■ホコリの中に見えた光すらも、超常現象に見えてしまうかもしれません


■オススメ度

 

モキュメンタリー形式の映画に興味がある人(★★★)

超常現象などに興味がある人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2023.11.30(アップリンク京都)


■映画情報

 

原題:Something in the Dirt(劇中のセリフでは「光の中にあるもの」)

情報:2022年、アメリカ、116分、G

ジャンル:古アパートで謎の現象を見た住人が超常現象のドキュメンタリを作ろうとする様子を描いたモキュメンタリー映画

 

監督:アーロン・ムーアヘッド&ジャスティン・ベンソン

脚本:ジャスティン・ベンソン

 

キャスト:

アーロン・ムーアヘッド/Aaron Moorhead(ジョン・ダニエルズ:超常現象に魅入られる数学教師)

ジャスティン・ベンソン/Justin Benson(リーヴァイ/レヴィ・ダニューブ:ジョンの新しい隣人、元漁師、バーの店員)

 

Sarah Adina Smith(リタ・ミラー:化学の博士)

Wanjiru M. Njendu(リーヴァイの保護観察官)

Issa Lopez(イザベル:ドキュメンタリーのインタビュアー役)

Vinny Curran(ヴィンセント・ダニエルズ:ジョンの祖母)

Jeremy Harlin(ロバート・ローズ:地質コンサルタント)

Gille Klabin(ボアズ・カミンスキー:グレンデール社会奉仕協会の男)

C. Robert Cargill(ボアズにインタビューするラジオ番組のホスト)

 

Liam Gavin(フラテル・ペルドュアド:テープの声?)

Ariel Vida(ジョンの先生、数学教師)

 

Megan Rosati(クリスタル・ダニューブ:リーヴァイの妹)

David Lawson Jr.(携帯電話の男)

Lonnie Finley(ロニー:ジョンの元夫)

 

Michael Felker(マイケル・フェニカー:映像編集者)

Stefania Cella(ステファニア・レラーニ:追加編集者)

Rob Fee(ロバートF:VFXアーティスト)

 


■映画の舞台

 

アメリカ:ロサンゼルス

 

ロケ地:

アメリカ:ロサンゼルス

 


■簡単なあらすじ

 

ロサンゼルスのある一室に転がり込んだリーヴァイは、そこに10年住んでいるジョンと交流をすることになった

その日、ジョンはリーヴァイが灰皿に使っていたクリスタルが浮上するのを目撃してしまう

また別の日には、2人一緒にいる時にクリスタルが浮上し、2人はそれをネタにドキュメンタリーを作ることになった

 

ジョンは数学教師として、幾何学などの知識を駆使して謎を解こうとするものの、リーヴァイには何が何だかわからない

飛躍した陰謀論に突き進むジョンは危なかしいものの、リーヴァイもこの件で生活を変えたいと考えていた

 

その後、2人は本格的な道具を用意し、クリスタルの撮影に成功するものの、その原理を解こうと躍起になっていく

だが、2人の温度差は広がる一方で、さらにジョンはリーヴァイの過去について知ってしまうのである

 

テーマ:陰謀論の先にある興奮

裏テーマ:超常現象がもたらす幻覚

 


■ひとこと感想

 

部屋の中でクリスタルが突然浮上し、という内容で、映像的にはチープな事件ファイルもののように思えてきます

磁性の幾何学とか、エルサレム症候群とか、様々なものを引き寄せつつ、もっともらしい結論を導こうとしていました

 

映画は、ドキュメンタリーを作る様子を描き、構造的にはモキュメンタリーというカテゴリーに入ると思います

基本的に2人の会話劇になっていて、それを退屈と思うか、興味深いと思うかは人それぞれのような感じになっていました

 

個人的には、聞いたことのあるような言葉の羅列で最もらしい結論に導こうとするところは面白かったですが、いかんせん映画としては退屈極まりない感じに思えました

子守唄のようなドキュメンタリー用の音声なども相まって、全く進む気配のない物語を楽しめるのはごくわずかであるように思えます

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

映画は、超常現象をカメラに収めて、それを配信会社に売ろうと考える2人の奮闘を描きますが、今時このようなものが売れるのかはわかりません

街の構造が幾何学を元に作られているとか、謎のマークに固執したりと、陰謀論に染まっていくと「すべてが導きのように見える」という感じになっていますね

 

この世の全てのものの理が見えたような気になっていますが、途中からは妄想が入り乱れているようにも見えてきます

お互いが自説を語るシーンで格好をつけていくのはコミカルで、難しいことを言おうと必死になっていました

 

映画は、思想が違う2人が口論になってという展開を迎え、超常現象そのものはそっちのけになっていくのは微妙でしたね

考察好きならワードを拾っていくことで楽しめそうではありますが、これだけややこしい映画なのにパンフレットがないのは勿体無いと思いました

 


モキュメンタリーの面白さ

 

本作は、ドキュメンタリー映画を作るドキュメンタリーということで、このような手法を「モキュメンタリー」と言います

このモキュメンタリー(mockumentary)とは「まがいもの(Mock)と「実録(Documentary)」と合わせた造語で、「事実であるかのように表現されたフィクション」ということになります

映画では、嘘のドキュメンタリーを作っている過程を描いていて、そのドキュメンタリーの内容が虚偽がどうかは問わない感じになっています

 

