■ネタバレなしの方が映画の意味を堪能できるので、鑑賞後に意味わからんかった人だけ読んでくださいまし
Contents
■オススメ度
前後半でジャンルが変わる映画に興味がある人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.4.20(アップリンク京都)
■映画情報
原題:Nr.10、英題:No.1
情報:2021年、オランダ&ベルギー、101分、G
ジャンル:幼少期に母と別れた男がある人物の囁きによって自分の出自に興味を持つ物語
監督&脚本:アレックス・ファン・バーメンダルム
キャスト:
トム・デュイスペレール/Tom Dewispelaere(ギュンター・ヴィーラント:ドイツの森で発見された男、舞台俳優、主人公オラフ役)
フリーダ・バーンハード/Frieda Barnhard(リジー:ギュンターの娘)
ハンス・ケスティング/Hans Kesting(カール:舞台の演出家)
アニエック・フェイファー/Anniek Pheifer(イサベル:カールの妻、舞台女優、カテリーナ役)
ピエール・ボクマ/Pierre Bokma(マリウス・ヴィーラント:舞台俳優、オラフの父役)
Liz Snoyink(エルサ:舞台女優、オラフの母シラ役)
Alexander ElMecky(パウル:舞台俳優)
Kim Karssen(マリー=ルイーズ:カールの助手)
Jan Bijvoet(ビコ:舞台の小道具係)
ダーク・ベーリング/Dirk Böhling(ヴァシンスキー:ギュンターの行方を追う司祭)
マンデラ・ウィーウィー/Mandela Wee Wee(イノセンス:ヴァシンスキーの司祭総代理)
ジーン・ベルボーツ/Gene Bervoets(ライヒュンバッハ:ギュンターを監視する男)
Stijn Van Opstal(ブレスラウアー:ギュンターに不思議な言葉をかける男)
リチャード・ゴンラーグ/Richard Gonlag(ペルツィヒ:船長)
Tobias Nierop(ジョン:リジーの恋人)
Harriet Stroet(レナーテ・ヴィーラント:マリウスの病弱な妻)
Bert Geurkink(案内人、プロンプター)
Aat Ceelen(キュスター:教会の案内人)
Marieke Dilles(ギュンターの母)
Harpert Michielsen(ホテルの受付)
Vic de Wachter(フリッツ:旅立ちを祝う司祭)
Sem Klarenbeek(若い司祭)
Egbert Jan Weeber(若い司祭)
Geert de Jong(フィッチャー:船の乗員)
Meike Derksen(舞台の観客)
■映画の舞台
ドイツ&オランダのどこか
ロケ地:
不明
■簡単なあらすじ
舞台俳優のギュンターは、演出家カールの劇の主役を任されているが、彼の妻イサベルと不倫関係にあった
舞台には、妻の看病でセリフを覚える時間がないマリウスたちも参加していたが、一向に練習は進まなかった
ある日、マリウスはギュンターの挙動を不審に思って、彼の視線を辿ると、そこにはイサベルの姿があった
マリウスは二人が恋人関係であることを感じ取り、それをカールに告げた
カールはその日から、ギュンターとマリウスの役柄を入れ替えるなどの嫌がらせを行い、告げ口されたことを恨んだギュンターはマリウスに反撃してしまった
一方その頃、教会の司祭ヴァシンスキーは仲介者を通じてギュンターの監視を行なっていた
彼は時を待ち、ギュンターがマリウスに反撃したのを機に「ある計画」のGOサインを出すことになったのである
テーマ:ルーツと幻想
裏テーマ:人類に必要なもの
■ひとこと感想
ネタバレすると面白さ半減という映画ですが、この映画を面白いと評する人はなかなかの変わり者のように思います
映画は、劇中劇の稽古シーンを延々と写し、ギュンターがどんな人物かを描いていきます
彼には娘がいますが、妻はおらず、その経緯に関してはまったくふれられませ
ギュンターは橋の上で謎の男から謎の言葉を聞かされるのですが、それは聞き覚えのある言葉で「母国の言葉だ」と言われてしまいます
そして、彼は4歳の時にドイツの森で見つかり、その後、養父母に育てられたという過去が明示されていきます
感想をネタバレなしで書くのは結構難しいタイプの作品で、ジャンル指定でネタバレしてしまう要因があります
それでもあえて確信的なところを隠しつつ感想を言うとなれば「純粋な人間には不要なものが世界にはたくさんある」と言うことになるのかな、と感じました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
映画は、舞台稽古をしている様子が延々と描かれ、そこでの人間関係のほつれなどが露出していきます
