■ボーの畏れが生まれたのは、彼自身の問題だったのだろうか?


■オススメ度

 

アリ・アスター映画が好きな人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2024.2.16(イオンシネマ京都桂川)


■映画情報

 

原題:Beau Is Afraid

情報:2023年、アメリカ、179分、R15+

ジャンル:母の葬式のために戻る息子を描く不条理スリラー

 

監督&脚本アリ・アスター

 

キャスト:

ホアキン・フェニックス/Joaquin Phoenix(ボー・ワッサーマン:怪死した母の元に戻ろうとする息子)

   (10代:Armen Nahapetian

   (少年期:James Cvetkovski

 

パティ・ルポーン/Patti LuPone(モナ・ワッサーマン:怪死するボーの母)

   (若年期:ゾーイ・リスター=ジョーンズ/Zoe Lister-Jones

Stephanie Herrera(マーサ:モナのメイド)

Bill Hader(死体を発見するUPSの男)

 

エイミー・ライアン/Amy Ryan(グレース:ボーを助ける実業家)

ネイサン・レイン/Nathan Lane(ロジャー:グレースの夫、外科医)

カイリー・ロジャース/Kylie Rogers(トニ/ネイサン:グレースとロジャーの娘)

Denis Ménochet(ジーヴス:グレースたちが面倒見ている退役軍人)

Hayley Squires(ペネロペ:トニの友人)

 

パーカー・ポージー/Parker Posey(エレイン・ブレイ/Elaine Bray:ボーの想い人)

   (10代:Julia Antonelli

Anana Rydvald(エレインの母)

 

スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン/Stephen McKinley Henderson(J・フリール医師:ボーのセラピスト)

Richard Kind(コーエン博士:モナの弁護士)

 

【ボーの家付近パート】

Bradley Fisher(オブジェ売りの露天商)

Peter Seaborne(天井にへばりついている男)

Michael Esper(ジョンソン巡査)

Manuel Tadros(雑貨店のレジ係)

Karl Roy(全身タトゥーの男)

Marc-Andre Brisebois(道端で死んでいるジャンキー)

Tyrone Benskin(ガタガタのビジネスマン)

Ernest-James Chuipka(全裸の気狂いの男)

Archie Madekwe(自殺志願者をスマホで撮る青年)

Greg Halpin(目を抉られている男)

Luis Oliva(目を抉っている男)

Charles Hardy(母に怒られる少年)

Marie-Michelle Garon(少年の母)

 

【森の劇団パート】

Julian Richings(ボーに声をかける森の劇団の観客)

Alicia Rosario(リズ:ボーを招く森の劇団の女優)

 

Maev Beaty(森の劇団の天使役の女優、劇団のナレーション)

Patrick Kwok-Choon(森の劇団の男優)

 

Catherine Bérubé(妄想上のボーの妻)

Michael Gandolfini(妄想上のボーの息子)

Théodore Pellerin(妄想上のボーの息子)

Mike Taylor(妄想上のボーの息子)

Luke Alexander James McPhail(妄想上のボーの幼い息子)

Ryan S. Hill(妄想上のボーの幼い息子)

Bentley Hughes(妄想上のボーの幼い息子)

 

Kwasi Songui(森の劇団のてんとう虫男)

Sylvain Landry(森の劇団のマンドリン奏者)

Tristan D. Lalla(森の劇団の衣装係)

Emmanuel Schwartz(森の劇団のコーラス)

Cat Lemieux(森の劇団のコーラス)

Lily Bird(森の劇団の少女)

Arthur Holden(ダンカン:森の劇団、ボーの妻に見える男)

François Paquette(イェセコフ:森の劇団の創始者)

Alex Bisping(森の劇団の主宰者)

Lucas Gosselin(森の劇団の主宰者の息子)

 

【ママの家パート】

Joe Cobden(ブライアン・ギャロウェイ:母の死亡を伝えるテレビの記者)

