二月革命(1848年のフランス革命)に至るまでの数年間の「比較的穏やかな時期」を描いていて、政府や貴族を揶揄する新聞などが跋扈できた時代でした
リュシアンがアングレームに帰った頃から貴族制の没落カウントダウンに突入しています
その時代にリュシアンが作家として生き残っていたら何を紡いだのかは気になりますね
恋文のような甘い世界は誰にも見向きもされなかったのか、それとも不条理の世の中の精神的な退避場所になり得たのか
それは神のみぞ知る世界線なのかもしれません
■芸術の評価について
リュシアンの時代では純文学は金にならないために出版にこぎつけるのは至難の技でした
アングレーム時代に印刷所で働いていたために、自作本を作ることはできましたが、これが世界に残る唯一の本ということになります(その後、無理やり出版したけど流通したかとか、内容がそのままなのかは微妙ですね)
彼は汚い仕事をする一方で、ドリアと交渉しますが、「売れないものは作らない」という方針のもと印刷はされません
最終的にナタンの酷評記事と引き換えに印刷を交渉するという事態になっていて、それは「評価を得て出版された」というものではありません
生きている間に評価されない作家はいますが、その段階でも「出版側を動かすもの」があって、それが時代とそぐわずに売れなかったということの方が多いでしょう
この場合は、いち読者としての編集者の心を動かせたわけで、今回のリュシアンの場合とは異なります
企業が出版にまで至るというのは、決定権のある人間を動かせるだけの熱量を持った担当者がいるわけで、それを動かせない状況では死後に評価されるということもないでしょう
映画では辛辣な言葉として、「内容よりも名前だ」というものがあって、現実世界でも「どんなに優れた純文学よりも、死刑囚が書いた落書き」が「売れる」ということがあります
それほど、「誰が書いたか」は重要で、「この人の話を読みたい」と思わせる背景というものが必要になります
でも、この場合は「死刑囚の経緯を知りたい」というもので、「死刑囚が書くお花畑的な恋愛小説」が出版されるわけではありません
あくまでも「読者の興味に応える」という前提があって、それに応えられる内容やジャンルでないと意味はありません
リュシアンも「悪名高い記者」という称号を得ますが、彼の中にある「詩に対する純粋性」などは誰も求めていません
彼が書籍を出せるとしたら、「面白い記事の書き方」とか、「記事をまとめるための7つのステップ」のようなハウツー本か、これまでのゴシップの裏話的なものになります
そう言った意味において、リュシアンのあの本が評価されるとしたら、「ルイーズの方が醜聞あるいは絶賛の対象になって、彼女の死後に見つかった唯一の本」というレッテルが必要になります
これもゴシップに近いもので、「没落した貴族と悪名高い記者との知られざる恋」に近いもので、純粋に「詩」が評価されて出版されるというものではないと言えるでしょう
芸術というのは、出版して見ないとわからない部分がある一方で、自分以外の「第三者の心」を動かせて、初めて評価のスタートラインに立てると思います
今回の場合は、リュシアンがガスパール夫人に認められて、彼女がその詩を評価すれば事態は変わったかもしれません
でも、ガスパール夫人は家柄を重視するだけではなく、リュシアン自身が「貴族の名に相応しい」という行動を伴えなかったため、最初からその方向には向かいませんでした
彼女のこだわりは「貴族としての高貴な魂と行動と血筋」なので、貴族の女が薬職人と結婚したという経緯がある以上、リュシアンが父方の姓に対する真摯な態度を保ち続ける必要がありました
単に貴族の名前を使いたいという意味での母方の姓の利用というのは、ガスパール夫人が最も忌み嫌う行動であったように思えました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
貴族は父系だけが繋ぐものではなく、ガスパール夫人が提唱するように「ルイーズの養子に入る」ということをすれば可能だったでしょう
この場合、ルイーズとリュシアンの関係はさらに秘匿のものになり、それを永遠に変えることはできません
2人の恋愛には多くの障壁があって、「格差、年齢、不倫」という当時の文化では許容し難い「貴族の名を汚す行為」が満載になっていました
愛人関係ならまだしも、この関係性に純文学の要素は微塵もなく、詩の評価が得られることはあり得ません
むしろ「ルイーズの逢瀬の暴露本」とか、創作としての「高貴な夫人のあらわな姿」のような彼女を傷つける前提の作品の方が読者の興味をそそります
でも、リュシアンには彼女を傷つけるくらいなら自分が死ぬというマインドに寄ってしまうので、そのようなものは書けなかったと思います
映画では貴族の力が衰え始めていて、ちょうどリュシアンがパリに来た頃の「モノローグ説明」にて、「リュシアンがフランスで起こっていることに無知である」というニュアンスの一文がありました
このモノローグはナタンによるもので、彼はフランスの行末というものに気づいていて、時代の流れが変わることを予感していたように思います
この作品は「ナタンの回想録」なので、激動の二月革命以降に生き残った彼が昔を思い出しながら書いたものに思えるのですね
なので、あの一文には「リュシアンに時代を理解する力があれば」という勿体無さが滲み出ていたように思います
記者として名を馳せて、多くの富豪や政府関係者と会って、それらをネタにした記事を書きながら、「最後まで時代性に疎い」という欠点があり、それは「浪費癖」という計画性のなさで表されていました
一見すると典型的な成り上がりの所作ですが、貴族になる人の強かさとは真逆のものなのですね
このあたりもリュシアンの文筆力と影響力が厚底ブーツになっていましたが、誰もが放っておいても転落することを予見していたと思います
映画のタイトルは「失われた幻想」という意味になる言葉ですが、邦題の「幻滅」はダブルミーニングを示唆したものになっていますね
リュシアンのパリおよび出版界に対する幻滅とも読めますし、前述のように時代を読めずに転落したリュシアンに対する幻滅というふうにも捉えられます
映画の形式はナタンの回想録なので、意味は後者になりますが、その回想録の主人公であるリュシアンは前者の意味で捉えていると言えるでしょう
この主観と客観性の相違というものは映画のテーマとしてあるので、それゆえに「二つ名には深い意味がある」と言えるのかもしれません
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/385612/review/c514ce76-0c55-4c0d-8b18-9dab720c3b39/
公式HP:
https://www.hark3.com/genmetsu/