ギュンターは演出家カールの妻と不倫関係になっていて、劇でも恋人同士と言う役柄になっていました
それが不倫発覚後に配置転換する小物っぷりを発揮していて、これからどうなるのかなと思っていたら、まさかの展開になっていきました
前半でも娘には肺が一つしかないとか、幼少期の夢を見るなどの伏線があって、ある程度匂わせていますが、あの展開を想像するのは無理だと思います
ラストのオチは聖職者たちが宇宙の藻屑となりますが、ある意味爽快でしたね
宗教のない星で騙したるで感が満載だったので、宇宙人グッジョブと思いました
映画が何を描いているかを考えるのは非常に難しいのですが、あえて言うなら「生物に必要なものは何か」と言う問いかけなのでしょう
映画では、ルナボー星の繁栄のために送り込まれた子どもを回収し、人間と交配してできた新人類を連れて帰ると言う流れになっていました
その協力者が聖職者たちなのですが、目的が果たされると不要とばかりに捨てられるのですね
宗教のない星のようですが、実際のところはわからないし、ギュンターの母親も偽物なので、種族繁栄のためには手段を選ばないのが本能と言う感じなのかな、と思いました
■タイトルの意味
映画のタイトルは『Nr.10』で、英語だと『No.10』の意味になります
どうやら監督の10作目の作品ということで、それ以上に意味があるのかはなんとも言えません
映画には「宗教」が絡んでいるのですが、キリスト教で「10」となると、モーセの十戒が有名だと思います
旧約聖書における「出エジプト記 20章2節〜17節」「申命記 5章6節〜21節」に記されている文言で、イスラエルの民が「神の民」として「神の十戒」を守って生きることで、民は真の幸福に導かれる、というものになっています
実際に関連があるかはわかりませんが、物語内の司教たちは「惑星ルナボー」への布教活動を考えていたこと、それらを否定するのがギュンターという役回りだったことを考えると、あながちズレてはいないのかな、と思いました
映画に登場するのは「司教」なので、彼らが布教しようとしてるのは「カトリック」でした
彼らが持ち込んだのがカラヴァッジオの『聖トマスの不信(Incredulità di San Tommaso)』という宗教画で、聖トマスが「キリストの復活を疑ったシーン」であるとされています
絵の中では、イエスが聖トマスの手を取り、自分の手の傷口に導き、それに対して聖トマスが驚いた様子を見せています
この絵に「後光」がないのは、復活したキリストの肉体性を表していると言われています
映画では、イノセンスとの告解にてギュンターが「イエス・キリストは白人の作り話だ」と言うのですが、彼は惑星ルナボーの住人であり、ブレスラウアーから「カマヒ(意味不明も母国語)」と言われたことで、彼が出自に目覚め始めている、と言う感じになっていました
そして、司教ヴァシンスキーたちを宗教画もろとも宇宙に放り出すと言う結末になっているので、あからさまな宗教批判のように見えてしまいます
映画に関しては、何も情報がない状態での鑑賞をオススメしますが、かと言って「キリスト教に無縁の日本人」が理解できるかは何とも言えないところがあります
この知識がない状態で理解できるとは思えないので、この記事が理解への取っ掛かりになれば良いかな、と思いました
■結局、何が言いたかったのか
本作は、色んな解釈ができる作品ですが、事前情報を何も入れないで鑑賞してくださいと言う注釈付きがある作品で、SNSなどでのネタバレの流布は避けてくださいと言われています
その理由の一つとして、「ある日、映画館に行って、目的の映画が見られずに、代わりに別の映画を観た」と言う監督のエピソードがあり、その時に「何も知らないこと」に対する価値というものを感じた言います
その体験があり、何も知らない状態で映画を鑑賞し、その時点の自分の持っている知識やこれまでの経験によって、新たな発見があるのかもしれないという意図があります
また、映画の後半部分に関しての情報はない方が良くて、そこで起こるサプライズによって、自分の中でどのような感情が生まれるのかを観察することができます
とは言え、鑑賞した人が「他の人がどう思ったのか」というのは気になるところだと思うので、SNSなどでは何も語りませんが、ブログ内ではガッツリと書くというスタンスを取っています
個人的な感覚だと、鑑賞直後は「宗教批判映画かな」と思い、それは観たまんまの感想ということになります
激おこ案件だなあと思いつつ、なぜこのような結末に至ったのかを考えることになりました
先のモーセの十戒や宗教画に関しては「少しだけ知っている」という感じだったので、その事前知識がどこまで寄与しているのかは何とも言えないところがあります