Harry Standjofski(ケータリングの作業員)

Isabelle Brabant(看護師)

Tarah Schwartz(ニュースアンカー)

Barry Morgan(ニュースアンカー)

David Mamet(モナの葬式のラビ)

John Walsh(ボーを母の家まで乗せる運転手)

Karim Bourara(ケータリング業者)

Lee Villeneuve(モナの弁護士)

Steve Newburn(パパモンスターの中の人)

Kayla Dobilas(パパモンスターの中の人)

Gord Robertson(パパモンスターの中の人)

Pamela Iveta(パパモンスターの中の人)

Jason Detheridge(パパモンスターの中の人)

Luz Tercero(喪服の女)

Julien Fortin(屋根裏のボーの弟)

Michael Hearn(ボーの弁護士)

 


■映画の舞台

 

アメリカのどこか

 

ロケ地:

カナダ:ケベック州

モントリオール

https://maps.app.goo.gl/yfx6Z4q8A3jr1dyA9?g_st=ic

 

サン=ブルーノ=ド=モンダルヴィル/Saint-Bruno-de-Montarville

https://maps.app.goo.gl/7YBdw2KtwVJmBBU28?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

とある治安の悪い町に住んでいるボーは、父の命日に母モナの住む街に戻ろうと考えていた

飛行機のチケットを手配し、万全の準備をしたものの、夜中に何度も叩き起こされ、それによって致命的な寝坊をしてしまう

 

急いで準備をしていると、差しっぱなしにした鍵と荷物を何者かに奪われてしまう

母にすぐに行けないことを告げると、母は落胆した声でボーを慰め、「正しいことをしなさい」と言い残して電話を切った

 

ボーは何とかしようと考えるものの、セラピストから新しくもらった薬を飲むときに起きたトラブルによって、部屋の外に閉め出されてしまう

翌朝、外で目覚め、壊された玄関を通って部屋に戻り、母に電話をかけた

だが、その電話に出たのは見知らぬ男で、彼は荷物を届けにきて、顔無しの死体を発見したという

 

ボーは呆然としながら、母の元に帰る準備をしていると、なぜかバスルームの天井に男が張り付いていて、その男と揉み合いの末に、全裸で外に出てしまう

警官に銃を突きつけられてパニックになったボーは逃げ出すものの、車に轢かれて気を失ってしまった

 

テーマ:抑圧と悪い想像

裏テーマ:畏れの先にある本音

 


■ひとこと感想

 

3時間のアリ・アスター映画ということで、かなり気合を入れて鑑賞しましたが、流石にぶっ飛んだ世界を3時間というのは拷問に近いものがありました

怪死した母親の元に帰るというだけの物語が、こうも無茶苦茶な展開になるのだなあと恐れ入ってしまいます

 

映画は、おおまかに4部構成になっていて、危険な街パート(NY?)、医師夫妻パート、森の劇団パート、母親の実家パートという感じになっています

とにかく情報量が多いので、頭がパンクする可能性が高いと思います

 

物語性はそこまでありませんが、とにかく会話量も膨大で、登場人物も恐ろしく多いので、ハシゴをするのは無理だと思います

それにして集中力を持たせるのが大変な映画なので、仕事前に観るのはやめた方が良いと思います(てか、そんな人いるのかな?)

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

何がネタバレになるのかはわかりませんが、一言で言えば「お母さん怖い」という映画だったと思います

幼い頃に見たある出来事がトラウマとなっていて、それが双子の弟が屋根裏に閉じ込められたままになっている、というものでした(これも妄想っぽいですが)

 

それが幼少期のトラウマになっていて、自分もそうなってしまうのではと思ったり、実家に帰るのが怖かったりするのですが、それらが見せている精神世界という事になるのかな、と思います

妄想への入り口はたくさんあって、「実は水を飲めていない」「トニに吸わされた謎のタバコ」などが前半であったりします

後半になっても、「森の中で気絶する」「セックスで果てる」というものがあるので、どこからどこまでが現実パートなのかわからない部分があります

 

