■変化よりも忍耐を選んできた人生が、放置してきた問題を引き寄せているのかもしれません
■オススメ度
母娘の微妙な関係の映画に興味がある人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2022.11.17(アップリンク京都)
■映画情報
情報:2022年、日本、106分、G
ジャンル:折り合いの悪い母娘の衝突を描いたヒューマンドラマ
監督:杉田真一
脚本:杉田真一&松井香奈
キャスト:
井上真央(吉村夕子:母との関係に苦しむ長女)
(7歳時:丸山澪)
石田えり(松田寛子:悪気なく夕子を追い込んでしまう母)
阿部純子(松田晶子:夕子の妹、未婚)
(5歳時:東村環希)
笠松将(松田勝:母と住んでいる夕子の弟)
(4歳時:荒川偉央)
ぎぃ子(松田美奈:勝の妻)
田口結乃(松田はる:勝と美奈の娘)
橋本一郎(吉村伸次:夕子の夫)
宇野祥平(川島俊介:スーパーの店長)
深澤千友紀(高木直美:比較的夕子と仲の良い店員)
宮璃アリ(亀井:スーパーの店員)
森川直美(小泉:スーパーの店員)
大崎由利子(杉村芳江:寛子と話し込む近所のおばさん)
瑛蓮(斉藤由佳:夕子の向かいに住む女性)
春日莉緒(斉藤千夏:由佳の娘)
大島蓉子(石川富美:旅行先の甘味処の女将)
鈴木彩葉(石川日菜:富美の孫)
■映画の舞台
日本のどこかの地方都市
ロケ地:
愛知県:刈谷市
京炉ばた 八兆
https://maps.app.goo.gl/2wiYWUo1n44cdgNY9?g_st=ic
愛知県:犬山市
絹乃舘 匠美
https://maps.app.goo.gl/kmgctNZD6tqfCjPA9?g_st=ic
茶処玉冨久
https://maps.app.goo.gl/astjEabNEtrb4cie8?g_st=ic
静岡県:浜松市
はままつフラワーパーク
https://maps.app.goo.gl/wRdNPKdRhwZkTJ768?g_st=ic
舘山展望台
https://maps.app.goo.gl/cjusFs4TLqwt4cQZ6?g_st=ic
■簡単なあらすじ
弟夫婦と一緒に暮らしてきた母・寛子は、ある日ボヤ騒動を起こしてしまい、疎遠だった長女・夕子夫婦の家に世話になることになった
母との暮らしに前向きになれない夕子だったが、夫・伸次は「仕方ないだろう」という感じで重くは受け止めていない
そんな折、住んでいた弟宅から母の荷物が一方的に送り付けられてきたのである
それは弟・勝の妻・美奈の仕業で、それに憤慨する次女・晶子だったが、夕子は何事もなかったかのように受け入れざるを得なかった
それでも、母との暮らしは少しずつ夕子の精神を削ってしまう
ある日、職場の店長の送別会に参加した夕子は、飲めないのにビールを煽って深酒をしてしまう
深夜に帰宅した夕子を母はなじり、「私を困らせたいの?」とまで言ってのける
夕子は無反応のまま、心ない謝罪をし、それがさらに母を苛立たせていた
テーマ:長女の重荷
裏テーマ:母娘の関係
■ひとこと感想
冒頭から静かな雰囲気で物語が展開し、セリフも最小限で、ワンシーンが異様に長いという演出に、これはあかんやつやと思って鑑賞していました
あかんやつとは、自分には合わないタイプという意味で、話の展開がほとんど変化がない中で、ひたすら「間の長い演出」が繰り返されていきます
こういう見方は推奨しませんが、配信で1.5倍速くらいでちょうど良いくらいの間伸び感を感じてしまいます
映画は、母がある出来事から共同生活の中に入ってきて、ただでさえウザかったのに、さらに生活に苛立ちが生まれるという内容でした
おそらく妹か弟を持つ長女なら、同じような思いを持った経験があるのかなと思います
私は男性ですが、同じようにシングルマザーの3兄弟妹の一番上なので、なんとなく気持ちはわかります
状況に対して、前向きか後ろ向きかというところが、心根への影響を決めるのかなと思ってしまいます
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
映画はかなり低いトーンになっていて、劇伴もおとなしめだったので、何度か記憶が飛ぶという感じになっていました
パンフレットには最終稿の脚本が載っていたのですが、相変わらずほとんど覚えている睡眠鑑賞をしてしまいましたねえ