超常現象を目撃したジョンとリーヴァイがドキュメンタリーを作ろうと考え、素人なりに映像を紡いでいくのですが、この作品全体がモキュメンタリーになっているので、随所で「ドキュメンタリー制作に関わった人たちのインタビュー」というものが挿入されていました

科学者のリタ・ミラー博士に始まり、地質コンサルタントのロバート・ローズ、グレンデール社会奉仕協会のボアズ・カシンスキーという、実際にいそうでいない人というものをチョイスしていました

この嘘っぽさを面白がられるかというところがポイントで、実際のドキュメンタリーだと「幾何学専門の教授」「地質学者」などのような表示になり、「社会奉仕協会」のような何の組織かわからない団体が出てくることはありません

あるとしたら、「NPO法人」とか「専門誌編集長」みたいなものが登場するのだと思います

 

後半では、ドキュメンタリー制作側の人間がインタビューに応じていて、「映像編集者」「追加編集者」と来て、「VFXアーティスト」が登場します

いわゆる「作品内の未確認物体はフェイク」と言っているようなもので、映画内でドキュメンタリーを揶揄しているシーンになっていました

「止めたんですけどね」的な空気感になっていますが、それを込みで作り上げているおかしさというものに気づけるかどうかが鍵になっていると思います

 


陰謀論と視野狭窄について

 

本作の本懐は、陰謀論を信じ始めたジョンの心理過程で、リーヴァイはその目撃者となっています

最初にクリスタルを見たのがジョンで、彼は数学教師という物理的な存在を重視する理論的な人物として描かれています

対象的に、リーヴァイは学のない感覚的な人間で、違法なこともするし、性犯罪者であるという過去もあれば、実は仮釈放中でしたという事実まで飛び出してきます

この対比は、ジョンの説得力を持たせる効果があって、リーヴァイは当て馬のような格好になっていました

 

リーヴァイの視点は「クリスタルを信じない視点」であると同時に、「ジョンののめり込みに引く存在」でもありました

「やべえよ、コイツ」感を間近で感じていて、ある種の思想に傾倒していく人物と距離を取りたがる様子が描かれていきます

ジョンが仕事をしている場面はほとんどなく、リーヴァイはバーで働いたりと地道に更生の道を歩んでいます

そんな渦中で同じアパートの住人が電波系だったらどうするという感じになっていて、でも「目撃者」として否定できないもどかしさというものがありました

 

視点の共有があったにも関わらず距離感がズレていくのは、ジョンの中にある確信を他人に説明できていないからなのですね

様々な推論と理論を引用しますが、学のないリーヴァイには理解できないものばかりです

ある意味、独りよがりになっていて、当初感じていた一体感というものが、ジョンの暴走によって失われていくのがよくわかります

この手の視野狭窄は思想の固定化によって起こり、本作では「ジョンの発見から確信に至るまでのプロセス」というものを綿密に描いていたと感じました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作の総評は絶望的なモノになっていて、それは「受信者のリアル」を再現したために、誰もが「ヤベエから関わりたくない」と「ジョンの発信を拒絶していくこと」になったからだと思います

一生懸命に理解しようとしても、ジョンに見えているものは理論的に見えて抽象的というもので、情報量の割には大したことを言っていないということが暴露されています

街角で同じ模様を見たよ的なものを発見と捉えていますが、そもそものが建築学の歴史であるとか、美術における黄金比率など、古代から受け継がれてきたものが派生しているだけであり、その時代を生きた人の中で有益なものが残っているだけに過ぎません

それを「誰かの意図で行われている」と思い込むのが電波系なのですが、違和感なく生き残ってきたものと言うのは類似するのは当たり前のことだと思います

 

発見の先にある確信と言うのは色んな世界でもあるもので、自分が導き出したと思ったものに固執する傾向があります

わかりやすい例がギャンブルの必勝法のようなもので、ひらめきを絶対だと妄信し、それ以降は「都合の良い情報だけを信じる」と言う流れを汲み、冷静さの真逆の精神世界へと突入していきます

そして、キチンと予想は外れて大損することになって、どうしてあんなに固執したんだろうと反省することになります

様々な情報の中から選ばれる一つの答えというものは冷静さを失わせるのですが、それは「その答えを捨てた時に正解だったらどうする?」と言う心理が働くのですね

 

この心理作用は、結果がどうであれ「一度たどり着いたのに捨てた」と言う自分の選択があり、啓示的なものを否定したと言うことへの罪悪感のようなものが発生しています

これによって、一つの発明に固執することになり、それを肯定するために情報ばかりを収集するようになるのですね

実際には多くの答えに結びつくヒントを浴びていながらも、心理的なシャッターによって、それを排除するようになっていきます

 

こんな時に有効なのは「最終的な判断のために全ての情報の肯定と否定を見つける」と言うもので、これを思考のベースにすることだと思います

何かの事象を見つけた際に「とりあえず肯定と否定を考える」と言う習慣をつけ、できるだけ多くの情報を集めるように努力をします

反証に次ぐ反証、本証に次ぐ本証を行なっていくことで、ある程度の思考の道筋というものが生まれてきます

そうすることによって、最初に立ち戻ることもあればそうでない場合もある

そうした思考のブラッシュアップ自体を楽しむことで、思い込みというものが徐々に減っていくのではないでしょうか

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

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投稿者 Hiroshi_Takata

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