個人的には、寝過ごしたところから妄想という「全部夢だった」という印象があって、どうしても行きたくなくて「起きてすらいない」というオチがあるのかなと思いました

ラストのオチもどう捉えたら良いのかわからないのですが、ぶっちゃけ誰に薦めたら良いんだよという「自己責任映画」の究極のように感じました

 


何を恐れていたのか

 

ボーは常に何かを恐れてきましたが、要約すると「母親」を畏れていたということになります

彼は悪い想像を膨らませて肥大化させる人物で、その能力に人一倍長けていた、という事になります

個人的には、「最初の母親の電話」が妄想の入り口となっていて、彼にとっての「都合の良いこと」「不都合なこと」が同時に押し寄せているように見えました

 

ボーは幼少期にて、天井裏に押し込められる少年を目撃していて、それが双子の弟か兄だと思っていました

実際に存在するのかは置いておいて、この時点で「母親と自分の関係、その行動にによって変わるもの」というものを感じ取っていたのだと思います

それは、「母親に従順でいる自分」と「反抗的な自分」というもので、それによって自分がどのような処遇になるか、というものを想像していたのですね

なので、屋根裏に押し込められたのは「反抗した自分」というものになっていて、それを平気で行うのが母親、というイメージを持っていたのだと思います

 

映画は虚実不明な部分が多く、その境界線というものが存在しません

なので、突拍子に見えるシーン以外、例えば「事故に遭うシーン」などは現実のように思えてきますが、それすらも「行きたくない自分」に理由づけをする妄想であるように見えるのですね

彼の中では「殺された父親」という感じになっていて、彼を殺したのは母親のようなイメージを持っています

父の命日というものがなければ、帰省する必要もないのですが、実際に「帰省」というものがあるのかさえ怪しかったりします

 

ボーはすでに母親が作った檻の中に入れられていて、その中で踠いているのですが、精神を正常に保つための心のバリアというものが様々なものを作っているようにも思えました

個人的に感じるのは、あのボーが住んでいる場所は実は精神病院で、自分の外には変な奴がウヨウヨいるというものでしょう

その中でもセーフティゾーンを作り続けていたのですが、1年に一度だけ外に出ないといけない時がある

それが父親の命日で、それに対して、どのような言い訳とトラブルを用意するかで、彼自身が母親に近づかないようにしていた、と言えるのではないでしょうか

 


ボーは何を見てきたのか

 

ボーが見てきた世界は、いわゆる精神的な抑圧が生んだイメージの世界だったと思います

裸の男が踊り狂い、タトゥー男が襲い掛かり、目の前で平然と殺人が行われているのに、警官は町の女をナンパしているだけ

治安が悪いと言えばそれまでですが、それら全てをボーが作り上げていたとしたら、現実味がないことも理解できるように思えます

巡査はいわゆる施設の職員のようなイメージで、権力を持っているものの、それを行使することを躊躇うほどにチキンであるように描かれています

 

その後、事故にあったボーですが、これは別の看守などから暴行を受けて気を失った、という感じに見えますね

そこでは医師から催眠導入や精神安定剤のようなものを投与され、一時的に理想的な家庭像を垣間見る

でも、そこには異物ジーヴスがあって、彼はこの家の両親に飼われている存在になっていました

匿われているという点では、屋根裏の少年と同じような感じですが、彼を解き放つのはトニすなわち自分自身という事になるのだと思います

 

その後、ボーは意味不明な森の劇団に迷い込む事になり、そこで父親と思われる人物を見つけ出します

死んだと思われていた父親が生きていると感じるのは、実際には死んでいないけど死んだことにされていると、彼自身が思っているからなのだと思います

父を死んだ事にしている母、それは言うことを聞かなければ屋根裏に閉じ込めると言う行為に似ていて、いわば「見たくないものはそばにはおかず、存在すらも消す」と言う事になります

 

ボーは精神病院に入れられているとしたら、それは同じようなカテゴライズになるのですね

母親の目から遠ざけられている状況は同じで、それがなぜ起こっているのかは理解している

そうした中で母親に会わねばならないと言う未来が、様々なものを生み出しては壊れていったように思えました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は、中年まで母親の畏れから逃れられていないボーを描いていて、彼が見ている不安や恐怖というものが映像化される様子を見ていく事になりました

冒頭の荒れた町は、予期できる恐怖として、彼は自分の部屋をバリケードのように大切に守ろうとします

でも、あの場所の治安を考えると、鍵やドアでなんとかなるものではないのですね

暴漢たちは、マンションのドアが開いたことで侵入していてい、これはボーの過失によるところが大きかったと思います

この章で描かれているのは、畏れは正常な判断を阻害するというもので、起こるべくして起こっていることが描かれているように思えました

 

次の章では、不慮の事故に遭ったボーが厚遇を受けるというもので、その厚遇の犠牲になっているトニがいました

彼女は「両親の命令で自分の部屋を開け渡してる」のですが、彼女も母親の抑圧を受けて行動を制限されている存在であると言えます

トニは味方を変えればボー自身に見えますし、ボーがいると思っている屋根裏の少年のようにも思えます

最終的に彼女は自殺をしてしまうのですが、これが屋根裏の死体へと繋がっているように思えます

自分のために犠牲になった家族がいる、という暗喩のようなもので、彼女が死ぬことになったのも、トニを屋根裏部屋から出したから、という意味合いに近いものになっていました

 

森の劇団のパートでは、ボーは父親らしき人を見て、そばには妊娠している若い女がいるという状況になります

ジーヴスに追われる中で「木に頭をぶつけて気絶したあと」の出来事なのですが、そこで観る都合の良い妄想というものは、ボー自身に勇気を与えていきます

でも、結局のところ、ジーヴスによって壊されてしまい、それはある種の報いのような形で連鎖していく事になりました

 

そうして逃げた先にあったのが母親の邸宅で、彼はそこでエレインと再会し、彼女のリードでセックスに至る事になります

エレインはかつて母との旅行で出会った少女で、ボーは彼女のことを30年近く想っていたことになります

少年期の出来事が真実かどうかはわかりませんが、彼にはそう見えていたという世界で、それは更なる母親の抑圧を生む装置のようになっていました

母のベッドでエレインと寝ることで、エレインは死んでしまい、そして母親と対峙することになります

数えきれないほどの罵倒を浴びたボーは、逃げるようにボートを出しますが、その先に待っていたのは「裁判」でした

 

ボーは数々の母親の手下によって監視されていて、冒頭のセラピスト、エレイン、タトゥー男ですら、母親の経営する会社の社員でした

名目上は会社なのですが、イメージとしては「精神病院を運営している」ような印象があって、彼らはボーの行く先々の精神的なところにまで根を張っているように思えます

個人的な解釈だと、自分の経営している精神病院に入院させている、という印象で、真実を知ったボーの精神が完全に壊れるまで、を描いていたように受け止めていました

実際の制作意図などは全く違うと思いますが、初見で感じたのは大体こんなところで、これを再確認するにはハードルの高い題材のように思えます

 

映画は179分の本編で、映画館だと予告編10分程度などの待機を含めると相当の時間を束縛されます

2回目に再発見があるかもしれませんが、個人的にはあまり面白いとは思えなかったので、オチがわかって再度観る事に意義があるのかは何とも言えないところがあります

ウェブ上ではたくさんの色んな感想があると思いますが、このブログもそれの一種なので、これが正式見解であるとか思わずに、同じものを観た人のひとつの意見として参考にしていただければ良いかな、と思いました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/99338/review/03492157/

 

公式HP:

https://happinet-phantom.com/beau/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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