テンポがかなり遅かったので、記憶が飛んでもシーンに追いつくということがあったのかもしれません
とは言え、映画はその余白を楽しむ映画なので、せっかちな人とか、物語の展開の起伏を楽しむ人にとっては辛い内容だと思います
なので、個人的には「まったく合わない」ので、ラストの「お母さんが嫌いだったんだ」のセリフで、「いや、そりゃそうでしょう」という感じになってしまいました
深層心理は行動に現れているものなので、母との物理的な距離感はそのまま心理的な距離に比例します
なので、離れて暮らすことを選択しながら、まだ子どもを授からないという状況こそが、夕子の心理を如実に表していました
本作は、その深層心理を本人が理解して言語化するまでの旅である、と言えるのでしょう
■母とは何か
「母」というのは「ものを作り出す根幹」であり、人間の場合は「子どもを産んだ人(広義には子どもを育てる人も含む)」のことを言います
母との関係は、それが娘であるかとか、長女であるとか、息子であるとかでさまざまな違いがあります
映画では「母」に対して、「長女、次女、長男」という順番に関わりがあり、映画の冒頭では「長男(3番目の子)」と一緒に住んでいるという設定になっていました
長女は結婚していますがそこに厄介にはならず、次女は未婚ですが実家を出て一人暮らしをしています
距離感としては電車を使う距離なので、そこそこ離れている設定で、本作では夕子の夫の家族は登場しませんでした
あくまでも、夕子と母の関係性とその背景に特化した物語になっているので、必要のないところは描かないというところなのだと思います
映画内では「母は夕子がどんな仕事をしているか知らない」ので、思った以上の心の距離がありましたね
また、それを言えないのが「スーパーの店員」という、母の職業観から逸れる職業だったから、とも言えます
個人的には、シングルマザーに育てられ、三兄弟妹の長男にあたるので、なんとなく夕子の葛藤はわかります
でも、ここには男女差があるので、全てがわかるとは言いません
あくまでも、立場としての長男の葛藤は理解できるというところでしょう
私の場合は、父親のやらかしがあったので、そこで長男としての自覚があって、どうやら家庭内のことは子どもたちでなんとかしないといけないようだ、ということは理解していました
それが芽生えたのは、奇しくも「母親のボヤ騒ぎ」というところも同じだったりします
母というのは産みの親であり、育ての親ではありますが、私の場合は恵まれていた環境であったと思います
同じ境遇でも育児放棄に至る場合や、暴力が起こるとか、新しい父がくるなのどの色んな未来があったはずですが、そういった問題に遭遇しなかったという運はありました
私の場合は「男、男、女」の順で、一番我慢をすることになったのは弟になっていて、今でもそれを恨んでいるようです
長男なので大学に行かせなければという目的と、女の子なのでという理由で資金投下が分散した結果、金銭的な問題によって(実際には本人の努力もあるが)割を食うという感じになっています
映画の場合は「女、女、男」で、上の二人の女性は「母親からの離脱」を考える関係性になっていました
それはひとえに母の性格との不一致になっていて、それを生み出しているもの、それに拒絶する心というものに双方が言語化できていない、という状況になっています
そんな中でも、言わないけど理解して言語化できるのが次女でありましたが、本作は長女の物語なので、そこは濁されていましたね
母と娘の関係は様々なものがありますが、この家庭の場合は娘のどちらもが子どもを産んでいないという状況があり、これが一種の女としての暗黙のマウントになっていましたね
現在ではそのマウントに意味があるのかは何とも言えないのですが、世代が違う母にとって、夕子世代の価値観が理解できないのはやむを得ないところなのかなと感じました
■深層心理の言語化について
本作は、「夕子の母への苦手意識の正体」を掘り下げていくという物語で、なんとなく遠ざけてきた理由が同居によって明確になっていく様子を描いていました
このあたりの繊細さが本作の魅力ですが、わかりやすく明文化しないことで余白というものが生まれていました
夕子の母への感覚は「再会時に目を逸らす」というところから徹底していて、夕子が母と目を合わして話すというシーン自体がほとんどありません
それは、目を見て話せば、自分の中にある嫌悪感が伝わるから、という自覚があったからだと思います
深層心理は感情として露見し、それを制御するのは難しいと言えます
特に夕子は論理的な人間ではなく、どちらかといえば感覚的なものを強く持ち合わせていました
それゆえに、細かな所作で嫌悪感というものが露見していて、それが母の神経を逆撫でしている部分もありました
母も同じく感覚的な物事の捉え方をしますが、感情を言語化するときに相手の気持ちを考えないタイプです
また、自分が正しいと思っていて、それに揺らぎがないところも強さになっていました
夕子からすれば、その能力や特質を持ちたいかどうかと考えたとき、それを拒否しているというふうに考えられます
それゆえに、価値観の違いが明白なのですが、それは幼少期からの押さえつけられた半生というものが影響しているように思えます
夕子は我慢するタイプの人間ですが、その我慢の逃し方というのがあまりうまくありません
いわゆる、反応しないことで、さらに悪循環を生むのですが、その反応に疲れた末に、距離を取るという選択をしていました
逃避の先に安住があったと思われましたが、このような問題というのは、避けても追いかけてくるという傾向があります
夕子が言語化しないことで夫の勘違い引き起こし、夫の何気ない言動も彼女を追い詰めていきます
でも、否定したい感情というものがあって、夕子は積年の母との関係性を「嫌いだった」と結ぶことになりました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
母に「嫌いだ」と伝えていたら、という「もしも」の世界は存在します
でも、そうしなかったのは、「伝えたことによる弊害を深層心理的に理解していたから」であると考えられます
おそらく「嫌い」という言葉は頭のどこかにあって、その原因も明確なのですが、それを言った後の母の反応は容易に想像でき他のでしょう
これはいじめの構造に似ていて、「我慢できる範囲ならば我慢したほうがよい」と考えることに似ています
変化に対する恐怖よりも、今を耐えられるなら耐えるというものがあります
学校のいじめ問題でも、期間限定であることを理解しているので、そこで変化を求めるよりも卒業まで我慢するという心理は働きます
私個人も中学三年間はそのような感じで、中学を卒業したら「遠くの、クラスメイトと絶縁できる距離の高校に行こう」と漠然と考えていました
そのための努力というのは子どもながらにできるもので、そこそこ偏差値の高い学校に行き、また親に迷惑をかけるのを極力避けるために「奨学金をもらえる成績を取る」というところに向かいました
深層心理が生み出す逃避行動はインテリジェンスを刺激し、行動を伴わせます
それを言語化できることに越したことはないのですが、実は言語化しなくても行動は深層心理によって支配されていると思います
なので、本作での夕子もそれに準じて行動を起こしていきます
夕子の言動が母をイラつかせるのも、イラつかせることによって、相手からの干渉が減るというものが心理的な遠因として働いているからではないでしょうか
本作は、そのあたりの細かな所作が綺麗に描かれているので、夕子の母嫌いも伝わりますし、それ以上に次女が母を嫌っていることというものも伝わります
それらの感情を母娘なのだからと結びつけることが悲劇を生むので、世間体などの社会通念がその悲劇を増長していくというところに行き着きます
夕子としては、夫には「母のことが嫌い」とさえ伝えていれば、もう少し環境が変わったかもしれません
でも、彼女自身が「夫を巻き込むことを恐れている=今の環境が壊れる恐れ」ので、深層心理が「夫にそれを伝えることすら拒む」という選択をしていたのではないでしょうか
自然と誰かと距離を取っていることを感じている人ならば、この映画が描いている「言語化の強みと弊害」を感じられるのではないでしょうか
それを話せる場所が、今では裏垢とかネットの世界になっていて、言語化のエスカレートはまた別の問題を生み出しているような気がしてなりません
映画はそこまで描きませんが、現代的な問題というのはこの言語化によって起こっているということは否定できないと思います
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/383541/review/19588cbb-3979-4779-8e83-1bc5fa3b34af/
公式HP:
https://www.watahaha-movie.jp/