映画では、モーセの十戒でも示される「隣人の妻を欲してならない」に抵触しているギュンターがいて、彼は自分の行為をバラされた腹いせにマリウスに危害を加えることになりました
彼の行動は宗教に対して批判的な立場で、それが明確になるのがあのシーンで、さらに「黒幕たちの計画のスタートの合図」になっていました
禁忌とされるものを破り、それに対して開き直りを見せたことで、ギュンターは案内人によって教会に来ることになりました
そこには、宗教家たちの思惑があって、カラヴァッジオの宗教画を持って、船に乗り込んでいたことがわかります
これらの一連の地球人の行動をラストでチリにするのが黒幕たちの思惑で、彼らが必要としていたのが「他人種との交配によって生まれたハイブリッド」ということになります
そして、ハイブリッドであるリジーを連れてくるためにギュンターを利用し、過去の記憶の捏造をして、誘導することに成功しています
ギュンターの母とされる女性は、船のある部屋で撮られた嘘であり、それにリジーが気づいているというシーンがありました
ギュンターは元々、彼らの仲間であり、その記憶を消失した状態なのですが、今後それを取り戻すことになると考えられます
その時に、彼の人間として生きた時に培われた良心というものが再燃するのかはわかりません
放出の後の話は想像にお任せしますということになっていますが、映画のラストは「惑星ルナボーには不要なゴミを捨てた」ということになるのでしょう
それを考えると、人類にとって必要と思われているものは、実は害悪でしかないと考えている存在もいるし、一縷の興味も持たない概念を持つ生命体がいるという仮定を描いているようにも思えました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は急激なジャンルチェンジになる映画ですが、そもそも映画をジャンルで分けるのもナンセンスな時代になってきたと思います
わかりやすいジャンル分けだと「アクション」「ミステリー」などがありますが、かつて脚本を勉強した時に読んだ『10のストーリー・タイプから学ぶ脚本術 SAVE THE CATの法則(ブレイク・スナイダー:著)』では、映画のジャンルを「物語の構成と設定」にて分けていました
その影響があるので、このブログでもジャンルを説明するときに「閉鎖空間パニック」みたいな文言を使用しますが、『10のストーリー・タイプ』では「家の中のモンスター」という感じに表現されています
シナリオを勉強する人には役立つと思うので、気になる人はポチってみてはいかがでしょうか
本作は、普通のジャンル分けだと「前半:ニューマンドラマ、後半:不条理スリラー」のような感じになっています
でも、全体を通して見ると、「記憶をなくした男が、ある陰謀の中で、それを取り戻す」という物語になっていて、彼は「組織の一員としての役割を知らぬうちに全うする」というものになっています
全て「何者かの手のひらの上で踊らされていた」ということになっていて、自分の意思を無くした男が回復なしに置き去りにされているようにも見えます
彼自身の目線だと、訳のわからない場所に呼び出されて、宗教家の意味のわからない説教を聞いて、そしていきなり拉致されるというものになっていました
ある程度の先行きの見えない恐怖があることにはありますが、実際には生まれ故郷に帰るというものになっていて、「役割を終えたので保護される」ようにも見えてきます
惑星ルナボーの住民の視点で見れば、ギュンターは惑星の命運をかけたミッションに参加し、成功させた英雄のようなものですが、彼自身にその自覚が戻るのかはわかりません
母星に着いたことで、完全に記憶が戻り、それによって自我を取り戻せば彼の旅は終わるのですが、彼自身は物心つく前に地球に置き去りにされているので、ルナボー人としてのアイデンティティは皆無だと思うのですね
なので、彼が母星に行ったとしても、何も思い出さない中で、賞賛を浴びるということになってしまうでしょう
地球人としてのアイデンティティしか持たない彼がその星で生きていけるのかはわかりませんが、高度文明で英雄でもあるので、なんとでもなるのかもしれません
映画は、難しいところは一切ありませんが、捉え所のない映画のように思えます
ちなみに「モーセの十戒」の「10番目」って、「隣人の財産を欲してはならない」とあります
この財産が宗教だとするならば、ルナボー人は地球人からそれを受け取ることを拒否しているようにも思えますね
彼らの概念に十戒があるとは思えませんが、カラヴァッジオを持ち出した司教たちは「キリスト教徒の財産を盗んだ」ようにも見えるので、神の鉄槌が降ったと解釈することも可能なのかな、と思いました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/101126/review/03726278/
公式HP: