■喪失を抱えたまま施される、神の癒しとは何か
Contents
■オススメ度
ニコラス・ケイジの怪演を堪能したい人(★★★)
美味しそうなトリュフ料理を見たい人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2022.10.18(アップリンク京都)
■映画情報
原題:Pig
情報:2021年、アメリカ、91分、G
ジャンル:トリュフハンターが奪われた豚を探しに出るロードムービー
監督&脚本:マイケル・サルノスキ
キャスト:
ニコラス・ケイジ/Nicolas Cage(ロブ/ロビン・フェルド:トリュフハンター、元シェフ)
Brandy(The Pig:ロブの愛豚)
アレックス・ウルフ/Alex Wolff(アミール:高級レストランの経営者、ロブの取引先)
アダム・アーキン/Adam Arkin(ダリウス:アミールの父、レストラン経営者)
Nina Belforte(シャルロッテ:高級レストラン「ユーリティス」のウェイター)
David Knell(デレク・フィンウェイ:高級レストラン「ユーリティス」のオーナーシェフ、ロブの元同僚)
Gretchen Corbett(マック:アミールの友人)
Beth Harper(ドナ:ダイナーのウエイトレス)
Sean Tarijyoto(デイヴ:ダリウスの友人)
Darius Pierce(エドガー:ロブの古い友人、地下格闘場のオーナー)
October Moore(ロブの元同僚のベイカー、パン屋さん)
Dalene Young(ジェゼベル:ロブのワインを管理する礼拝堂の女性)
カサンドラ・バイオレット/Cassandra Violet(ローリー/ローレライ・フェルド:ロブの亡き妻)
Julia Bray(ブリー:ロブの豚を盗むカップル)
Elijah Ungvary(スクラッチ:ロブの豚を盗むカップル)
David Shaugnessy(アミールが聞くオーディオブックのナレーションの声)
■映画の舞台
アメリカ:オレゴン州
ポートランド
https://goo.gl/maps/FoRiSP5XDojfxZ937
ロケ地:
アメリカ・オレゴン州
ポートランド
■簡単なあらすじ
オレゴン州の山奥でトリュフハンターをしているロブことロビン・フェルドは、かつてポートランドで名を知らぬ者がいないほどの有名シェフだった
ある日、トリュフを探すために飼っている豚が何者かに盗まれ、ロブ自身も大怪我を負ってしまう
ロブは愛豚を探すために、取引業者のアミールに声を掛けてポートランドへ向かうことになった
ロブたちは色んな場所に出向き情報を集めると、高級レストランのオーナーが関与していることがわかってくる
そこでロブはレストランに入るための資金調達として地下格闘場に出向き、そこを管理する友人のエドガーから情報を聞き出す
そして、かつての同僚がシェフを務めている高級レストランに向かうことになったのである
テーマ:愛の幻影
裏テーマ:リスタート
■ひとこと感想
ニコラス・ケイジさんの演技が凄いと話題の本作は、隠れた名作なんじゃないかなと言う哀愁と狂気に満ちた作品になっていました
冒頭で豚を一緒にトリュフを探しているロブの世捨て人っぽさとか、妻の声が入ったテープを聞くくだりとか、役にハマりきっていると思います
出てくる料理も美味しそうなものばかりで、ポートランドを支配しているダリウスに怯えるシェフとか、高級レストランに浮浪者が来て困惑するウェイトレスとか、色んなところで怪演がありました
映画のテーマとしては「再生」を描いていて、ロブが過去の悲劇から立ち直っていく様を描いていきます
そこで、ダリウスの過去を掘り返すというところが狂気じみていましたね
ミニシアターでひっそりと上映している作品ですが、見応えはあると思います
でも、ちょっと単調なシーンも多いので、寝不足だと落ちてしまうかもしれません
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
妻を亡くした男の再生の物語で、憎き敵も同じ傷を背負っていることがわかります
ロブとダリウスは同じ傷を背負いながら、一方は事業を拡大させ、もう一方は世捨て人になっていると言う違いを生んでいます
根底にある悲哀が同じものだからこそ、相手の弱いところをきっちりと突ける怖さがあるとも言えますね
個人的にトリュフを食べたことがないのですが、この映画を見ると食べたくなります
トリュフを捌く姿とか、給仕の仕草とかもナチュラルで、役者ニコラス・ケイジの本領がいかんなく発揮されていました
ラストでは、ダリウスの急所を突いたことで真相がわかるのですが、崩れ落ちる仕草だけで悲哀を感じさせる体の使い方とかは痺れてしまいます
表情以上に、体の動きすべてでロブを体現しているのは見事としか言えません
エンドロールでは「後半から自然音になる演出」になっていて、「森を歩くロブの足音」と「おそらくは新しい豚の鳴き声」のようなものが聞こえてきて、少しだけ希望が持てる内容になっていたのは良かったと思います
■豚は「彼女」だった?
本編では「She」と呼ばれていて、「彼女」と訳されていましたね
ロブが豚を「She」と呼ぶのは、豚をパートナーのように考えていたからでしょう
でも、なぜか豚には名前をつけていなくて、愛着があるのかないのかはよくわかりません
ロブが豚を「She」と呼んだのは、感情が激昂していた場面で、それ以外の冷静な時は「豚」というふうに呼んでいたので、おそらくは「豚を人格とみなすとおかしいと思われる」という自意識はあったのでしょう
でも、根底には人格を感じているので、感情の発露によって、それが表面化したのだと思います
「He」ではなく「She」なのは、豚がメスだったのでしょうか
あるいは、豚は「She」と表するのが通例なのでしょうか
その辺りはわからないのですが、物語的にはメスで「She」なのかなと勝手に思っています
映画におけるロブの豚は仕事上のパートナーで、その一線は超えてはいないと思います
でも、心のどこかではパートナー以上の絆を感じているのでしょう
彼女には他の豚とは違う能力があるようでしたが、ロブは豚がいなくても「木を見ればわかる」と言っていたので、おそらく代用は可能なはずなのですね
それなのに彼女に固執するのは、それなりの理由があって、それは口外できない感情だったのではないかと感じてしまいます
■喪失の意味
本作はロブが豚を失い、それを取り戻そうとする旅が描かれています
旅と言っても、住んでいた街に戻るという感じで、かつて自分が栄華をを極めていた場所に足を運ぶという構図になっています
アミールはロブがどんな人物かを知らず、それは観客の目線の代弁となっていて、「変な奴」が実はすごい奴だとわかっていく過程を楽しむ内容になっています
いわゆる「普通のおっさんが」のアクションのないパターンと言えますね
ロブは妻を亡くして、今度は愛豚をも失ってしまいます
ダリウスがどうしてロブから豚を奪ったのかはよくわかりませんでしたが、単に息子の邪魔をしたかったのか、ロブを立ち直らせたかったのかは判断の分かれるところでしょう
彼は愛豚を殺すつもりはなく、おそらくは愛豚を辿って自分の元に来ることを想像していたと思います
なので、もしかしたら、アミールのトリュフ調達係などしないで、自分の系列の店での復帰を考えていたのかもしれません
ダリウスもロブと同じように妻の喪失に喘いでいます
妻はまだ病床に臥している段階ですが、以前のような愛は交わせない状態になっていました
彼はロブの抱える喪失について、少しだけ理解しつつあって、ダリウスは逃避ではなく、仕事への没頭でそれを緩和しようとしていました
でも、ロブの復讐によってダリウスは愛に満ちた日々を思い出してしまいます
意図せぬ愛豚の死によって、ダリウスは過去をえぐられることになっていて、それはロブが真の料理人だからできたことだと言えます
それでも、ロブはその復讐によって心が安らぐわけでもなく、結局は自分の足で新しい一歩を歩むことでしか、妻の死を乗り越えられないことを悟ったのでしょう
そして、エンドロールの後半で提示されるように、ロブと新しい豚の人生が始まり、それはもしかしたら、アミールに卸すためではないのかもしれません
このあたりは想像の範疇を越えませんが、映画はロブの再生を描いているので、アミールの調達係に戻るのでは意味がないように思えました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画は様々な知り合いを通じてロブという人物を映していくのですが、特に異様だったのは地下格闘技場の顛末でした
時間制限で殴られるのに耐えたらお金をもらえる、みたいな感じだと思いますが、唐突に肉体奉仕のシーンがあって、何を見せられているんだろうと思っていました
単純に考えると、ロブは自分自身を痛めつけることで生を感じている節があって、身体の痛みで心の痛みを中和しているようにも思えます
実際にそれで心の痛みが和らぐわけではなく、その瞬間は忘れられるという感じになるのだと思います
人は心の痛みをどう癒すかという難題に立ち向かわざるを得ない生き物で、それは愛する人の喪失というのが遅かれ早かれやってきます
両親、祖父母、不幸な場合には子どもの場合にありますし、親しい友人ということもあります
ロブの場合は最愛の妻で、その喪失はそれまでの名誉をすべて捨てるのに値するものでした
彼が隠居を決めたのは、ロブの料理人生そのものは妻との時間を共有するためのものなので、妻も料理人もしくは一緒に店を手伝っていたスタッフであったと考えられます
人の悲しみは時が癒すと言いますが、それは喪失を美化された思い出が覆い尽くしていくからだと考えています
憎き相手なら悪いことばかり思い出し、愛する相手なら愛に満ちた日々を想起します
喪失当初は喪失に至った経緯に執着しますが、その反芻の最中で、精神がバランスを取ろうとして、喪失を打ち消すための記憶というものが想起されていきます
人の悲しみがどれぐらいの期間で癒されるかは個人次第だと思いますが、何かに打ち込んで忘れようとすると、悲しみに浸る時間というのは相対的に長くなっていくように思えます
私個人も妻の喪失を忘れるように仕事に邁進していましたが、ふと何かあるごとに過去に戻されてしまっていました
それが解消されたのは、妻の喪失がなぜ起こったのかを自分本位で考えることでした
妻本人が早逝になったのには彼女なりの理由があると思いますが、それは他人にはわからないものです
なので、それを考えるよりは、なぜこのタイミングで自分の前から去ることになったのかを考える
そうすることによって、自己解釈で自己満足な結論というものが得られます
取り戻せない喪失というものは、どこかで区切りをつけるしかなく、その過程において誰かを傷つけることもあると思います
起こってしまった過去を変えることはできず、その過去にどんな意味を持たせるかは自分次第なのですね
こう言った場合に「(死んだ人は)いつまでも落ち込んでいることを望まないだろう」という声をかけることもあるでしょう
そんな言葉に自分が反発する時、多くの場合は「喪失が薄まることへの罪悪感」というものを感じていると思います
「忘却」を恐れ、それがあたかも愛がないように受け止めてしまうのですね
でも、実際には死者が何かを思うということはなくて、すべて残された人の感情によるものでしょう
なので、過去を美化しようが、罪悪感に苛まれようが、来るべき現実の中で共生していくしかないと言えるのではないでしょうか
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/382715/review/21515135-30b8-4b39-a15a-6ce2f1d1ea66/
公式HP: